第2話:前世の世界
――ここは……。
あの「何か」が言っていた前世か? って、
「うわぁ!」
いきなり襲ってきたものを反射的に後ろに飛び退いて避けた。なんだ? と見渡すと、木々が立ち並ぶ森の中で、狼みたいな黒い四本足の獣に取り囲まれている。
両手で構える剣は、獣の血で柄まで赤く濡れていた。身につける軽甲冑も点々と赤く染まっている。今まさにこいつらと戦ってるのか。
囲む獣は全部で17、いや18匹か。すでに息絶えているのが2匹だ。獣の目が紅に燃え光り、鋭い牙を剥く。長い舌をだらりと垂らし、生臭い息が鼻をついた。仲間をやられ獣達は憎悪に燃えている。退く事は出来ない。
まったくなんてところに連れてきやがる。下手したらこっちに来て1秒で死んでいた。いきなり死んだら人を殺さずに済むって、サービスじゃないだろうな。
どうやら戦うしかないみたいだが……。って、ただの高校生が戦えるわけ無いだろ!
不味いな……1秒で死ぬのは免れたが、この分じゃこっちに来て1分で死にそうだ。早すぎるだろ。まさか全部夢ってオチなのか?
夢……夢なのか?
よし! やるだけやってみるか! 瞬間突進し、目の前にいた獣を上段から一刀に切り伏せていた。胴体が両断され、一瞬遅れ赤い血を撒き散らし、俺の身体を赤く染める。
口に入った獣の血を、唾と一緒に吐き捨てながらさらに走る。二つに分かれた獣の胴体が、地面に落ちる前に駆け抜けていた。血の生臭さを、嗅覚と味覚で感じながら10メートルほど走り振り返る。囲まれていては不利と見て態勢を立て直した。……らしい。
自分でやっておいてって感じだが、戦うと考えた瞬間身体が勝手に動いたのだ。だが今はそれ以上グダグダ考えている暇はない。獣は白い牙を剥き次々と襲ってくる。視界の右隅に捉えた黒い塊を跳び退ってかわし、目の前を通り過ぎるそれを切り捨てる。俺の身体が返り血でさらに染まる。
左! 襲う獣の頭を剣の柄で殴り飛ばす。ぐしゃりと柄から音が伝わる。弾き飛ばされた仲間を獣達が飛び退いて避ける。
獣が後ろに回ろうとするのが見え、正面を向いたまま後に跳び防ぐ。後、15匹。死というものを理解していないのか、仲間がやられても怯んだ様子は見えない。さらに憎悪に燃え、低い唸り声を立てている。
身体が勝手に動き続ける。包囲されないように移動し、襲い来る獣を次々と切り捨てた。
1匹! 後ろに回り込まれた。だが正面を睨みつける。獣の荒い息遣いが目の前と、背後から聞こえた。逆に、俺は息を止める。目の前の獣を眼光で牽制しつつ、全神経を後に集中する。
動きを止め、心臓すら停止させるように微動だにしない。ジャリと、砂を踏む音と荒い息が背後から聞こえる。飛び掛るタイミングと位置を計っているのか、その音が左右に揺れる。
ふと、音が消えた。瞬間、振り向きざまに切り捨てる。森の狩人たる獣は、獲物を襲う時は音を立てない。音を聞くのではなく、聞こえなくなるのを待っていた。
切り捨てた勢いのまま回転する。目の前に白い牙が迫っていた。剣の根元で受け止める。獣の顎が白刃のよって切り裂かれ、大きく広がった。そのまま地面に落ち、獣は血の泡を吹きのた打ち回る。
戦意を喪失し、子犬のようにきゃんきゃんと鳴くそれに止めを刺した。どうせもう、生きては行けないのだ。
視線を巡らせた。動いている者はもういない。
剣を鞘に収めようとし、腕が止まる。獣の血で染まった剣をそのままにしては、鞘の中で剣が錆びる。という事を「思い出し」剣を一振りして血を飛ばした。背負った背嚢から布を取り出し、落としきれなかった血を拭う。
改めて剣を収め、身を包む軽甲冑に飛んだ血も布で拭った。軽甲冑とは、全身を包む鎧じゃなく胸や肩、肘など急所や重要な間接部分のみを守る防具だ。という事も思い出す。
どうやら夢では無かったみたいだが、どういう事だ? 身体が動きを覚えているって言うのとも違う。この表現が正確かは分からないけど、「操作」しているみたいだ。
ゲームみたいに「戦う」コマンドを選択したら、そのキャラクターが持っている能力を駆使して勝手に戦ってくれる。という感じだ。とはいっても俺の意識がまったく蚊帳の外というわけではなく、俺がそれをしているっていう感覚はある。
でも今は自分の身体として自然に動かせている。この違いはなんなんだ?
……駄目だ。いくら考えても分からない。おいおい分かってくるかも知れないし今は状況を確認するのが先決か。というより……、そもそも俺って誰だ?
俺は……勇雄……。いや、アル……アルシオだ。
そうだ! 俺はアルシオ!
歳は24で、ここからずっと南に離れた小さな村に生まれて、小学校で……じゃなくて、小さい頃から腕っ節が強くて村のガキ大将で子分が何人もいた。
剣の腕が立って頭も切れる! 顔だって茶色い髪と瞳のハンサムで背も高く、女の方から近寄ってくるほどモテていた。故郷や旅の途中に立ち寄った村や町では、女をとっかえひっかえしていた。
よしよし! 前世の俺って結構いけてるぞ! 女ったらしっぽいところがちょっとどうかと思うけど、これを維持して転生出来れば御の字だ! 優佳ともつり合う!
とにかく人を殺さない様に気を付けていれば良いんだから、そんなに難しい話じゃない。簡単じゃないか!
いやしかし、実際この人生を生きたアルシオは人を殺してるんだ。いつか人を殺すかも知れない事件に巻き込まれるって事か? うーん。何せ戦士だからな……。そういうのも普通にあるのかも知れないな。
まあ、今それを考えても分かるわけじゃない。取り合えず状況を確認する為にも記憶のおさらいをするか。
えーと。俺の生まれた村では取れる農作物の量に比べて子供が多すぎて養いきれず、ある程度子供が大きくなったら口減らしの為、かなりの数の子供が村を出る事になっていた。いや、何も俺の村だけじゃない、大抵の村ではそうだ。
作物を作る為に田畑を増やそうにも魔物や化物がうじゃじゃいる世界だ。猪なんかの害獣とは脅威の桁が違う。どうしても作れる農作物の量は限られ、しかもこの世界の人間は多産だ。
子孫が多く生まれれば、生き残る者も多い。生物としての本能がそう判断したのだ。だがそれが、さらなる食糧不足を招く。
そうして故郷を離れた者達は定まった土地に住まず「渡者」と呼ばれている。俺はっていうかアルシオは、腕力も強くて村の仕事も軽々こなせて故郷に残れそうだったんだけど、勝気な性格で自分から村を出たんだ。
いや、表面上はそうなっているが、本当はそうじゃなかった。何人の子供が残れるかは家一軒毎に決まっている。アルシオには弟がいたが、このままじゃ弟が村を出る事になるから自分から村を出たんだ。
おお。女ったらしの部分はどうかと思うが、前世の俺なかなか良い奴じゃないか。
食料が無くて村を出た渡者達がどうやって暮らしてたかというと、まずは大きな町を目指す。村にはそれを統治する領主がいて税を納めるが、税は作物で収められ、領主はそれを売って金に換える。その市場は町にあるので自然食料も町に集まるのだ。
そこで魔物退治などの仕事をこなし、報酬を得て口に糊するのだ。勿論食糧不足の世界だ。すべての渡者が生活できる訳が無い。魔物退治に失敗し命を落とす者も多いが、まともな仕事にありつけず野盗と化す者も多い。その相手も渡者だ。
口減らしの為に村を出た者同士が戦い、数を減らす。ってかなり過酷な世界だな。人を殺さないなんて簡単だと思ったけど、この世界で人を殺さずに行くって、実はかなり厳しくないか? 何とかまともな仕事だけをこなして行かないとな。
「アルシオ!」
突然女性の声が聞こえた。間延びせず歯切れのよい意志の強そうな声だ。ローブを身に纏った女が駆け寄ってきていた。そうだ。アルシオには仲間がいたんだった。
彼女の名前は……ジュレルディか。魔法使いで長い銀髪を後ろに束ねている。切れ長のアメジストの瞳。白く滑らかなラインの輪郭のかなりの美人だ。背も高く、長身のアルシオの目の高さくらいある。
もっとも天は二物を与えず、大きな胸に括れたウエスト。細くて長い手足とバランスが悪く残念ながらお世辞にもスタイルが良いとは……ってお世辞抜きにむちゃくちゃいいじゃねえか!
そうだ。この世界の美醜の基準では身体が細いんだったら全身が細く、太いんだったら全身が太いっていうのがバランスが良くてナイススタイルって事なんだった。それでジュレルディをスタイルが悪いって記憶してたんだ。
口減らしで故郷を出るのは、何も男だけじゃない。女性だって村を出る。女性の場合も働きの悪い者なのは勿論だが、嫁の貰い手がなさそうな不美人が村を出される事も多い。ジュレルディはその不美人で村を出た方なのだ。
せっかく顔は良いのに、こっちの世界では顔よりスタイル重視だから勿体無い話だ。
そんな事を考えている間にジュレルディが傍まで来た。そして周囲に転がる獣の死体を見渡す。肢体を両断されたもの、突き殺されたものが、戦った道筋をなぞるように転がっている。さらに鉄が錆びたような血の匂い。その光景に、表情を曇らせている。
俺も改めて見ると、自分がやったとはいえなかなか凄惨な光景だ。ただの高校生が直視できる光景じゃないが、この程度「見慣れている」俺は少しも動じない。
「どうしたんだ。これは?」
ジュレルディにしてもその問いかけに揺らぎは無い。だが非難の色が混じっている。
そう言えば思い出した。俺達は今、大陸の北にある街道を東から西へと旅をしているのだ。
地図にはある程度の規模の村や町しか載ってない。だが旅の途中で食料や物資が不足する事もある。そんな時には地図にも載らない小さな村を探すことになるのだが、今もちょうどそんな時で、手分けして村を探していたのだ。
「みんなと分かれて村を探しに出てすぐ、冬に備えて南に向かう山狗の群に出くわしたんですよ」
「移動中の山狗なんてほって置けば通り過ぎるだろう。どうしてわざわざ殺したりするんだ」
無用な殺生をと、ジュレルディはその形の良い眉をひそめているが、俺にも言い分がある。らしい。
「俺だってほって置くつもりでしたよ。でも山狗の子供が勝手に近寄ってきて、母親が怒って襲ってきたんです」
彼女もそれじゃ仕方が無いかと思ったのか、それとも山狗の不運に同情したのか、ため息を付くと目を瞑り首を振った。
数秒後、瞼を開けた彼女の瞳には、すでに痛ましげなものなど微塵もなかった。不運な獣の群れと親子に哀れみの黙祷を捧げ、彼女の中でこの事件はすでに過去のものとなったのだ。
「この先に小さいが村があった。取り敢えずそこに向かう」
ベージュのローブを身に纏ったジュレルディが、杖を手にした右手で前方を示した。スタイルが悪いのを気にしてローブは全身を隠すほど丈が長い。指し示した腕もすぐにローブに隠す。だが胸の大きさを隠しきれず、胸の辺りは大きくせり出している。
「じゃあそこで食料の補給と、仕事があればそれをこなすってところですか?」
「まあ、そんなところだな」
さらに思い出した。偉そうな喋り方をするし、俺も自然と目上の人として喋ってると思ったら、俺達の頭目はこの人で、歳も俺より4つ上だ。
女性で渡者の衆の頭目になる者も少なくは無い。意外と女性の方が勇猛果敢だったりもするのだ。もっとも彼女はその勇猛果敢というタイプじゃない。状況判断が優れていた。
アルシオの彼女への印象を思い起こしてみると、女性としては見てはいなかったが、かなり信頼しているらしい。渡者の旅は命がけだ。性別がどうこうより、頭目としてどれだけ優れているかが優先されるのだ。
「さあ、行くぞ」
ジュレルディが背を向け歩き始めた。
アルシオの記憶があると言っても、俺自身は渡者としてまったくの素人だ。この先はどうなるか分からないけど、今はこの人に付いて行くしかない。