第28話:脱出
夜がふけるのを待ち、静まり返る宿を出た。
ベッドの上にはジュレルディが律儀に宿賃を置いている。
半分に割れたこの世界の月は今、その自転によりお椀のように夜空に浮かんでいる。それがさらに半月となり、黄金の扇になっていた。だが雲が行きかい、その4等分された月すら時折隠す。闇夜を照らす光は僅かなものだ。もっとも今の俺達には、その僅か、すら余計なものだ。
「どうせなら、もっと曇って完全に月を隠して欲しいところだったな」
ジュレルディは月の女神のような顔をしかめ、女神の願いを叶えぬ不届きな月に目を向けた。
「まあ、しゃあねえよ。打ち合わせどおり俺達は東から村を出て町に向かえばいいんだな?」
「そうだな。私とアルシオが南だ。領主の城は北西にあると聞いているから、この道筋でぶつかる事はないと思う。では、町で会おう」
「あいよ」
とカシェードがジュレルディから背を向け、
「ジュレルディさん。気をつけて下さいね」
そう言ったユイファがその後を追う。
ジュレルディは遠ざかる2人の背をしばらく見つめていた。2人の姿がまったく見えなくなると、ジュレルディが振り返って俺を見る。
「私達も行こうか。アルシオ」
「はい」
街道を避け、松明も点けず森の中を進んだ。流れる雲に月が瞬き、俺達の影も見え隠れする。
前衛の戦士として俺が先に進み、獣道を掻き分る。
「さすがに松明無しに森の中を進むのは、結構きついですね」
「ああ。だが暗闇だけに、明かりを持てばすぐにばれる。歩みは遅くなるが仕方ないだろう」
さらに進むと、次第に雲が厚くなり闇も深くなってく。ふと気付くと目の前に木の枝があり、慌てて手で押さえる。ジュレルディも同じらしく後ろから声をかけてきた。
「まったくこれでは数粡先も見えない。アルシオ。布を出してくれ。はぐれないように、お互い端と端を持っていよう」
「手を繋いでおくのは駄目なんですか?」
「それではいざという時、相手から握られていて反応が遅れるかも知れないだろう」
「そうですね。せっかく2人きりなのに」
「そうだな。いつもはカシェードとユイファ……。いっいや違う。そういう話じゃない!」
俺に釣られたジュレルディが、慌てて否定する。後ろに居て、しかも暗闇だからどうせ見えないけど、きっと顔を真っ赤にしてるんだろうな。いや、真面目にしないといけないんだが、つい。
もっともジュレルディも、
「森を抜ければもう大丈夫と思うから……そしたら」
と、蚊の泣くように小さく呟いた。きっと全身を赤くしているんだろうな。
布の両端を2人で持ちさらに進む。闇もしだいに深くなり、口数も少なくなる。周囲の闇から圧迫されるような重苦しい空気が身を包み、軽口を叩く雰囲気じゃない。俺が草木を踏む音と、軽いジュレルディの足音だけが闇に響く。
「菟鴟が、鳴かないな……」
不意にジュレルディが言った。確かにその低い鳴き声が聞こえない。夜目が利くその鳥は、己を闇夜の支配者とでも思っているのか、多少人の気配があっても動じず鳴き続ける。それが居ないなら……。
「お前達何をやっている。身を隠せ!」
茂みの中から低く、だが鋭い声が発せられ、俺達は反射的に木陰に隠れた。さすがは渡者、というべきか、今まで気付かなかったが木々に隠れ数人の男達が居た。完全に気配を消していた。
「すまない。状況はどうだ?」
ジュレルディが、さも当然といった感じに、揺るぎの無い低い声で男に答えた。
おお。さすがはジュレルディ。こんな不測の事態にも冷静に対処して――。
突然握っていた布を強く引かれる。ジュレルディは手繰るように引き続け、俺の手に触れると、今度は俺の手を掴む。
手を握り合っていたら、いざという時に動けなくて、やばいんじゃなかったのか?
だが、この人数に囲まれていては、たった2人じゃ同じか。上手くいって数人倒せたとしても、そんなもの意味は無い。今戦えばどうせ死ぬ。俺の手を握る白い華奢な手は、小さく震えていた。
「まだ来ていないみたいだな」
「そうか。どこから来そうなんだ?」
相手の返答に平然と話を合わせ、情報を引き出そうとするが、その間も彼女の手は震えている。
こんな状況でも、ジュレルディに任せるしかない自分が腹立たしい。せめてもと俺も強く握り返すと、彼女の震えが少し小さくなった気がした。
「どうやら城から真っ直ぐ来るんじゃなくて、西に迂回して南から来るつもりらしいな。奴ら数で負けているもんだから、奇襲でもしようってんだろうが、夜の森で俺達に勝てる訳ねえだろってんだ」
「ああ。まったくだぜ」
男達は、さっき俺達に身を隠せと言ったのを忘れたように笑い声を上げている。
ちっ! どうやらその待ち伏せ部隊とぶつかったらしいな。
「しかしこれだけ待っても来ねえんじゃ、奴らも奇襲がばれたと察したみたいだな」
「そうだな。そろそろ引き上げるか」
今まで木の陰に隠れていた男が姿を現す。森の中の戦いを想定してなのか、普段からなのか、カシェードが持っているより短い弓を持つ射手だ。
「おーい。引き上げだ!」
男が手を上げると、今までどこに居たんだと思うほど、わらわらと数十人の渡者がそこかしこから出てくる。
ガサリと、後ろからも音が聞こえ振り返るとそこからも数人が現れ、背に冷たいものが奔った。人が居た事にまったく気付かず、俺達はそこを通り過ぎていたのだ。
待ち伏せる方が有利だし、俺達だって渡者だ。やれと言われれば同じ事を出来るだろう。だけど、こんな奴らとは戦いたくない。そう思った。
ぞろぞろと村へと向かう渡者の群れの中で立ち尽くしていると、さっきの男が声を掛けてきた。俺達を完全に仲間だと認識しているみたいで、どうやら危険は回避できたようだが、こうなったら一緒についていくしかない。
「おい。お前らも引き上げだぞ」
「ああ」
ジュレルディが落ち着いた低い声で言った。俺の手を握り締めるその白い手は、まだ震えていた。




