第15話:戦う心
石造りの大広間。その奥に白い、ぬめった肌の巨大な魔物が牙を剥きこちらを窺っている。敵意はまだ感じない。ただの威嚇だ。だが、ただそれだけ俺は恐怖で動けずにいた。あまりにも巨大で、勝てる気が微塵もしない。
俺が、戦うぞ! と考えればアルシオの身体が自然と闘うはずなのに、その、戦うぞ! という気持ちが恐怖のあまり沸いて来ないのだ。
冗談じゃないぞ。ただの高校生がこんな化け物に立ち向かえる訳ないってんだよ。こっちの世界のアルシオはこんなの怖くなかったかも知れないけど、俺は怖いんだよ!
「アルシオ! 前衛が突っ込まなきゃ他の奴らが動けねえだろ!」
「どうした!? お前が敵を引き付けないと、後衛のユイファが危ないんだぞ!」
「アルシオさん!」
仲間達は焦り、叫び声を上げている。
くそ! 始めに出会った山狗やさっきまでの雑魚だったら全然大丈夫だったのに、どうして最後のボスって時に足が竦むんだよ。
そうだ、虫とかならともかく動物すら殺した事が無い俺が、魔物とはいえ生き物を躊躇無く殺せたのは、きっとアルシオの渡者としての経験が俺の心に影響しているからだ。
それがボスとの戦いで突然怖気づくってのは、アルシオの経験より俺の怖いって気持ちの方が強いからか?
「なにやってんだ! 敵がそこまで来てんぞ!」
カシェードの怒声が聞こえてくるが、それでもまだ俺は動けないでいた。
いや、怖くて動けないなら、そもそも生き物を殺すって事が俺にとっては怖い事じゃないのか? どうして山狗や雑魚相手には怖いって気持ちが沸いてこなかったんだ?
もしかして……。そうか!
「うおぉぉぉーーーー!!」
恐怖に「負けない」為、雄叫びを上げた。
くそ! 戦うんだ!!
「あぁぁーーー!」
さらに吼える。そして……右足が3センチほど前に進んだ。だが……その僅か3センチが呪縛を解く。
「がぁーーー!」
魔物の群れに突っ込み、剣を振るう。
分かったぞ。俺が山狗や雑魚では恐怖を感じなかったのはアルシオ、お前が怖くなかったから。そしてボスを前に恐怖を感じたのは、お前も怖かったからなんだな?
感じた恐怖は俺のものじゃなかった。その逆だ。アルシオが感じている恐怖を俺も感じていたんだ。
命のやり取りをし、怖くない奴なんて居ない。お前は恐怖を感じ、それでも戦っていたんだな? 怖くないから戦えるんじゃない。怖くても自分の力を信じているから戦えるんだ。そうなんだな?
俺は身体に染み付いたアルシオの戦士としての力を信じ、戦うという心を持ち続けた。俺の、アルシオの身体はその気持ちにこたえ戦い、ボスの攻撃を避けながらも雑魚を右に左に切り伏せていく。
一瞬、周りの雑魚をすべて切り伏せ、ボスとも距離がある間を得、仲間に目をやると、ジュレルディもボスの動きを警戒しながら魔法で雑魚を倒し、カシェードはユイファを傍に守りながら援護の矢を放っている。
皆の額に汗が流れ、必死の形相で戦っている。やっぱりみんなも恐怖を感じ、それでも戦っているんだ。俺は改めて魔物の群れに突進した。
「ギシャーーー!」
ボスの攻撃を避けた俺をさらにボスは追ってきたが、そこにカシェードが援護の矢を放った。その矢を煩わしいと思ったのか、ボスは今度はカシェードへとその牙を向ける。だけどそのカシェードの傍にはユイファが居いる。
「きゃーー!」
ユイファが叫び、カシェードは矢の消耗も構わず連射する。
ボスの女の胴体ほどもある足に矢が立て続けに突き刺さったが、ボスの突進は止まらない。鋭い爪が2人を襲った。
ユイファを右に突き飛ばしたカシェードは、左に転がり飛びボスの攻撃を避け、膝立ちで射掛ける。だが、やはり矢では大きなダメージは与えられない。しかし注意は引けた。その間に、ユイファはジュレルディの後ろに駆ける。
今度はカシェードにボスの攻撃が集中する。カシェードに向かって左右の強大な爪を続けざまに振りぬき、カシェードは弓を持ったまま地面を転がり間一髪で避け続けた。魔物の爪が、腐った果物を潰すように何の抵抗もなく石造りの床に穴を穿っていく。
ジュレルディは、さらにカシェードを狙う雑魚を打ち倒すのが精一杯で、ボスにまで手が回らない。
「どけ!」
俺も雑魚に囲まれていたが、強引に突破する。奴らの爪に軽甲冑が削られ、守りきれなかった腕が切り裂かれ、鮮血が舞う。
「食らえ!」
今まさに、カシェードを襲わんとしていたボスの右腕に切りかかる。だが、ユイファのウエストほどもある腕の骨を断つ事が出来ない。
「ちっ! 頑丈過ぎなんだよ!」
だがその攻撃でボスは俺へと向き直り対峙した。
ふーー。
大きく息を吐いた。
巨大な魔物と向き合いさらに恐怖が俺の背筋を這う。しかしここで恐怖に負け、動けなくなっては命が無い。
微動だにせずボスと対峙する。身体を動かしているのはアルシオの意識だけど、どういう意図で動いているのかは俺にも感じられた。
俺の剣よりボスの方が間合いは長い。攻撃を当てるには今やったように不意打ちか、ボスの攻撃を避け、踏み込んで攻撃するしかない。
俺は剣を構えてボスからの攻撃を待つ。
「シャーーーーー!」
ボスが咆哮を上げ、右の爪が俺の頭目掛けて襲い掛かる。
剣で防……違う! 俺は大きく後ろに仰け反り、構えていた剣はむしろボスの爪が当たらない様に下に向けた。奴と俺とでは力が違う。攻撃を受け止めては駄目だ。受ければ剣ごと吹き飛ばされる。
目前を通り過ぎる巨大な爪が、その風圧で俺の眼球をしこたま叩く。
加減を知らない攻撃が空振りに終わり、ボスはバランスを崩して上体が泳ぐ。奴の爪が眼前を通り過ぎた瞬間上体を起して踏み込み、下げた剣を斜めに切り上げる。
攻撃はボスの右脇腹を切り裂いたが、ボスの動きに目立った衰えは見られない。浅かったか!
またボスと対峙していると後ろでジャリっという砂を踏む音が聞こえた。
不味い……。雑魚に後ろに回られたか。かといってボスに背を向けるのは自殺行為。ボスに視線を向けながら耳は後ろの砂を踏む音に集中した。
雑魚が飛び掛ってきたら横に飛んで逃げなければ……。
そこに、俺の背後から光が奔り、ボスの顔面に直撃した。
「ギシャ!!」
ボスが怯んだ一瞬、振り返って一刀の元に雑魚を切り伏せ、そのまま回転しまたボスに向く。
ジュレルディ! 助かったぜ!
ボスはジュレルディに突進し、そこにカシェードが攻撃を加えボスの目標はさらにカシェードへと変わる。さらに俺がボスを攻撃。3人で順番にボスの注意を引き付けながら、後の2人が次々と雑魚を片付けていく。ユイファは傷を負った者に駆け寄り治癒すると、また誰かの後ろに隠れる。
「よし! 雑魚は片付けた! 後はボスだけだ!」
「アルシオ、敵を引き付けて! ユイファは魔力を溜めて治癒魔法を使える状態で待機! カシェードは援護!」
皆に指示を与えたジュレルディが精神を集中させ魔力を集める。右手の杖が光り輝き、その明るさを増していく。
俺は何度もボスに切りかかったが、効果的なダメージを与えられない。それどころか、攻撃をして隙が出来た俺を、ボスの爪が襲い、避けきれず腕を削られ鮮血が噴出す。
「くそ! ジュレルディ! まだか!」
しかし彼女からの返事は無く、鋭い眼光で魔物を睨み続け微動だにしない。ただ手にした杖の光が増していくばかりだ。ちっ! 舌打ちし視線をジュレルディから魔物に向け――。しまった!
「ぐぅっ!」
魔物の蹴りがもろに腹に直撃し、ぶっ飛ばされ大広間の壁に激突した。跪き胃から込み上げてきたものを吐き出すと、その中に多くの血が混じっていた。
「アルシオさん!」
「馬鹿やろう! よそ見してんじゃねえ!」
駆け寄ってくるユイファと、ボスを引き付ける為矢を連射するカシェードの姿が霞む視界に見える。ジュレルディは……やはり魔法の集中に微動だにしない。
身体が暖かくなったかと思うと、体中の痛みが和らぐ。ユイファの治癒魔法だ。
「大丈夫ですか?」
霞んでいた視界も元に戻ると心配そうに見下ろすユイファ顔が見えた。
「大丈夫だ」
俺はすぐさま立ち上がり、また魔物へと向かう。傷は完全に治った訳じゃないけど、休んではいられない。
カシェードへと攻撃の刃を変えていた魔物の背に切りかかる。浅いがそもそも倒す為の攻撃じゃない。注意を向ける為だ。
「キィィィィィーー!」
啼き。振り向きざまに巨大な爪が俺を襲い、後ろに跳んでかわす。
魔物と対峙した時、奴の背中から吹き出す血で大広間に赤い半円が出来ていた。もっとも見かけよりダメージは無いらしく、奴は平然としたものだ。
そこにカシェードが後ろから矢を放ち、ボスの背で鈍い音が立て続けに鳴る。魔物がまた咆哮を上げ今度はカシェードへと向いた。
奴の背に、俺が切りつけた箇所を狙ったらしいが矢が、僅かにそれその横に突き刺さっていた。ボスの動きを止めるなら脚を狙うべきだが、カシェードと奴との直線上には俺が居た。脚を狙った矢が外れると俺に当たる。
魔物がカシェードへと突進し、俺は走ってそれを追いかける。
カシェードは立て続けに矢を放つが、魔物は腕で急所を庇いながら構わず突き進み、カシェードに肉薄すると2本矢が刺さったままの腕を振りかぶった。
それを、カシェードは左に跳びすさってかわす。だが、続けて繰り出された蹴りに空中でとらえられた。
「がぁ!」
踏ん張りの利かない空中での攻撃を受け、くぐもったうめき声を発し、地面に叩き付けられた。そこにまたユイファが駆け寄る。
俺はまた魔物の背後を狙い剣を突き出す。当たる! と思った刹那、魔物が振り向むき身を捻った。ちっ! 魔物くせに学習するなよ!
身体を捻った勢いのまま繰り出された爪が俺の胴体を襲う。
駄目だ! かわし切れない!
剣で防ぎとっさの判断で地を蹴った。
剣ごと吹っ飛ばされたが何とか上手く着地することが出来た。あのまま地面に脚をつけ踏ん張っていたら、剣が折れるか、腕の方がやられていた。
こいつ、かなり強いな。アルシオの記憶でも、そうは無い手強さだ。ジュレルディはまだか?
ちらっとカシェードを見る。ユイファの治癒魔法で復帰するところだったが、矢が残り少ないようだ。カシェードの援護無しでは、俺もそう長くは持たない。
「どいて!」
背後からかかったジュレルディの叫び声に慌てて飛び退く。
ジュレルディの杖から魔物へと巨大な光が一直線に放たれた。
「おーー。すげぇ」
カシェードが声をあげた。ボスの皮膚は焼けただれブスブスとくすぶり、間違いなく息の根は止まっているみたいだ。とはいえ油断は出来ない。念の為にと、カシェードが矢を2本、3本とボスに放つ。だがもう微動だにしなかった。
戦いの終った大広間では、血と魔物達の死骸が散乱し、さらに魔物の焼ける、なんとも言いがたい鼻が曲がりそうな悪臭が漂っている。
「まったくこれじゃ、せっかく買い手が見つかったっていっても、その買い手が来る前に掃除するのが大変だな」
「そうですね。だから普段から退治しておけば良かったんです」
戦いが勝利で終わった興奮からかみんなは軽口を叩き、こっちに歩いて来る頭目のジュレルディへと視線を向けた。
だが3人ともジュレルディの顔を見た瞬間、驚きとも戸惑いとも言えるなんとも複雑な表情で固まった。
「どうしたみんな?」
「……あんたどうしたんだ?」
カシェードの言葉にジュレルディも自分の顔に違和感を感じたのか頬に手をやり、指に付いた物を目で確認した。
「え?」
ジュレルディ自身にもそれは意外な物だったらしく、指を見詰めながら立ち尽くした。その指に付いていたのは水滴。涙だった。




