第10話:その瞳に映る者
第10話:その瞳に映る者
夜、窓の外を見ていた。冬を前に窓から涼しい風が流れ、羽を鳴らす虫の声が聞こえる。
そういえば虫に刺されないな。虫除けの薬もない世界なら、刺されまくって当然なのに、とふと思った。理由が分かるかな? とアルシオの記憶を探ってみるが理由は分からなかった。
刺されて当然と思うのは勇雄としての知識だが、アルシオの知識では刺されないのが当たり前のようだ。当たり前の理由なんか知らないって事か。
牧草狩りは順調に進み今日の昼過ぎに終った。今日の晩餐もお爺さんとお婆さんは奮発してくれ、大量の肉の料理だった。明日の朝にはここをたつ。
初めての依頼が終了したのだ。始めは牧草刈りなんかと反発したが、やり遂げたと思うと感慨深いものがある。俺はこの世界で生きていく。1つずつ依頼をこなし、報酬を得て生活していくのだ。
外を眺める視線の隅に動く影をとらえた。目を凝らすと、光り輝く長い銀色の髪を持つ人影が森の中へと消えた。俺も部屋から抜け出し後を追った。建物の外へ出た頃にはすでに陰も形も見えなかったが、どこに向かったか見当は付いている。
遥か遠くから獣の遠吠えも聞こえるが、殆ど虫の鳴き声にかき消されていた。その中を、月明かり、星明りを頼りに歩いていく。星の明かりというのがここまで明るいのかと、元の世界では感じることの出来ない驚きに包まれる。空気が汚れていないという事もあるが、夜を照らす人工の明かりが無いからだ。闇が深いほど、小さな光はその存在を主張する。
思った通りの場所にその姿はあった。ローブを身につけず、自分の身体を抱きしめるようにして夜空に顔を向けている。ここはいつも、俺とジュレルディが会っていた場所だ。夜空の小さな光達を集めたかのように、彼女は白く浮かんで見えた。
「ジュレルディ」
声をかけたが、彼女は身じろぎすらしない。顔も上に向けたままだ。俺は気配を消さなかったし、一流の渡者である彼女には、俺が近づいてきていた事などとっくに分かっていたのだ。
「星が綺麗だな。アルシオ」
「ええ。そうですね」
と俺も星に目を向けた。
「ここの星は、他のどこよりも綺麗な気がするよ」
「え? そうですか。別に変わらないと思いますけど」
と視線をジュレルディに向けたが、彼女の視線は星をとらえ続ける。頭目としての張りつめたものを脱ぎ捨てた彼女は、少しあどけなく見えた。その周りを取り囲むように虫が鳴いている。
「それよりどうしたんです? 明日は出発ですよ」
「ちょっと寝付けなくてな」
そう言ってやっとジュレルディは俺に顔を向けた。その夜の闇に浮かぶ白い顔は、やっぱり月の女神の様に美しく輝いている。
「ベッドに横になっては見たんだが、明日にはここを離れると思うと、いても立ってもいられなくなってな。つい、ここに足が向いてしまった」
「いても立ってもって、なんです?」
「私にとってここは特別な場所だ。それまで、私の事を大切だと言ってくれる人はいなかった。でも今は違う。この世界にそう言ってくれる人がいる。自分以外の人が自分の事を大切と言ってくれる。それは凄い事なんだ。そうだろ?」
ジュレルディはそう言うと、さらに自分の身体を強く抱きしめた。自分の言葉に改めて気が高ぶっているのだ。
カシェードやユイファ、そして俺が転生する前のアルシオにとってもジュレルディは大切な仲間だった。でも今彼女が言っているのはそういう意味じゃない。
「星も。すべてのものが違って見える気がするんだ」
そういってもう一度夜空へと目を向けた後、クスリと笑ってまた俺に視線を戻した。
「私を大げさだと思うか? アルシオ」
「いえ。そんな事はありません」
この世界のアルシオは女性にモテまくっていたみたいだけど、勇雄としての俺はそうじゃない。
もし優佳がそう言ってくれたとしたら、俺も毎晩眠れず夜空を見ていたかも知れない。アルシオにはジュレルディの言っている事は分からないかも知れないけど、俺には十分理解できた。
ふと、ぞくっと背筋が寒くなった気がした。何故かは分からない。何が凄い違和感が背筋を通り過ぎたのだ。
「本当はもう寝ないといけないんだが、ベッドに戻ってもどうせ眠れそうに無い。少し話そうかアルシオ。いや、私が眠れなくてもお前は眠たほうがいいな」
「いえ。大丈夫です。お付き合いしますよ」
内心の動揺を隠し、場所を移して大木の幹に2人で寄りかかって座った。やっぱりそこでも虫が鳴いていた。
「そういえばお前、生まれはトゥーザだと言ってたな。どんなところだ?」
どんなところって言われても、実際それはアルシオの記憶の話だ。とは思いながらもこたえない訳にはいかない。勇雄の子供の頃の記憶とごっちゃになり、苦労しながらも「思い出す」。
「トゥーザって言っても広いですから。俺が生まれたのはその中でも特に辺鄙なところにある小さな村でしたし、何にも無かったですよ」
「なんとなく分かる気がするな」
ジュレルディはそう言って微笑む。頭目としての立場から解放された柔らかい笑顔だ。
「分かるんですか?」
「ああ。だいたいな。ついでに当ててやろう。お前、子供の頃から腕っ節が強くてガキ大将だっただろ?」
彼女はにやりと笑い、指を2本俺の顔に向けた。
「ええ。当たりです。でもどうして分かるんです?」
「僧侶や魔法使いになるには特殊な訓練が必要だが、ある程度大きな町や村じゃないとそういった施設はないからな。だから戦士や射手は小さな村の出身者が多い。そして腕力に自信が無いなら射手になる。腕っ節が強いなら戦士だ」
「なるほど」
思わず苦笑した。そんな事まで分かるのか。さすが一流の渡者なだけはある。
「もっとも、そういう奴が多いってだけで、小さな村の出身者でも大きな町にでて魔法を学ぶ者もいるし、大きな町出身でも戦士を目指す奴はいる」
「まあ、そうですね。でも俺はその例外じゃないですけど」
俺がそう言うとジュレルディは少し大きく笑った。
「もっとお前の事を聞かせてくれ。お前の事を良く知りたいんだ」
その言葉にゾクリとし、言葉に詰まった。
「どうしたアルシオ?」
急に固まった俺をいぶかしみジュレルディが顔を覗き込んできた。
「いえ。何でもありません。大丈夫です」
そうこたえ、また必死でアルシオの記憶を探り、子供の頃の話をジュレルディに聞かせる。でもそれは、テレビで見ているドラマの内容を電話越しに説明するみたいなものだった。
ジュレルディが自分を抱けといったのも、今までのアルシオとの関係があるから。それは分かっているつもりだった。でも今、はっきりと分かった。ジュレルディがもっと知りたいと言っている人間は、勇雄じゃない。アルシオだ。
そもそもこの世界に勇雄なんていう人間はいないんだ。じゃあ俺は誰なんだ? やっぱりアルシオなのか? いや、アルシオももういない。アルシオの意識は、俺が――塗りつぶした。もうこの世界から消え去ってしまった。
「一度お前の村に行ってみたいな。アルシオ」
ジュレルディはそう言って微笑む。月の明かりに照らされ輝く彼女の瞳に、勇雄でもアルシオでもない男が映っている。
まだ、虫が鳴いていた。




