第9話:夜の後
「イサオ。こんなところで何やってるの?」
友達の家に遊びに行く途中、たまたま顔を合わせた優佳がそう言った。
ああ、夢だな。間違いない。その証拠に優佳の背が小さい。小学校の……低学年だったか高学年に上がるところだった……はずだ。
「誰がイサオだって? 俺の名前は勇雄だよ」
俺は違う名前で呼ばれた事に抗議したけど、優佳は不満げに口を尖らせた。
「でも今日学校で習ったけど勇者のユウに雄って書いてもユウジって読まないわよ。勇雄だったらイサオよ」
う! 確かにそうかも。だけど俺はずっとユウジってお父さんとお母さんからも呼ばれているし、学校の先生だって俺の事をユウジ君って呼んでいる。間違いないはずだ。
「いや俺はユウジなんだよ!」
「イサオよ。イサオ!」
結局この他愛もない言い争いは、2人で俺の家に向かい俺の母にどっちが正解かを問いただすまで続いた。
そして勇者のユウと英雄のユウで、ユウが二つだからユウジって、よく区役所の人が認めてくれたものだ、と3人で笑ったのだ。
――ん? と目が覚めるとやっぱり前世で、牧場のお爺さんが用意してくれた部屋のベッドに身を横たわらせていた。そして昨日の夜の事がまざまざと思い出された。
優佳に相応しい男になるとこの世界に来たのに、いったい何をやっているんだろう、と罪悪感に襲われる。もし元の世界に戻ったとしてもどんな顔をして優佳に会えばいいんだ。
俺がベッドの上でグダグダと考えていると、カシェードの
「もう朝だぞ。とっとと起きろ」という声が聞こえてきたのでベッドから起きだした。朝食をとる為、いつものように居間に向かう。
部屋に入ると早速ジュレルディと目が合った。俺と目が合うと少し俯いて口元に笑みを浮かべ、すぐに表情を引き締める。カシェードとユイファの手前ってものがある。
アルシオの記憶にはない、素直な笑みをジュレルディが向けてくれるのに嬉しくなった。優佳の事を考えるとその笑みにこたえるのにちょっと躊躇したけど、ジュレルディが悪い訳じゃないと俺も笑みを返す。
朝食の固いパンをちぎりスープや牛の乳で胃に流し込む。ジュレルディをはじめ他の仲間も黙々と固いパンを咀嚼している。
皆が食べ終わると、普段はすぐに作業を開始するのだが、俺とジュレルディは母屋の裏にいた。その前に話があるとジュレルディに呼び止められたのだ。
「アルシオ、少し話があるんだ。ちょっといいか?」
みんなを前にしている時の凛とした声だ。だが表情は硬く、その声に俺と同時に振り向いたカシェードが
「何をしでかしたか知らないが、お気の毒にな」
と俺の肩を叩いた。
ジュレルディに連れられ母屋の裏に来たが、彼女は背を向け少し俯いたまま口を開かない。俺もせかさず黙ってジュレルディの言葉を待った。
しばらくすると意を決したのか、俯いていたジュレルディの頭が少し持ち上がる。
「昨日はすまなかった。確かに急ぎすぎたようだ」
そうは言ったもののジュレルディは俺に背を向けたままだ。
「いえ……。ですがやっぱりこういう事は、もう少しゆっくりと分かり合っていく方がいいと思います」
昨日の夜、優佳を想い自制心を総動員し何とか踏みとどまることに成功した。そしてもう少し時間をかけようと提案したのだ。
ジュレルディは確かに美しい。アルシオの記憶で尊敬できる女性だということも分かっている。しかも、彼女から抱いて欲しいとまで言われている。でも、だからって今の俺はアルシオだとしても、優佳を忘れ、あったばかりの女性の誘いにほいほいと乗る訳にもいかない。
もちろんジュレルディは、俺の事を一緒に旅してきたアルシオのままと思っている。あったばかりの男を誘ったつもりはない。それどころか、以前からアルシオに好意を持っていたというのだ。
女だてらに渡者の頭目。仲間を気遣い優しい心を持っているが強い女性なのだとアルシオの記憶にはある。その強い女性が、本当はとても繊細で傷付いていると知った。それをさらに傷つけるという事がどうしても出来なかった。
でも、それでも断らなかったことに、優佳への後ろめたさはある。いつかはジュレルディにもはっきりと言わないといけない時が来る。だったら早めに断った方が彼女を傷付けなくてすむかもしれない。
そうは思っても、強いはずの彼女が俺の顔を見ることも出来ず背を向けたまま喋っている姿に、俺にはそれが出来なかった。
「それで……なのだがな」
「はい」
あれこれ考えていた俺はジュレルディの言葉に反射的にこたえ、改めて彼女の背を見詰めた。
「昨日も言ったが、お前の言葉が本当なら、それを私に信じさせて欲しい」
「え……とそれは……」
まさかやっぱり抱けっていうことか?
それはさすがに回避せねばと戸惑い言いよどむと、彼女にも俺の戸惑いの理由が伝わったのか、とたん僅かに見える彼女の耳たぶがみるみる赤く染まった。
「ちっ違うんだ。そういう事じゃなくて……。お前がその……なんだ。今まであちこちの村や町に立ち寄るたびに、そこの女達と遊んでいたのは私も知っている」
あ、そういえばアルシオはジュレルディやユイファは射程外と、彼女達に隠そうともせず女遊びを繰り返していたんだっけ。自分の前世ながらなんて神経の太い奴なんだ。
まさか、それで糾弾されるのか? そんな事をしておいて今度は自分を誘うのかって。でもそれは俺じゃなくてアルシオなんだ! っていっても仕方が無いか。ジュレルディにとって俺は間違いなくアルシオなんだ。
「で……だな。私の事を考えてくれているなら、そういうのはもう止めて欲しいんだ。そうしてくれたら私はお前を信じられる」
「ジュレルディ……」
なんだそんなことか。
「もちろんですよ。他の女となんてもう遊びません!」
責められることを覚悟していた俺は、拍子抜けし反射的にこたえた。ジュレルディにしてみれば当然の要求なのだ。それをこんなに遠慮がちに言ってくるなんて、いじらしいじゃないか。
「本当か。アルシオ!」
背を向けていたジュレルディがそう言いながら俺に向き直った。輝くような笑顔という言葉は彼女の為にある。そう思える程の美しい笑みを俺に向けている。その輝きに包まれたかの様に俺の心は満たされた。
「え。ええ。本当です」
気付くと、ジュレルディの笑顔に見とれたまま呆けたように言っていた。その時、真実そうこたえた。この笑顔を得る為なら、守る為なら何でも出来る。
「そうか。ありがとうアルシオ」
さっきは不安そうに背を向け問いかけた彼女が、今笑顔を向けそう言って近寄ってくる。その行動は、そのまま彼女の心だった。俺を疑う事無く素直な好意を寄せてくれている。
俺もその素直さに惹かれるようにして彼女に近づいていった。
改めて皆と集まり、貯蔵庫へと向かった。
「で、どうした? 長かったじゃねえか」
カシェードがそう言って俺の腕を肘で軽く叩く。
アルシオの記憶ではこんなに人の事を詮索する奴じゃないんだがな。やっぱり俺の様子が違うのに気付いているって事か。
「別になんでもない。ジュレルディとの話が長引いただけだよ」
実際そうだしその通りに言うと、カシェードは少し顔をしかめ先頭を行くジュレルディの背に目を向けた。
「なんだか、あいつも浮かれている感じがするんだよな……」
そう呟くと後は口を噤んだ。俺もこっちから突いてはやぶ蛇だと押し黙る。ジュレルディはみんなの前ではいつも通りにしているつもりみたいだが、カシェードは何か感づいているようだ。
射手同士の戦いは先手必勝。的を外すのは論外だが、数センチ単位の精度の差なんて実戦ではさほど問題にならない。気配を敏感に察知し先に相手を見つけ矢を放った方が勝つ。
射手っていう職業柄か、カシェードは中々鋭いところがある。転生してきたって話すわけにはいかないから、何か上手い理由をでっち上げて誤魔化さないといけないみたいだ。もっともその上手い理由ってのがまだ思いついていないので、それはおいおい考える。
この時俺は気軽にそう考えていた。この事で命の危険にさらされる事になるとは、思いも寄らなかったのだった。




