プロローグ
「なあ、俺がお前のこと好きだったの知ってたか?」
夕日に照らされ、旧校舎の教室がオレンジに染まる。横たわる少女の白い肌も同じ色に染まり、眠るように目を閉じていた。
学校一の美少女で、俺の幼馴染。最後に顔を見ていたかったけど、その願いすら叶わないみたいだ。今この部屋には毒ガスが充満していた。だがガスマスクは1つしかなく、彼女の口に、その1つを押し付けていた。
その腕の感覚がなくなってくる。視界も霞み、彼女の顔もぼんやりと消え始めた。
ああ、もうすぐ死ぬんだな。そう思うと不思議と冷静になった。遠くで「カァァ」と聞こえ、鴉が鳴いているな。のん気にもそんな事を考えた。身体に力が入るうちに、彼女を抱えて部屋から逃げ出していれば死なずにすんだかもしれない。今更ながら気付き、思わず苦笑する。
部屋には、甘く、そしてカビくさい臭いが充満していた。でも俺には、それが毒ガスの臭いなのか、この教室の臭いなのかも分からない。
教室の扉は閉じていない。毒ガスっていつまで効果があるんだろう。いずれ薄まるんだろうけど、それがどれくらいの時間なのか、その知識もない。
とにかくガスマスクを押し付け続けるしかない。もう手の感覚はなかった。霞む視界で、ぼんやりガスマスクを手にしていると見えるだけだ。力尽き手を離せば、彼女は死ぬかもしれない。
前のめりに倒れ彼女に覆いかぶさり、肩と頭でガスマスクが外れないように固定した。
数年ぶりに彼女の身体に触れた。小さい頃は男女の違いも意識せずふざけ、じゃれあったりもした。でも、小学校の高学年になる頃にはそれもなくなった。その頃から俺は、彼女を女の子として意識していたのだ。
中学校に入ると手を触れ合う事も稀で、高校に入ってからは、いつ何処でかも全部覚えているほどだ。それも俺からじゃなく、彼女の方から何気に触れてきただけだ。彼女にとってはいつまでもただの幼馴染で、俺を男として意識していなかったんだろう。彼女は、学校一の美少女で成績も優秀。精々普通の俺とは全然つり合わない。だから想いを打ち明ける事もなかった。
もはや目を開けている必要も、その力もなくなり閉じる。
俺の胸に触れた、彼女の身体は柔らかかった。そして暖かい。身体どんどん麻痺し感覚が無くなっていく中、それだけは感じられた。
目も見えず、もう耳も聞こえなかった。でも、彼女の身体は柔らかく、暖かい。
漆黒の闇と静寂。その中で、柔らかい、暖かいという感覚だけが、俺を現世に繋ぎとめている。それが消えたとき、俺の命も消えるのだ。
柔らかい。暖かい。柔らかい。暖かい。柔らかい。暖かい。柔らか……い。暖……かい。柔らか……。暖か……。柔ら……。暖――――。