写真選びと一歩
三枝が椅子を引いて、僕の横ではなく、少し斜め前に座った。距離は手を伸ばせば届くくらい。
マウスを握る指が軽く動くたび、カチカチと乾いた音がした。フォルダを開くと、サムネイルが並ぶ。
どれも同じ校舎裏で、同じような角度で、同じような影の濃さ。最初に目に入ったのは、白黒だった。
「全部、モノクロなんだ」
「うん、フィルム撮影してるから。てか、始業式のフォルダじゃなかった。ごめん間違った。」
三枝は目的のフォルダを開き、一枚ずつ開いていく。
部室の窓の外で、運動部の掛け声が遠くに聞こえた。こっちは静かで、キーボードの打鍵が目立つ。
「これ、無難でよくない? 掲示に使うなら」
「無難って言うなあ」
三枝は笑って、でも頷いた。笑った口元だけが画面の光で白く見える。
「この辺と、この辺。あと、集合のやつ」
「オッケー」
チェックをつけていく。
ピントが甘いのは外す。目が半目のは外す。背景がうるさいのも外す。消去法みたいな選び方で、どれも問題がないものだけが残っていく。
「高瀬、選ぶの早いね。……こういうの、慣れてる?」
「別に。間違いが少なそうなの選んでるだけ」
「それが早いってことじゃない?」
三枝は言いながら、次の写真を開いた。
写真選びは順調に進んでいった。先ほど、見た三枝が撮る写真を見て気になった事を聞いた。
「人、よく撮るの?」
「好きだから」
短く返ってきた。
「風景とか撮らないの?白黒の写真だったし。」
「撮るけど、優先順位が下がる。顔のほうが……」
三枝は言いかけて、マウスを止めた。
「あと、モノクロだと、顔がわかりやすいんだよね。それでね、その人が写真を撮られた時に
どんな事を考えているのか考えるのが好き。」
「わかりやすい?」
「色があるとさ、制服の色とか、夕方のオレンジとか、そっちに引っ張られるでしょ。かわいいとか、綺麗とか、そういう判断が先に来るっていうか。モノクロだと、目の形とか、口の開き方とか、影とか、そっちが残る」
「……それに」
言葉が続いて、三枝の声が少しだけ小さくなる。
「その人が何を考えてるかは、当たらないことのほうが多いけど、表情って、ちゃんと出るじゃん。出てるのに、本人は気づいてないこともあるし」
へえ、と声に出すのは簡単だったけど、喉で止めた。
僕は画面を見たまま。「ふーん」とだけ返した。
三枝は僕の反応を待つみたいに一瞬止まって、それから急に早口になった。
「もちろん、私が勝手にそう思ってるだけで、全然違うって言われたらそれまでなんだけど。あと、モノクロって失敗も誤魔化せるし。色の変な転び方とかないし。いや、誤魔化すって言い方もあれだな……」
言いながら、自分で自分の言葉に引っかかったみたいに口を閉じる。耳が少し赤くなっているのが、画面の明るさでわかった。
「……なんか、語りすぎた」
「別に。いいんじゃない。」
僕は画面のチェック欄をひとつ増やした。
選び方は相変わらず無難なままにしておく。そういうのが、一番揉めない。
三枝は椅子の上で小さく座り直して、背もたれに一瞬だけもたれた。スカートの裾が擦れる音がした。
「私がしておくから、プリント。サイズこっちで適当に選んでいいよね」
「助かる」
「助かる、って言うしかないでしょ」
三枝は笑って誤魔化すみたいに、またマウスを動かした。
カチ、カチ、と音が戻る。
僕は変わる写真を追いながら、さっきの三枝の言い方を頭の隅に置いたまま、表には出さないようにした。
出したところで、どう続けるのか自分でもわからない。
「じゃ、これで一旦、候補できたね」
「うん。無難」
「また言った」
三枝は肘で軽く僕の腕をつついた。痛くはない。
部室の空気が少しだけ動いて、少し動揺してしまった。
「……あ、今の、やりすぎた?」
「別に。大丈夫。」
僕が同じ言葉を繰り返す。
「それ便利だね」と笑って、画面の保存ボタンを押した。
プリントの束を机の端でそろえると、紙の角が小さく鳴った。
部室の窓は半分だけ開いていて、夕方の風が、乾いた埃の匂いを運んでくる。
丸椅子の脚が床をきゅっと擦れて、音がやけに遠くに響いた。
「これで、今日の分は終わりだね」
三枝がチェックペンを指の間で回して、最後の一枚に小さく丸を付けた。
丸のインクが乾くまでの一拍があって、彼女はペンを机に置く。
「うん。助かった」
僕が言うと、三枝はプリントを二回トントンと叩いて揃えた。
「うん。もう帰っても大丈夫だよ、高瀬」
その言い方が、先生や部長みたいで何となく偉そうに見えた。
僕は鞄の口を開けて、ノートを押し込む。
ファスナーが途中で引っかかって、指先で布を押さえ直した。
「ありがとう。写真選び、思ったより楽しかった。」
「こちらこそ。楽しんでもらえてなにより。」
三枝はマウスでPCの操作を少ししてから、椅子から立ち上がった。
僕も立って、椅子を机に寄せる。
脚のゴムのすべりが悪く少してこずった。
「じゃ、戸締まりは……」
「私やる。高瀬は先でいいよ」
「助かる。ありがと」
「どういたしまして」
鍵の束が机の上でじゃら、と鳴る。
三枝がそれを拾って、手の中で一回握り直した。
僕は鞄を肩にかけて、部室のドアの前まで行く。
廊下の光が細い帯になって、床に伸びている。
戸に手をかけたところで、
「待って、高瀬」
呼び止められて、手が止まる。
振り向くと、三枝が棚の前でフィルムカメラをもう持っていた。
首から下げていたのを、両手で構える。
肘が少し外に張って、ファインダーが彼女の右目にぴたりと当たる。
「え、今?」
「うん、今」
言い終わる前に、彼女の指がシャッターボタンに沈む。
カシャッ。
乾いた一音が部室の中で跳ねて、窓の外の部活の声が一瞬だけ遠のいた気がした。
僕は反射で口を開けかけて、閉じる。言葉が出る前に、三枝がカメラを少し下ろす。
「動いた」
「急に言うからでしょ」
「だって、今がよかった」
三枝はニヤッとした。
口の端だけ上げる笑みで、目の方はまだカメラの位置を確かめるみたいに僕を見ている。
「もう一枚?」
「やめとく。帰るとこがいい」
言いながら、彼女が一歩だけ前に出た。床板が軽く鳴って、距離が詰まる。
僕は半歩引こうとして、ドアが背中に当たって止まった。
ノブが掌に冷たい。
三枝はそのまま、カメラを胸のあたりに抱えて、近い距離で僕の顔の辺りを一瞬だけ見て、すぐ視線を外した。
棚のラベルに目をやるみたいな動き。
「じゃ、行って。気を付けてね。」
「うん。先、帰る」
「またね、高瀬」
「また」
僕はドアを開けて廊下に出ようとする。
背中側で鍵の束がまたじゃら、と鳴って、三枝が部室の窓を閉める音がした。
部屋を出た僕は、そのまま歩き出した。




