普段と部室
チャイムの余韻が消える前から、教室はもう次の授業の準備の音で埋まっていた。
椅子を引く音、ペンケースのファスナー、窓際のカーテンがこすれる音。
始業式から一週間、クラス替えの「新しい」がようやく、「いつもの」に混ざってきた。
僕の机の上には、次のノートとシャーペンだけ。机の横にかけたバッグも、きちんと口が閉じている。
周りの席にはいつの間にか誰かが寄って、机を囲んで笑っているところもあるのに、
僕のところだけは通路の風がそのまま抜けていく。
「高瀬、さっきの英語のとこ、訳どっちだっけ」
声がした方向に目を向けると、友人がプリントをひらひらさせていた。
僕は椅子を少し回して、指で該当箇所をなぞる。
「ここは『〜するはずだった』でいい。先生そこ好きだから」
「助かった。お前、こういうのいつも覚えてんだよな」
笑いながら友人が自分の席に戻る。
机の端に置いてあった消しゴムを手のひらで転がして、僕も立った。
自分の席で待ってるより、動いたほうが早い。通路を挟んだ向こう側、新しく同じクラスになった連中のところへ行く。
「ねえ高瀬、今日の体育って何だっけ」
「バスケ。たぶん。……いや、雨なら卓球かも」
「両方室内なのに天気で内容変わることある?」
「バスケは当たり前だろ」
「どういう事?」
って声が重なり、笑いが起きる。机の上に置かれたスマホを誰かが指で滑らせて、時間割の写真を拡大した。
「ほら、バスケって書いてある」
「うわ最悪」
「高瀬はできそう」
できそう、って言われて肩をすくめる。できるともできないとも言わないで、笑っておく。
「走るのはまあ。シュートは運」
「運って言うなよ」
机の角に肘をついて覗き込む形になって、ちょっと首が痛くなる。僕は一歩引いてスペースを空けた。
輪の中に入りきらない場所が、いつも自分にちょうどいい。
昼休み、今度は窓際のほうへ移動する。弁当を持ったまま、空いてる椅子の背に手をかけて。
「ここいい?」
「どうぞどうぞ」
と箸が振られて、僕は腰を下ろした。
「高瀬ってさ、毎回いろんなとこいるよね」
新しく話すようになった女子が、海苔を箸でつまみながら言った。
「うん。落ち着かなくて」
「自分の席で食べればいいのに」
「僕の席、風通し良すぎるから」
言ったあと、自分で変な言い方だと思って、笑って誤魔化した。
周りも笑ってくれて、会話はそのまま弁当の話に流れる。卵焼きが甘いとか、唐揚げが昨日の残りだとか。
醤油の小袋を開ける音が小さく弾けた。食べ終わると、「ごちそうさま」と手を合わせて立った。
窓際の輪に残るでもなく、通路をゆっくり歩いて、自分の席に戻った。
机の上はさっきのまま、ノートとシャーペン。そこに手を置くでもなく、また別の机へ足が向く。
完全に切ってしまえば楽、みたいな考えが頭をかすめて、すぐに消える。そんなことはしないし、できもしない。
行ったり来たりのまま、今日も口だけは回る。変わってない、とぼんやり思う。
でも、この感じにはもう慣れてる。次のチャイムが鳴る直前、僕はようやく自分の椅子を引いて座った。
周りの笑い声は、少し遠くで続いていた。
終礼のチャイムが鳴って、椅子が床をこする音が一斉にした。
担任が手を叩いて、まだ立ち上がりかけた空気を押し戻す。
「えー、広報委員。ちょっと頼みがある」
黒板の前で先生がプリント束を持ち上げた。
「来週の部活紹介の掲示用ビラ、下書きだけでも作ってほしい。あと、始業式のときの写真、何枚か欲しい。校内掲示に使う」
「指定とかなにもなくですか?」
三枝が聞くと、先生は頷いた。
「なんでもいいぞー。始業式ってわかれば。」
机に戻ると、隣の三枝が広報委員のファイルを抱えて立っていた。
透明なクリアファイル越しに、白い紙が何枚もずれて見える。
「高瀬、放課後ちょっと時間ある?」
「まあ…部活入ってないし」
「じゃ、写真部行く?」
三枝が言って、廊下側へ顔を向けた。教室を出ると、廊下は西日で片側だけ明るい。
窓のサッシに指をかけた生徒が、がたんと開ける音がした。
「始業式の写真、どこにあるの」
「部のPCに入ってる。去年のとかも混ざってるけど」
三枝は歩幅を合わせるみたいに、少しだけ速度を落とした。
靴音が二つ並ぶ。写真部室は特別棟の端で、ドアのガラス窓に。
「写真部」とテプラが貼ってある。
開けると、薬品っぽい匂いと古い紙と埃っぽい匂いがした。
中は思ったほど物が多くない。机が二つ、パイプ椅子が数脚、棚にファイルと段ボールが少し。
壁に写真が数枚だけピンで留まっている。
「今日、他の人いるの?」
「んー、たぶん来ない。うち、ゆるいから。全員集まること、あんまないよ」
言いながら三枝は窓のカーテンを指で払って、棚の上からノートPCを降ろした。
部室の奥に、小さな扉がもう一つあった。
黒いカーテンが二重に掛かっている。
「それ、何」
「暗室。フィルム現像と印画紙焼くやつ。光入るとだめだから、こういう感じ」
三枝がカーテンの端をつまんで少しだけめくると、内側は赤っぽいランプの色が残っているみたいに暗い。
「映画とかで見たことある。本当にあるんだ」
「暗室使うのは、ほとんど私だけ」
そう言ってカーテンを戻す。布が擦れて、さわっと鳴った。
机に戻ると、三枝がPCを開く。
起動音のあと、画面が青白く光って、部室の机の傷が浮いた。
三枝がマウスを握り、僕に少しだけ画面を寄せる。
「じゃ、掲示に使えるの選ぼっか」




