初対面?と委員
息が漏れただけの様な小さな声に反応して、隣の席を見た。視線がぶつかった。
一拍遅れて、彼女がぱちっと瞬きをして、口角だけ上げた。僕のほうは、まばたきの回数が増えた。
「おはよう」
軽い挨拶が先に落ちてきた。声は大きくないのに、教室のざわざわの隙間を通る。
「あ、うん。おはよう」
返すと、彼女は机の横にかけた鞄の口を指で押さえて、少しだけ体をこっちに向けた。
「隣、よろしくね。三枝ひより」
名乗り方がさらっとしていて、僕も遅れないように口を動かした。
「高瀬恒一」
「うん。高瀬だよね」
僕は一瞬、言葉が引っかかった。まるで初めから知ってたみたいだ、って顔が出たのか、三枝は肩をすくめる。
「写真部でさ。入学式とか行事で、教室の写真撮るじゃん。名札とか、出席番号表とか、そういうので覚えちゃうんだよね」
「へえ……写真部」
理由は並んでるのに、どこか一個足りない感じがしてた。納得しきれないまま、話を続ける。
「写真部って、そんなに人の名前覚えるもんなの?」
「覚えるよ。撮ったあと困るから。あと、撮るとき呼ぶし」
「呼ばれた覚え、ないけど」
「今度呼ぶね。……って、別に変な意味じゃなくて、普通に」
「普通にってわざわざ言うと、普通じゃないみたいだろ」
「高瀬、そういう返しするんだ」
そう言われて、僕はノートの端を持ち上げて戻した。紙が擦れる音がした。
教室の前の扉が開いて、先生が入ってくる。ざわつきが一段落ちる。
「はいはい、席つけ。これから始業式な。体育館行くぞー」
椅子が一斉に鳴った。
「じゃ、行こっか」
「うん」
周りでは、名前を呼び合って友だちのところへ寄っていく。
僕たちもそれぞれの友人の元へ行き、移動していく。僕も廊下側に一歩ずれて、通路を空けながら、流れに混ざった。
教室を出て、列になりかけた人の背中を追って、体育館のほうへ歩き出した。
体育館の床は朝の冷たさが残っていて、上履きのゴムがきゅっと鳴った。
学年ごとに並べって言われて、立ったままで始まる始業式、密度が高く、息が詰まる。
僕も一回だけ身を引いて、すぐ流れに押し戻される。
壇上のマイクが。
「ゴホン」
と音を立てて、校長の声が体育館に広がった。
最初のうちは言葉を拾ってたけど、途中から同じ調子が続いて、耳が勝手に遠くなる。
窓の高いところから入る光が、ほこりを浮かせて見せていた。
まぶたが重くなって、瞬きの回数が増える。前のやつの襟足の寝ぐせだけがやけにくっきりしている。
「――以上です」
その一言だけははっきり聞こえて、周りの空気が一斉にほどけた。
思ったより早い。椅子がないぶん、立ちっぱなしの足がじんわりしびれてる。
校長の話が長い分、その他の連絡事項は短く聞こえ、思いのほか始業式は早く終わった。
「移動しまーす。押さないでねー」
先生の声に促されて、列が体育館の出口へ向かう。人の波に混じると、肩と肩が擦れて、何回も。
「あ、ごめんなさい」が飛び交った。
廊下に出た瞬間、外の風がちょっとだけ甘い匂いを運んでくる。
春だな、くらいのことだけ思って、すぐ前の背中に合わせて歩く。
二年の教室が並ぶあたりで、視界の端に三枝が見えた。
友だち二、三人に囲まれて、手をひらひら動かしながら話してる。
口元がよく動いて、相槌の、「うんうん」が足元まで届きそうな勢いだった。
近くの子が笑って、三枝も笑って、肩が軽く上下する。明るそうというか、元気そうというか、そう見える。
僕はそのまま歩きながら、視線だけ一回だけ戻して、すぐ前を向いた。
教室に戻ると、机の天板が朝の木の匂いを残していた。
「はい、委員決めやるよ。サクサクいくぞ」
担任が出席簿を片手に言って、黒板に委員名を書き始める。
学級委員、保健、美化、図書……名前が呼ばれるたび、返事の声が淡々と上がっていく。
手を挙げる生徒もいれば、もう眠そうに下を見てる生徒もいる。机の脚がこすれて、椅子が一つ鳴った。
「広報、二名。やりたい人」
しばらく間が空いて、誰かの咳払いが聞こえた。そのとき、三枝が迷いなく手を挙げた。
「はーい」
担任が「三枝な」と黒板に書く。
もう一人分の空白が残る。
「あと一人」
静かになって、僕は机の上の消しゴムを指で転がした。
角が丸くなってるやつ。ころ、と止まる。
「高瀬」
横から声がして、顔を上げると三枝がこっちを見ていた。顎を少し上げて、手はまだ挙げたまま。
「広報、一緒にやろ。ね」
「え、僕?」
「うん。高瀬がいい」
担任が、「高瀬、どうだ」とこっちを見る。
教室の視線も寄ってくる。逃げ道が薄い。
僕は喉の奥で一回だけ空気を噛んでから、手を小さく挙げた。
「……いいっす」
「決まり。広報は三枝と高瀬」
黒板の空白が埋まって、担任が次の項目に移る。
事務的な流れに、そのまま飲まれていく。
休み時間になって、三枝が僕の机に少し近づいた。
机の端に指先を置いて、軽く体を前に倒す。近い。
「ありがと。助かった」
「いや、まあ……なんで僕?」
「んー、なんとなく?」
言い方だけ軽くて、目はそらさない。僕は椅子の背にもたれて、肩をすくめた。
「雑だね」
「いいじゃん。素直なのはいいこと」
「はいはい」
僕が適当に返すと、三枝は一瞬だけ口角を上げて、それ以上は何も言わずに体を戻した。
椅子の脚が床をこすって、乾いた音が教室に残った。




