表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/16

写真と距離

三枝と並んで、一定の距離を保ったまま写真を見る。


触れない。触れられないから、見るしかない。


「……あ、これ」


三枝が指を伸ばす。写真には触れず、宙で止めたまま、吊られた一枚を指した。


「二人で並んで撮ったやつだよ」


言われて、視線を移す。水族館のガラス越しの光。反射した照明。


その手前に、僕と三枝が並んで写っている。並んでいる。少なくとも、写真の中では。


二人でその写真を見る。声を出さずに、同じ方向を向いて。


「私、可愛く撮れてない?」


不意に、三枝が笑顔でそう聞いた。


自分のことを言っているのか、それとも写真全体の話なのか、判断する前に、言葉が出てしまう。


「……うん、まあ」


深く考えずに返した自分の声は、やけに平坦だった。三枝は一瞬、目を泳がせてから、少しだけ顔を伏せる。


「……自分で聞いといて、なんか恥ずかしいな」


そう言って、誤魔化すみたいに笑う。僕は、それにどう返せばいいかわからず、また写真に視線を戻した。


沈黙が落ちる。乾燥中の写真が、微かに揺れる音だけが、部室に残る。


写真の中の距離は、いつも通りだった。近すぎず、離れすぎず。


そのことに、ほんの少しだけ、安心してしまう。


三枝は、まだその写真を見ていた。眉間に、うっすらとしわが寄る。そして、顔を少し近づける。


その動きに、胸の奥がざわつく。


「――あ、えっと」


僕は、慌てて別の写真に視線を移そうとする。指を上げかけた、その瞬間。


「待って」


三枝の声が、低く、でもはっきりと落ちた。


思わず、三枝を見る。目が、少しだけ大きくなっている。


「高瀬ってさ……」


そこで、言葉が止まる。


僕は、「なに?」と言えなかった。その先を聞いてしまったら、いけない気がした。


視線を逸らす。距離を置いていることが、もう見えてしまったような感覚が、胸の内に立ち上がる。


三枝は、ほんの一瞬だけ僕の顔を見たあと、視線を写真に戻した。


「……ん〜ん、なんでもない」


軽く首を振って、さっきまでの空気をなぞるみたいに言う。


「それで、どの写真だっけ?」


話題は、元の場所に戻された。戻された、というより、上書きされた感じに近い。


「えっと……そっちの、奥の」


自分でも驚くほど、適当な返事だった。三枝はそれに気づいた様子もなく、指を動かして別の写真を追う。


「これかな」


「……ああ、たぶん」


声だけで会話を続けながら、頭の中は別のところにあった。さっきの「高瀬ってさ……」が、何度も繰り返される。


言われなかった言葉。聞かなかった続き。


三枝は、もう普通に写真を見ている。表情も、さっきまでと変わらない。


それでも、直感だけが残った。知られた。気づかれた。


何に、とは言えない。確かめる気にもなれない。


写真は、まだ乾燥中で、触れない。僕たちは並んで、ただ見るだけの時間を続ける。


写っているのに、どこかに、いないまま。


写真が揺れるたび、その感覚だけが、静かに揺れ返していた。


「じゃ、今日は僕、ここまでで」


口に出してから、息の抜き方が変だった。それでも、この場から逃げ出したかった。


喉の奥が乾いてるのに、舌だけがやけに動く。三枝が、顔を上げた。


濡れた手をエプロンで拭きながら、僕のほうを見る。


目が合った、と思った瞬間に、胸の奥がどくんと鳴って、次もすぐ追いかけてきた。


鼓動が高いまま、制服のボタンのあたりが小さく震える。


「え、もう? まだ写真あるけど」


「ちょっと、用事。……家の」


言い訳の形だけ整えた声が、部室の壁に吸われた。三枝のまつげが一度だけ下がる。


そこから、いつもの調子で口角が上がった。


「そっか。じゃあさ」


「乾燥終わったらまた一緒に見ようね」


その言葉が、やけに真っ直ぐに耳に入って、頭の中で一回転した。


僕は返事の形を探して、のどが鳴るのを待ったけど、先に心臓がまた強く打った。


「……うん。」


適当に濁したつもりが、声だけが妙に硬い。三枝はそれ以上、近づいてこなかった。


ドアの前まで送ってもこない。引き止める手も、視線も、強くは絡めてこない。


なのに、さっきからずっと、見られている感じがどこかに残っている。


こんなに短い間で、気づかれるものなのか。


僕が、いつも通りに笑って、いつも通りに返して、いつも通りに一歩引いていたことを。


「今日はありがとう。」


「うん。気をつけてね」


軽い調子だった。軽いはずなのに、背中に残った。


廊下に出た瞬間、空気が少し軽くなった気がする。


写真部の部室から遠ざかるにつれて、床を踏む音が大きくなる。


階段を下りるとき、手すりが妙に冷たくて、指先が少し痺れた。胸の鼓動が落ちない。


三枝のさっきの目。あれ、見られてた、っていうより、測られたみたいだった。


僕がどこまで他人と距離を置いているのか。遠からず近からずの丁度いい距離を、みたいな。


誰かと近くならないように、踏み込ませない、距離を測る、芯に触れないように話を変えるか。


それでいつも、間に線を引いてきた。線の上を、相手がうっかり踏まないように、僕が先に動いてきた。


……今も、動ける。まだ、大丈夫。そう思ったのに、足が速くなっているのは、僕のほうだった。


昇降口で上履きを放り込む。


靴ひもを結ぶ指が、うまく輪を作れなくて二回やり直した。


外に出ると、夕方の風が頬を撫でた。


門の向こうが見えた途端、身体が勝手にそっちへ寄っていく。


逃げるみたいに、校門を抜けた。門柱の影が足元を横切る。


振り返らなかった。振り返ったら、三枝が立っている気がした。


でも、引き止めないって分かってる。


分かってるのに、胸のあたりが落ち着かない。


距離を置こう、って、言葉になりかけた芽が、舌の裏に引っかかったまま消えない。


歩道の白線を踏み外さないように、ただ足を前へ出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ