雪国にて
12月29日
執務室でPCを眺める。
…静かだ…
鬱陶しい黒島もアリッサも、甘えん坊猫のような魔王も、声量調整という言葉を知らないキングオーク擬きが発する騒音もない。
そのおかげで今日の今日まで全く気付かなかった、秒針を刻む音…この執務室に時計がある事に初めて気付いた。
PCの画面にはこれまでの報告書内容が映っているが、特に何か調べている訳でもなく、ただ見ているだけだ。報告書は終わっているし、停戦セレモニー以来、出動とも無縁だった。それでも部屋に籠らずここに居るのは、ここ以外の帰る場所があの誰も居ないアパートだけで、他にやる事がないからだった。
誰も居ないあのアパートに帰るくらいなら、例え無人でも仲間達の名残があるこの拠点に居たかった。
…独り身だった時は本を読んで過ごしたものだ。 …何度も同じ小説を読み回した。それでも退屈しなかった。 だが、毎日誰かに囲まれて過ごして来たせいか、今は本を読む気にもなれなかった。
…全く自分勝手なものである。独り身だった時は孤独と寂しさを苦痛とは思わなかったというのに、こうして孤独な身でなくなると、少しでも一人でいるのが辛く、人恋しくなる。
…ここで意味もなく時間を過ごすもう一つの理由は…
「お、お疲れ様です」
香山が盆にお茶を乗せて持ってきてくれた。
「ああ、香山。お疲れ。…ありがとう」
香山が居るからだ。…ここで意味もなく座っていれば、構ってくれるのではないかと…なんともさもしい期待をして待っていた。…彼女の人の好さにつけ込むようなやり口ではあったが、見事に功を奏した。…まさか茶まで淹れてくれるとは想定外だったが。
「年末年始は俺達だけになっちまったな」
「そうですね…」
折角だ、今日あたり、どこか夕飯にでも誘おうか…そう思い、香山を見上げると、いつもなら茶を置いてにこやかに去る香山が、今日は留まって唇を噛み、何か発しかけた言葉を飲み込んではまた口をわなわなと震わせている。
「…何か、あったのか?」
「え、えと…あの…」
「…まぁ、話してみてくれ」
「あの…大淵君。年末年始…私の帰省に付き合ってもらったり…できないかな?」
年末年始…帰省…
大淵の頭に一瞬、香山の両親に紹介される自分が思い浮かんだ。
「あの、新潟にある祖父母の家が無人になって。両親はもう戻るつもりはないから、処分する方針なんだけど、それで私に様子を見てきてくれって言われてて…あの、だめ…かな?」
「な、なるほど。そういう事か。だったらお安い御用さ。 …やる事がなくて暇だったし」
「よ、よかった…!その、結構山深い所だから、食べ物とかも買って行かないといけなくて。…大丈夫だと思うけど、雪崩とか起きちゃうとヘリで助けに来てもらわなきゃいけなくなるような所だから」
「そうなのか…それなら尚更、ご一緒させてもらおう」
「じゃあ明日、まず新幹線で…」
12月30日
当然ながら新幹線は帰省ラッシュの真只中で、座ることもできなかった。が、二人で何とか立てるスペースを見つけ、そこに肩をくっつけて収まった。
香山の肩越しに窓の外を見ていると、前に行った東北自動車道から見えたような景色に変わり、更にそこに雪を積もらせたような風景へと変わっていった。雪の上からでも、四角い田畑の後がはっきり見てとれた。
小雪が舞う駅で在来線に乗り換え、この地域では比較的大きめだという市の駅へ向かう。その市から更に小さな在来線に乗り換え、香山の故郷であるという町へ向かった。タイミングが良かったのか、席も殆ど空いており、二人で隣り合って座った。
たった一両の電車で、学生も目立った。…何やら最近の魔界…異世界を巡る動きについて興奮気味に話す声も聞こえたが、敢えて聞かぬようにした。彼らもギルド会員を目指すのかもしれない。彼らがそうでないにせよ、これから多くの若者や先見の明がある新進気鋭の企業が参入する業界となる事には違いない。
「なんだこれは…」
町の駅に出ると、ロータリー…というより、広い駐車場になっていたが、その周囲に二メートルを超える雪の壁が高々と積もっていた。
「こっちでは毎冬の当たり前の光景なんです」
マフラーの隙間から白い息を吐きながら香山が笑った。
香山が手際よく電車の中で手配していたタクシーがこちらに向かってくる。荷物を預け、その後部座席に二人で収まった。
「町中だけはコンビニがあるけど、私の集落にはあっても自販機くらいしかないから、欲しい物があったら今の内に確保しちゃってください」
香山にそう念を押されたが、コンビニで欲しい物は特にない。
そう伝えると、香山は近くにある地域のスーパーにタクシーを立ち寄らせた。元は農協の保有していたコープ…生協だったらしい。古い造りの店内にそれとなく名残があった。…自分の自宅近くの店に似た雰囲気があった。
香山はそこで三日分の食材と…万一非常食、カセットガスボンベ、最低限の日用品、そして一緒に酒類を選んで買い求めた。しかし地元の奥様に目敏く見つかったらしく、何やら捕まって質問攻めにされ、自分の方も見られている。
(まぁ、そうなるわな…)
無難に目礼してやり過ごす。
大淵は会計後の商品をバックパックや手提げ袋に詰めながら、そこのガラス窓から見える雪景色を眺めていた。小さな飲み屋、家屋、そして駐車場の車や、待たせているタクシーの屋根に、雪がしんしんと降り積もっていく。
買い物を終え、香山の故郷に向けてタクシーが出発した。
町中を通り過ぎ、里山らしい風景を抜け…山道に入っていく。
…とはいえ、秋田で斎城に連れられて行ったあの道に比べれば、どうという事はあるまい。こちらはきちんと舗装されているのだから…
視線を上げると、重くのしかかった雪庇が山肌の上から覗き込んでいた。その間に盾戦士のように落屑・落石止めの鉄骨組が割って入ってくれてはいるが、何とも圧巻な恐怖である。
「こ、これは凄い出迎えだ」
運転手が小さく笑った。
「お客さん、東京の人?ゾッとするでしょう? …ウチら地元の運転手でも流石に怖いんですよ。まぁ、ドライバーにとって怖いって事は、忘れちゃならない感覚ですけどね」
「だけど絶景ですね。…剥き出しの岩山が荒々しい。昔行った九州の山岳地帯を思い出すようだ…」
「え?大淵君…」
「あ、すまん…俺の思い出だ。…昔、出張で一回だけ。火山地帯だけあって、ここよりもっと険しい岩山がゴロゴロしていた。…古い水墨画とかで見る中国の仙人が住む山岳みたいに。…でも、そのどちらでもここみたいな雪景色で見る事はできないだろうな」
「秋は雪の代わりに紅葉で彩られるんですよ。それはもう綺麗で。…最近は猛暑のせいか、色づきが今一つな年があったりするんですがね」運転手が饒舌に応じた。
やがて、狭い道幅に目を見張った。
…狭い。元から軽自動車が辛うじてすれ違える程度の狭さだっただろうが、今は除雪後に左右に残された雪の壁が限られた路面を圧迫し、更に狭くなっている。…片側は例の厳めしい岩肌。反対は論外の絶壁。五十メートル下を、見るからに冷たい清流が流れ、川霧がしな垂れた枯草を凍らせたか、崖の壁面には見事な氷柱が幾筋となく飾り付けられている。
「あの氷柱、ライトアップできたら綺麗だろうな」
「ふふ、できたらちょっとした観光名所になるね」
いくつかの集落を通り過ぎた。秋までは店を開く場所もあるようだが、真冬である今はそれぞれの集落が冬眠したように静まり返っていた。チラホラと住民が玄関先で除雪用の大型スコップや、巨大な「除雪チリトリ」で家周りの雪を押し運び、崖下や水路に放り込んでいる。起床した孫か、五歳くらいの男児がお年寄りの前で雪にダイブしている。
「あぁ…この分だと家もマズいかな…」
香山が苦笑いした。
「ん?マズいって?」
「あぁ、お嬢さん、もしかして久々に別荘にでも帰ってきた?」
運転手がバックミラー越しに香山を振り返った。
「べ、別荘なんかじゃなくて…祖父母の居た家なんですけど、雪が降ってから誰も帰ってないから…」
「あー……」
ご愁傷様、と言わんばかりに運転手が微妙な顔で嘆息した。
「でもまぁ、ズクも力もありそうなあんちゃん連れているし、大丈夫でしょ」
「は、はい…」
「?」
「はい、お待ちどお様でした」
一軒の古い二階建て日本家屋らしきものの前でタクシーが止まった。
…らしきもの、というのは、その家の屋根にはたっぷり乗せたマシュマロの帽子かと思うほど雪が雪庇となって張り出し、一階の周りはおよそ六分目まで雪の壁で囲われているからだ。
「あ、ありがとうございました」
「それにしても秋川村にこんな芸能人か女子アナみたいな美人さんが来るとは。…この町もまだまだ捨てたもんじゃないねぇ」
運転手がそう笑いかけながら、元来た道を下っていった。
「…さて、俺の出番という訳かな」
「お、お願いします!」香山が手を合わせる。
「うむ。任せたまえ」
戦闘服を持ってこなかった事だけは少々後悔しているが、この肉体そのものが強靭であるお陰もあり、なんとかなるだろう。
バイク用の防水・防寒手袋をはめ、冬季戦闘ブーツの裾口をしっかりと締め、念入りにテープでゲートル状に巻いて隙間を無くした。雪の障害壁を踏み越えながら玄関口へと向かった。雪が吹き込まないよう工夫された玄関先に、例の除雪スコップやら除雪チリトリがある。…先ほど通過した集落の軒先で除雪作業していた老人達が使用していた物と同じだ。なら、使い方は見た。
…豪雪地帯だかなんだか知らねーがこちとら、幾多もの魔物と命のやり取りをしてきた汎用騎兵・大淵大輔だ。
奇しくも獲物は同じようなものだ。…大量処理に向くツヴァイハンダ―…除雪チリトリ。 一点突破に特化した騎兵刀…剣先スコップ。
「…行くぜ…」
…二時間後。
…勝利は勝利だ。全身を筋肉痛という無数の傷だらけにして、汎用騎兵・大淵はなおも立っていた。まずは香山からの助言に従い屋根の上…高所戦闘を片付け…一度だけ雪庇を踏み抜いて、地上にたっぷり積もった雪のクッションに助けられながら…それから庭先や家周りに積もった雪を用水路や崖下に放り捨て…戦いは終わった。
「う、うぅむ…」
肩が、腕が、腰が…悲鳴を上げている。
(使い方が悪いのか…或いはそもそも使う筋肉や力の使い方が違うのか…)
ともかく、疲労困憊の末に家周りの除雪作業を力ずくで終わらせる事ができた。
5時前となり、すっかり暗くなっていた。香山もただ待っていた訳では無く、一時間半前に開通させた玄関で鍵を開け、既に先行している。家の中には明かりが灯り、暖かな香りが漂ってきている。
(この匂いは…肉じゃがかクリームシチューかな?)
除雪器具を片付けて家に上がり込むと、左奥の台所からボイラーの大袈裟な音と共に煮込み料理の芳醇な香りが漂って来た。
正面の襖を開け、エプロンを付けた香山が恐縮して頭を下げた。
「お、お疲れさまでした。…すみません、なんだかいきなり重労働させちゃって」
「まぁ、歴戦の俺にとっては準備運動みたいなものだから」
筋肉痛を堪えながら余裕ぶって言った。
「あ、今ご飯作っているので、よかったらお風呂、お先にどうぞ?」
「いやいや、香山の後で良いよ」
確かに二時間も雪と格闘して汗ばんだが、お陰で体も真夏のように温まっている。
「は、早く入ってくれないと一緒に入ることになっちゃいますよ…! と、灯油とかプロパンとか、最低限しか残されてないからっ…」
香山が両手をわたわたさせながら懸命に説明した。…なるほど、それは魅力的ではあるが、燃料が限られているのは馬鹿にできない。切れたら泣こうが笑おうが終わりなのが燃料だ。…ン?金や弾薬もそうか…
「す、すまん、わかった…」
言い募る香山に背を押され、玄関から入って左手にある風呂場へと向かった。…その途中にあるトイレを覗いてみた。
「ああ、これが…初めて見た」
続いて風呂場へ。さすがに五右衛門風呂ではなく、シャワーもあり、ボイラーで温めるタイル張りの浴槽だった。…幼い日の香山が貼ったものか、壁のタイルにはポピュラーな国民的アニメの…経年劣化で色褪せたキャラクターの耐水シールが貼られている。
…そういえばこのキャラクターはどことなく香山に似ている気がする。控えめで温厚な性格や、外見に寄らず頼もしい戦闘能力…
「…お仕置きされちゃうぜ」
反対側の壁は下半分はタイル張りで防水処理されつつも、上半分が土壁で…驚いた事に、まるでアパートやマンションの管理人受付のように風呂場と玄関内を繋ぐ小窓がある。四六時中忙しく、毎日一人二人は誰かしらが尋ねてくる農家なりの、当時の設計思想によるものだったのか知れないが、極めて珍しい作りだ。一応、申し訳程度のブラインドが後付けで下ろされているが…
燃料節約を意識しながら体の汗を落とし、新しい衣服に着替え終えた。
風呂を出て、香山が出迎えた正面奥の襖を開けると、そこが居間となっていた。右手にテレビ、正面にストーブ、右奥には棚と固定電話機が置かれている。
そして左手には明らかに土間の上に増設されたボイラー室…兼・台所となっていた。
香山が奥の調理台に立ち、そこから良い香りが漂ってくる。
「香山、ありがとう。良い湯だったよ」
「あっ、どういたしまして。もうすぐご飯もできますから。そこの冷蔵庫に買ったお酒も入ってますから、お先にどうぞ」
「いや、今度こそ香山を待ってるよ」
「き、気にしなくていいのに…」
「そう言うな、相手無しで飲む酒はつまらないよ」
…我ながら良く言う。元は下戸だったくせに。
だが、さすがに酒や料理は香山を待っていて燃料が足りなくなる訳ではあるまい。家主は香山なのだし、折角なら一緒に楽しみたい。
「じゃ、じゃあ、簡単ながらご飯もできたので…」香山がそそくさと風呂場の方へと向かった。
しかし古めかしく、珍しい造りの家だ。極めて古い家だが、間取りとスペースの活用は現代建築にも通じるものがある。 …居間の中央にはACケーブルの無い炬燵…豆炭炬燵があった。これも自分が除雪作業に苦戦している間に用意してくれたのだろう。
あとは固定電話、テレビ、そして壁掛けの広報無線ラジオがあった。Wi-Fiなど知った事ではない、この家の唯一の通信機能だ。
テレビを点けてみた。…どの番組も和平条約締結を歓迎する報道ばかりだ。…まぁ、マスコミが和平に異論を唱える訳が無いが。
…ただ、今も報道されている…SNSと政府筋からのリークを中心に支持勢力を水面下で拡大化させつつある市民団体…「憂国烈士団」…この集団だけは気掛かりだった。
他の集団やクランは自分達と大差ない、若者たちによるビジネスと趣味を両立させたような業務の一環だ。猟友会に近い。
しかし憂国烈士団の掲げるスローガンは確か…
「お、大淵君…」
「ハイッ」
不意に意識の底から引きずり上げられ、間の抜けた…しかしハッキリとした声で返事をしてしまった。声の主は風呂場の方から声を掛けているらしい。
「す、すみません…ボーっとしてて着てた服、全部洗濯機に入れちゃった上に着替えもタオルも忘れちゃってて…ごめんなさい、私の黒いバッグをお願いします」
「ああ…黒いバッグだな。わかった」
夕飯は香山の作ってくれたクリームシチューだった。事前にスーパーで買い込んで来た肴をつまみながら香山と共にビールを呷った。
「今日だけでもすっごく助かっちゃいました。…一人だったら今頃ようやくご飯作りだした所でした」
「うむ、褒めてくれたまえ。…力仕事以外は保証しないが。 …慣れているようだが、よくこの家には来ていたのか?」
「最後に来たのは今年の夏でした。おばあちゃんが一人で住んでたんだけど、足腰がすっかり弱っちゃって…施設に入るための準備で、三日間泊まり込みました。といっても毎年、一回以上は来ていたんですけど」
「…思い出がありそうだな。壊すには何だかもったいないような気もする」
建築には詳しくないが、どの業界も職人が消滅する中、こういう古い家は壊してしまえば…二度と作れないのではないか?作れたとしても、下手な高級住宅より高くなりそうな気がする。
かといって、自分が買い取って住めるわけでも無い。
「そうなんですよね…でも、冬とか今見てもらった通り大変で…今までは近所の人が助けてくれていたんですけど、その人もお歳で施設に入っちゃって」
香山はビールを呷った。
「…けど、私は今のクランを離れたくないし…仮に辞めても、ここでどんな仕事をするか思いつかないし…結局、誰も欲しがらないし、処分するしかないのかな、って」
多分、同じような悩みを抱える人は少なくないだろう。
「…それにしてもあの風呂場の窓には驚いた」
「でしょう? お爺ちゃんが生きていた頃は、私も子どもでよく遊びに来てたんですけど、よく覗くフリしてからかってきて。私が怒鳴ると、駆けつけたおばあちゃんにも怒られていたんですよ。 …あの頃は良かったなぁ…」
「はは、今度は化けて出てきたりしてな。…可愛い孫がこんな美人になったんだから無理もない」
「そしたら少し嬉しいけど、除霊しちゃいます。私、ゴースト系を祓えるみたいなんですよ」
魔王救出の際、ルーヴァリスの町で交戦したポーンゴーストが思い浮かんだ。アレもやれるのだろうか。
夕食のシチューも平らげ、大淵は炬燵に行儀悪く転がりながらテレビを見た。後片付けを手伝おうとすると、香山から断固として断られた。
「大淵君はお客さんなんだから、力仕事以外は寛いでくれるのが仕事です!」と仰る。
…控えめに言ってこの空間は天国である。豆炭によって電気炬燵では味わえない、炬燵内が端から端まで均一に暖められており、そこだけ南国だ。酒をたっぷり煽り、美味い料理を御馳走された上でそこに行儀悪く寝転がって、年末の冗長な番組とCMをラジオ代わりに眺める。 …これ以上の贅沢があろうか?
「大淵君、寝る所、そこで良い?…というか、他の部屋は物置になっていたり掃除していなかったりで、そこと隣の床の間しかないんだけど」
見上げると、香山が寝具を抱えて立っていた。
「いいのか?ここは最高だ」
「朝起きる時、起こしちゃうけど我慢してね」
「踏んづけてもいいよ」
二人が過ごすささやかな家の外に、ルーフボックスを積んだ一台の白いSUVが停車していた。その運転席ではまだ新卒社員かと思うほど若い青年が、麓のコンビニで買ったチキン竜田弁当を頬張っていた。
「呑気ですよねぇ…まぁ、あんな可愛い娘に誘われたら、健康な男なら皆そうなるか」
軽騎兵・岡田輝明は保護対象である大淵を心の底から羨んだ。
「お前だってその一人だろ?」
後部座席から三種焼肉弁当の肉々しい匂いが漂って来た。
「そりゃあ…俺もこの通り男ですから。…でも、懸念されていたメリケンさんが大人しくしていてくれて、本当に良かったですね。俺はてっきり今夜こそチャンスと来るんじゃないかと思っていましたが。なんならカバーじゃなくて本当に、そこらの山でバックカントリーやっちゃいます?」
「いーや、当ってるよ。今夜こそ狙っていたさ。ただ、憂国烈士団の連中…情報戦が思いのほか厄介で、こっちに手を回せねーでいるんだろう。二課の連中も、連中だけは暑苦しい上に無駄に強すぎて手が付けられんとぼやいていたしな。 …いや、まだどこかでしぶとく狙ってるかもしれん。それにチャンスはまだ明日もある。俺達は気ィ抜いちゃならねーぞ」
後部座席に座る「拳闘士」堀一郎が弁当を食べ終え、買い物袋の中にゴミを無造作に放り込んで口を縛った。公安が誇る…いや、政府が自由に扱える手駒の中で、間違いなく最強戦力となる男だ。40を過ぎたばかりの厳めしくも柔和な顔が、ナイスミドルな漢の色香を放っていた。
アニキ、というには歳が離れすぎていたが、その比肩する者が存在しない格闘能力も相まって、自分以外にも堀を敬愛する者は男女問わず多かった。
「あと、熱々カップルにも可能な限り勘づかれちゃならねぇ。しかし、予定を聞き出しておきたい所だな。…まぁ俺達、年の瀬だってのになんとも優しい正義の味方だよなぁ」
「堀さんは奥さんと子供さん居ましたよね。怒られませんでした?」
「しっかり怒られたよ。…穴埋めとして3日にドリームランドで家族サービスだ。…これだけは例え目の前でどこぞのアホ将軍やボケ大統領がうろついていようが、何があろうと仕事もほっぽりだして行くぜ。家族を失ってまで続ける仕事なんざぁ糞喰らえだ」
「…まったく、ミスター・大淵には参りますね」
「そう言うな。好きで厄介者になったんじゃねぇ。寧ろ、俺達同様、命懸けで戦って、結果的に国益の為に働いてくれたのに、ろくでもない連中に目を付けられる羽目にしてしまったんだ。このくらい、罪滅ぼししてやろうじゃねーか」
「…そうですね」
家の明かりが消えた。犯罪と無縁なこの土地では、夜は玄関もろくに戸締りせずに明かりを消す家も多い。
後部座席の堀は望遠機能付き暗視装置を起動し、周囲を見回した。当然、後部座席は特殊なスモークが貼られ、外から中の自分を見る事はできない。眠気覚ましの緑茶を啜り、周囲に目を光らせた。
大晦日。
朝食のに出されたサンドイッチを頬張り、朝食後から香山の指示に従って家具や不要な荷物の整理、そして掃除を手伝った。…とはいえ、これらは香山の祖母が日々少しずつ終活として進めてくれていた事もあり、決して大掛かりなものでは無かった。昨日使った水回りや居間、床の間は簡単な掃除くらいで、全く手を付けなくて済む。
問題は物置になっている二階の二室と、一階の階段下にある一室だけだ。香山や祖母だけではどうにもならない、大型の家具などを玄関の空いたスペースにまとめて置いておくだけだ。当然、時期的に清掃会社も当分来れないので、これは雪が解けた頃、再び香山が処分しなければならない。
「その時はまた手伝わせてくれ」
相性か、家具の移動は雪かきより楽だった。重い木製タンスを抱えながら、階段を降りた。この程度なら戦闘服が無くてもなんとかなる。
「本当にありがとう…!一人じゃダメで…業者さんに頼むにしても、ある程度にしておかないと悪いし…」
「思いやりの塊だな、香山は。でも俺が来たいのは、単にここでのおもてなしが癖になったからだ」
「そそ、そんな事は…」
時計を見た。10時20分。
「そろそろ昼の支度があるんじゃないか?こっちはいいから、また美味しいものを頼むよ」
「簡単なものだけど、すぐに用意するね!」
家具を下ろし、背骨を伸ばしながら体を軽くストレッチし直した。被っていたタオルを払いに玄関先へ出ると雪は止み、気紛れのような美しい晴れ間が覗いていた。
「こりゃいい…」
晴れ間は一時的な物だろう。両脇の高い山々の頂には厳めしい鈍色の雪雲が掛かっており、晴れ間はその間に立ち寄った気紛れお嬢さん、といった所か。だが、その対比と雲を貫く陽光が神々しさすら感じさせた。…自分はカメラはやらないが、これは取っておきたい。
ブーツを履いて外に出た。足元に注意しながらスマートフォンを取りだして雪の階段を道路に向かって降りていく。ふと、白いSUVが通りかかった。後ろは見えないが、運転席には厳めしい男が座っていた。男は大淵と同じように、道路の向こうの崖から広がる空に釘付けになっているようで、大淵に気付かずに徐行で通り過ぎ、少し先の広めのカーブで車を停め、助手席から三脚とカメラを取り出し、撮影準備を始めた。撮影スポットを探す内にこちらへ近づき、ようやく大淵に気付いた。
「ああ、すみません!…こちらの御宅の方でしたか?」
スキーウェアにジーンズ、冬用登山靴という格好で、男はサングラスを外して頭を下げた。
笑顔になるとまた雰囲気が違って見える。いずれにせよ、俳優に居そうな渋い40代の男前だった。
「あ、いえ、このお宅に年末の掃除の手伝いにお邪魔しているだけです」
「そうでしたか、お忙しい所お邪魔して申し訳ありません。…写真、撮ってもよろしいですかね?」
秋田の旅館で会った写真家の男を思い出した。
「ええ、もちろん。俺も取ろうと思っていて。スマホですけど」
数枚、男と共に雪雲の晴れ間を撮影した。
「…ありがとうございます!年末年始をここでお過ごしですか。どちらからいらしたんですか?ああ、私は埼玉の方から」
「東京です。今日泊まって、明日の午前中に帰る予定ですよ」
「ああ、それはお忙しいですね。しかしそれが良い。ここは豪雪や雪崩で交通がストップする事がありますから…すみません、お邪魔しました。では、良いお年を」
「どうも。そちらも良いお年を」
男は再びSUVに乗り込むと、そろそろと去っていった。
「…って、いかん、危ない危ない…まだ作業があるんだった。…早く終わらせて香山とゆっくり年越ししよう」
午後三時。
片付けも大分捗り、もう決着はついたようなものだった。
おかげで二時まで香山と共に居間の炬燵で足をぶつけ合いながら昼寝をして過ごした。二階の窓ガラスから外を見渡すと、やはり雪が降り返して来ていた。香山が言うには初日に見たようにどっしりと積もる雪ではなく、地面に落ちて融ける様な小雪だという。
(それにしても香山のオムライス、美味かったな…向こうでもまた作ってもらおう)
こんな贅沢を味わっていると、帰った後で自分が自炊しなくなりそうで怖い。かといって香山の味は外食で味わえるものでも無い。
(弟子入りするか…?)
夕飯への楽しみを原動力に、最後の仕上げに取り掛かった。
午後九時半。
会席料理のような御馳走と、〆の特大海老天入り年越しそばを二人で楽しみ、紅白歌合戦をラジオ代わりに流しながら、香山と酒を酌み交わしながらこの家での思い出話を聞かせてもらっていた。自分の知らない人生の物語を聞くのは楽しい。酒がだいぶ回ったか、自分も香山もすっかり饒舌になっていた。
「えへへ、そうしたら閉じ込められちゃって。お爺ちゃんとおばあちゃんが必死で探してくれたけど、自分はずっと戸棚の中で疲れて寝てました、ってオチです」
「ははは、お祖父さんもお祖母さんも災難だったな。まぁ、似たような事は俺もある。…そっちと違って、完全に俺が悪ガキだったせいだが」
「大輔くんがやんちゃだなんて、今じゃ信じられませんねぇ」
「そんな事はないさ。今はいい子ぶってるだけだ」
…そうだな。昔は他の子ともこんなふうに気を置かずに接していた筈なのに。
…いつからか、気置くどころか距離を置くようになってしまった。…いい子ぶっている内に、笑顔を張り付かせた能面が取れなくなってしまったようだった。大人になり、歳を食うほどその面は皮膚に一体化し…そもそも、付けているのかどうかさえ分からなくなった。
行動そのものが「いい子」になっていたから。…しかしそれは、誰にとってのいい子だったのだろう?
「…俺は、君の知る本物の大淵大輔じゃない」
「…」
「…でも俺は君を知っている。…俺が53で心臓の病気で死にかけていた時、最後に看病してくれたのが…全く同じ姿の香山だった。…なんというか…変だよな」
『さぁ、今年も残すところあと一時間を…』
「悪い、変な話だったな。 ああ、今年ももうあと一時間も無いんだな…どうする?もう一本開けるか?」
「…どんな人でした?そっちの香山桜は?」
香山は缶酎ハイを受け取ると、ぐい、と傾けた。
「…香山と姿形まで一緒で、やはり思いやりのある素敵な子だった。看護師だった。…人生の最期の最期に、生きてて良かったと思えたよ」
自身も缶酎ハイを傾けた。
「…もし生まれ返れたら、こんな子と…なんてな」
…何を言っているんだ、自分は…
香山が席を立った。気を悪くさせただろうか、と慌てて顔を上げた。
「香…」
『今年も残すところ残り三十分!さぁ皆さんご一緒に!』
家の明かりが消えた。
「ありゃりゃ、あと三十分で年越しだってのに、変なタイミングで寝ちまいましたね。若いのにもう酔い潰れたんスかね?」
「…むしろ、若いからだろうな」
周辺を走査していると、異変に気付いた。凍った坂を歩いて、人影が歩いてくる。
…いくら田舎とはいえ、こんな時間に誰かが出歩くか。いや、百歩譲って町の飲み屋から歩いて帰ってきたとして、この先には車をUターンさせる広場があるだけで、人家はもうない。
…こんな時間帯に、この家を訪ねて来る手合いはごく限られている。
堀は後部座席を開け、外に出た。運転席の岡田はホルスターからシグを抜いて隠し持っている。
「コンバンワ、外事課のお兄サン♪ アラ…きゃっ、あの時代劇に出て来るニンジャのオジサマみたいで so cool Guy!」
メイルアーマーの上からでも分かる見事なボディラインと、腰にホルダーされたロングソードが暗い雪の中に映った。 …例の「留学生」だろう。
「こんばんわ、お嬢さん。…メンバーの方に何か御用ですかね?言伝であれば我々がお預かりしますが」
堀はにこやかに、しかし断固とした語調で応じた。
「アラ~、飛び入りサンカしようと思ったら、モウ飲み終わっちゃってる感じデスかね?…なんだか良い雰囲気してるみたいデスし、今日は帰りマスカネ~ ……大淵とはまだお別れしたくないデスし~」
留学生はあっさりと踵を返した。しかし、数歩歩いて思い出したように振り返った。
「それジャア、お兄サン達に言伝ヲバ! …憂国烈士団の情報部員サンは何人かご家族と共にフリョの事故に遭われたソーデス。…トシノセだというのに、悲しい事故デスねぇ。お兄サン達もお気を付けクダサイマシ」
そう言って、可愛らしい敬礼をして見せた。
…なんて事を…蜂の巣を突いて回るようなものだ。
「…それはそれは、ご忠告どう…」
「ムッシュ・堀も可愛い奥さんとキュートなお子さんが二人もイラッシャイマスしネ!七五三のお二人、お姫様にお侍様ミタイでベリー可愛かったデスねぇ!…だから、事故にダケは気を付けて下サイネ?」
「貴様…!」
拳銃を片手に運転席から出ようとする岡田を堀が制した。
「…恐縮です。やんちゃ坊主には毎日振り回されていますがね」
氷のような眼差しで留学生を見据える。
「ソンナ顔シテもダーメです♪私の大事なモノは皆さんが大事に守ってクレてるんデスから、あーんしん♪」
デハ、と留学生は振り返りもせずに悠々と歩き去った。
「…クソッ」
堀は悪態を吐き、雪空を見上げた。時計は既に12時を越えていた。
帰りのタクシーの中で揺られながら、大淵は思い切って言った。
「…俺が引退したら、あそこに住みたいな。…あの町で何か仕事を見つけてさ」
「えっ…」
「いや、そちらの家の事情があるならそれでいいんだが」
「い、いえ!そうしてくれると、私も嬉しいです!両親も、祖母も喜ぶし、お祖父ちゃんも天国で泣いて喜ぶと思います!」
「そうか? それじゃ、また定期的に一緒に管理しに行かないとな」
「はい!」
また、雪空を裂いて晴れ間が覗いていた。




