第5話 異世界での初めての料理
厨房の戸をくぐると、熱気が肌にまとわりついた。
鉄鍋が小さく鳴き、まな板の木目が油を吸って鈍く光る。
ガルドが腕を組んで顎をしゃくった。
「材料は好きに使え。竈はこっちだ。」
「ありがとうございます。少し、見させてもらいますね」
こうすけは台に並べられた魚に手を伸ばした。
手に取った瞬間、視界に淡い光の“窓”が浮かび上がる。
|【コルナ魚】
| 淡水魚。白身。脂は少なく、皮に香りがある。
| “皮は命や、焦がすな!仕上げに塩をちょんで勝ち確。”
(……出たな。いつも通り賑やかだ)
次に、束ねられた野草を手に取る。
ほのかに青い匂いがして、葉の先が少し揺れている。
|【グランベリ草】
| 苦味のある野草。加熱で甘味へ変化。
| “刻み細め、火短め。香りで階段作れるで。”
(なるほど……この草、焦がさず香りだけを引き出す感じか)
「この二つ使わせてもらいます。」
「あぁ、いいぞ。好きに使え。」
包丁を取り、まずはグランベリ草を刻む。
“とん、とん”という軽い音が厨房に響き、切るたびに青い香りがふわりと立ちのぼった。
刻み終えた草を小皿に移すと、緑がまるで春の色のように鮮やかだった。
次に、コルナ魚をまな板の上に置く。
腹を開き、内臓を丁寧に取り出す。血合いを指でなぞり、水で軽くすすぐ。
そのまま三枚おろしにしていく。
身がしっとりと包丁に吸い付く感覚。骨を外し、皮だけはそのまま残す。
(脂が少ない分、皮の香りで持たせるタイプだな)
作業の手を止めて、次の素材を確認する。
「塩はありますか?」
「ほれ」
渡された壺を開け、指先で白い粒をつまむ。淡い光の窓が目の前に浮かんだ。
|【岩塩】
| 粗粒。溶けやすいが余韻が残る。
| “振りすぎ厳禁。最後にすっと、が粋や。”
(……俺の知ってる岩塩と同じようだ)
そして、棚の奥に並ぶ瓶のひとつが目に留まった。
透明な黄金色の液体――油だ。
瓶を手に取ると、柔らかな光が走る。
|【サルナ油】
| 香り控えめの植物油。どんな料理にも合う万能型。
| “癖なし、重さなし。火を通せば素材の声が出るやつや。”
(いい油だ。魚の香りを邪魔しない)
周囲を見渡していると、鉄製のフライパンが目に入った。
取っ手は黒く焼け、底がしっかり厚い。
こうすけはそれを手に取り、ガルドに軽く声をかけた。
「このフライパンと油、使わせてもらいますね」
「好きにしろ。焦がすなよ」
竈の火を調整して、温度を確かめる。
指先に伝わる微かな熱気――中火のいいところだ。
こうすけはサルナ油を垂らし、フライパンをゆっくり回す。
油が薄くのび、表面に小さな波紋が走った。
香りに癖はなく、ただ“あたたかい匂い”だけが漂う。
フライパンが落ち着いたのを見計らい、コルナ魚を皮からそっと置く。
“じゅっ”という音が鳴り、油がきらりと弾けた。
皮が小さく波打つ。その瞬間、客席のほうからざわめきが起きた。
「今、光らなかったか?」
「……火の反射じゃないか?」
こうすけは何も気づいていない。
ただ、油の音と香りの流れに集中していた。
(いい音だ。……うん、香りが“立ってきた”)
魚の皮がぱりっと鳴る。
身がふるりと震え、油が透明になっていく。
(そろそろか。)
こうすけは刻んでおいたグランベリ草をフライパンの端にのせ、短い火で軽くあぶる。
香りが跳ねる。草の甘味が引き出された証拠だ。
木匙で脂をすくい、草に絡める。
(皮の香りが主軸。草の甘味は添え。塩は……通す“道”だな)
魚をそっと返し、身を締める。
焼き上がった魚を皿に移し、皮を上に。
その横に草を“線”で添える。
仕上げに、フライパンに残った旨味を木匙で軽くひと匙。
脂が焼ける音が、静かに響く。
最後に塩を一つまみ。
湯気が立ち、香りが店全体に広がった。
リリアが小さく息をのむ。
「……今度は、心が動く匂いだ」
ミーナが口元を押さえ、ガルドが無言で皿を受け取る。
厨房の空気が、火の音と一緒に静まり返った。
(――ああ、やっぱり。料理は、香りで会話するんだ)
こうすけの唇に、自然と笑みが浮かんだ。
皿を前に、ガルドがゆっくりと箸を取った。
皮の端を少し割り、ひと口。
その瞬間、眉がわずかに動く。
「……悪くねぇ」
ぼそりと、ガルドが呟いた。
ミーナが思わず身を乗り出す。
「本当に? あなたがそう言うなんて、珍しいわね」
「皮の香り、草の甘味、塩の後味……噛んだ瞬間、順番にくる。まるで歌みてぇだ」
「歌?」とリリアが首をかしげる。
「うまい料理ってのは、音も持ってるんだな。……久しぶりだ、こういうの」
ガルドは言いながら、もう一口。
今度は無言で噛みしめ、ほんの少しだけ笑った。
「……焦がしてねぇ。合格だ」
ミーナがほっとしたように笑う。
「すごいじゃない、こうすけさん。
本当に光って見えたのよ、魚が。火の反射じゃないわ」
「光?」
「うん。魚が、ふわって。なんだか神様の台所みたいだった」
こうすけは苦笑した。
「まさか。火の加減が良かっただけですよ」
リリアが椅子を引き寄せて、隣に立つ。
「やっぱり、あなたの料理は違う。
食べてないのに、もうお腹があったかい気がする」
こうすけは少し照れくさそうに笑い、手を拭った。
「ありがとうございます。おかげで久しぶりにちゃんと火を握れました」
ガルドが皿を片づけながら言う。
「……この町で、うまい飯が食えるとはな。
もし暇があるなら、しばらくここで腕をふるってみるか?」
ミーナも頷く。
「宿代の代わりに働いてくれてもいいのよ。食材の扱い方、勉強になるもの」
リリアが嬉しそうに笑った。
「ほら、言ったでしょ? ここに泊まればいいって」
こうすけは少しだけ考え、それから柔らかく答えた。
「……すいません、お世話になります。」
ミーナが手を叩いた。
「決まりね。うちの厨房にようこそ、“料理人さん”」
その言葉に、こうすけは静かに頷いた。
火の残り香がまだ漂う厨房で、誰もがほんの少し笑顔になっていた。




