第4話 初めての町、初めての厨房
門をくぐってしばらく歩くと、通りがにわかに賑やかになった。
人の声、荷車の音、焼いた肉の匂い――まるで町全体が息づいているようだった。
「ここが市場通り。夕方はいつもこんな感じ」
リリアが振り返って笑う。
屋台には野菜や果物、肉や魚、香草や調味料までがずらりと並び、色も香りも活気にあふれていた。
「すごいな……どれもうまそうだ」
こうすけは並んだ品を見て歩く。
赤い果物は張りがあり、触れるとみずみずしい。
香草の束からは爽やかな香りが漂う。
肉は脂が透き通るようで、魚もよく焼けていて、皮がぱりっと音を立てている。
(惜しいな……見た目も香りもいいのに、何か物足りない)
煙は立ちのぼるのに、胸の奥が静まり返っている。
焼けている音も香りも確かに“おいしい”のに――。
「どうかした?」
「いや……料理になると急に、なんていうか心が動かないんだ」
「心が動かない?」
「うまいんだろうけど、食べたいって気持ちが湧いてこない感じ」
リリアは不思議そうに首をかしげ、それから少し笑った。
「へえ……なんか、面白いこと言うね」
「さて、旅人札、作っちゃおうか」
「旅人札?」
「町に泊まるにも必要なの。身分証みたいなものだよ」
二人は市場を抜け、白い壁の建物へと向かった。
木の看板には「旅人登録所」と彫られている。
中は紙とインクの匂いがして、静まり返っていた。
「旅人登録、一名お願い」
リリアの声に、受付の男が顔を上げる。
「名前と出身、それから登録料、銅貨五枚だ」
「あ……」
こうすけはポケットを探る。だが、何もない。
財布どころか、硬貨の感触すらない。
「もしかしてお金、ないの?」
「……うん」
リリアは一瞬だけ驚いたあと、すぐに微笑んだ。
「じゃあ、さっきの魚のお礼ってことで。私が出しておくよ」
「いや、そこまで世話になるわけには・・・」
「うーん、じゃあまたおいしいごはん作ってよ。
それでチャラね」
銅貨がカウンターの上で軽く鳴る。
男は無言で木札を彫り、こうすけの名前を刻んで渡した。
手のひらに、まだ木の温もりが残っている。
「それが旅人札だ。町を出入りするたびに使う。失くすなよ」
「はい……ありがとうございます」
外に出ると、空は茜色に染まり始めていた。
リリアが小さく息をつき、笑う。
「さて、今日の宿“風車の羽亭”にいこう。おいしい煮込みがあるんだ」
「おいしい、か。楽しみだな」
「ふふ、“心が動く”味だといいね」
宿の扉を開けると、温かな空気と笑い声が一気に押し寄せてきた。
旅人や商人たちがテーブルを囲み、木の器を片手に酒をあおっている。
パンの香り、スープの湯気、焼いた肉の香ばしさ――どこを見ても、生活のにおいがあった。
「いらっしゃい! ……あら、リリアじゃない」
カウンターの奥から、ふくよかな女性が声を上げた。
エプロン姿の彼女が笑顔で近づく。
「こんばんは、ミーナさん。今日はこの人と一緒なんです」
「まあまあ、珍しい! ようこそ、ゆっくりしてってね」
ミーナが厨房に声をかける。
「あなた、リリアが来てるわよ!」
「おう、今行く!」
現れたのは、腕まくりした大柄な男――ガルド。
手にした木杓子をくるくると回し、職人のような雰囲気を漂わせている。
「ちょうど煮込みができたところだ。味見してけ」
「えっ、いいの?」
「常連の特権だ」
ミーナが皿に豆と干し肉の煮込みをよそい、テーブルへ置く。
リリアがスプーンを手に取り、湯気越しにひと口。
「うーん、おいしい!……けど……」
「けど?」ミーナが眉を上げる。
「こうすけだったら、もっとおいしくできそうな気がする……
なんかそんな違和感が……」
その一言に、周囲の空気がわずかに変わった。
隣の席の客が興味深そうにこちらを見やる。
ガルドの口元がゆるむ。
「ほぉ、面白いこと言う」
「ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃ」
ミーナが笑ってこうすけを見た。
「この人、料理ができるの?」
「少しだけ。でも、さっき市場でも思ったんです。
食材はどれも新鮮なのに、料理になると“何か”が抜けてる気がして」
ガルドが腕を組み、にやりと笑った。
「ほう。じゃあお前さんはその“何か”を埋められるってことか?」
「うーん、確実にとは言えませんが……」
「じゃあ、やってみせてもらおうじゃねぇか。
火はまだある。食材も残ってる」
「え、今ですか?」
ミーナも楽しげに頷く。
「いいじゃない。見せてもらいましょう、その“何か”の正体を」
周囲の客たちがざわめく。
リリアが立ち上がり、笑みを浮かべてこうすけの背を軽く押した。
「やってみなよ、こうすけ」
こうすけは息をのむ。
厨房の奥でゆらめく炎が、まるで彼を試すように揺れていた。
(……確かめてみよう。この“何か足りない”の正体を)
そう心に決めて、彼は一歩、火の前へと踏み出した。




