フェアじゃない
五月と言えばだ、私が最も嫌いな行事があった。今まで嫌だったから考えないでいたけど、もうその日が来たのだ。いつまでも目を逸らす訳にはいかない。
そう――体育祭が間も無く開催される。というか開会式真っ只中。
運良く、幸いにも、奇跡的に、私が出る種目は多くないし、身体能力を誤魔化せられる競技ばっかりだ。大体いつも保健室にいることで、私の身体はあまり強くないという印象を持たれたというのと、不知火先生が担任にちょっとお話してくれたことでこうなった。感謝‼
グラウンドをぐるっと囲うように、各学年、各クラスごとに生徒達が椅子を配置するスタイル。開会式が終わればメガホンやポンポンを持って写真撮影会。……応援に使うのかな?
といった風に、体育祭は陽で溢れかえっている。もう今の段階でしんどい。佳も楽しそうにはしゃいでいる、凄い……友達がいっぱい……。
「なっちゃん、大丈夫ぅ?」
鏡を見なくても、今の自分がどんな顔をしているのか分かる気がする。不知火先生に無理だと頭を振りながら、保健室で休ませてもらう。体育祭という場自体がダメージフィールドになっている。
そして私一人の体調程度で学校行事が中止されることはまず無い、容赦なく体育祭は開催されて学校中が陽に照らされる。
保健室の布団に包まりながら、今日一日どうしようか頭を抱える。全部欠席なんてできないし、少なくとも軽い応援と、自分の出る種目は出なくてはならない。
「私、どうすればいいんだろう……」
「鳴月、いた」
なんかもう永海先輩が急に現れても驚かなくなってきた。
「先輩も避難ですか?」
「ううん、鳴月が保健室に向かったのが見えたから。あの子は来てないの? 畑中さん」
「佳は楽しんでます、本当に凄い」
私にかかりっきりの時間が結構多かったりするのに、クラスの人達全員と交友関係を築いているっぽい。凄すぎない?
「永海さん、心配してくれたんだねぇ。うーん、先生はぁ、他の子が怪我した時に行かないとダメだからぁ、グラウンドに戻ってるねぇ」
不知火先生は少し考えた後、永海先輩に保健室の鍵を渡して出て行ってしまった。永海先輩は私枠の三年生ということで、見た目の他に学業も申し分ない人、そして素行も良い、信用されない方がおかしな人だ。
「困った、鍵を預かったから戻るに戻れない」
「競技大丈夫なんですか?」
「大丈夫、後は一番点数の高い最後のリレーで勝つだけ。鳴月は大丈夫?」
「まだ大丈夫ですけど……ずっといられないですね」
クラス対抗リレーは縦割りで走者が決まる。三人しかいないからリレーとしては微妙だけど、学年競技に『宝探し』とか『肝試し』とかある変な学校だし、誰も気にしていない。ちなみに一年生の学年競技は『ストラックアウト』最初はみんな戸惑っていたけどなんやかんや受け入れている。
「そう。……丁度良かった、鳴月に見てほしいものがある」
私の返事に、永海先輩は保健室の鍵を閉めてから私の方へとやって来る。
なんで鍵を閉めたんだろう……?
私が戸惑っていると、なんと定位置のベッドの上に上がってきた。私はベッドで休んでいるから、当然先輩は私の上に跨る体勢になり、先輩のいい匂いが私を包み込む。
「ちょっ、先輩⁉」
ちょちょちょちょっ! なに⁉ なんでいきなり私に跨ってるの⁉
なんか先輩はなんでもないような顔をしてるけど! この人表情あまり動かないから内心どうなっているのか分からないけど‼
「静かにして。フェアじゃないから」
「なんの⁉」
そう言うと、先輩は自分のズボンに手をかけた。長ズボンの体操服。まだ五月だからか、体操服の長さはバラバラ。ちなみに私は陽対策(気持ち限定)のために長袖長ズボン、先輩は半袖長ズボンだ。更にちなみに、佳は半袖半ズボンで楽しそうだった。
「鳴月は口の中見せてくれた」
「えぇ……?」
だからなんなの⁉ 確かに恥ずかしかったけど、先輩の意図は解っていたから見せたんですけど⁉
そう頭の中で、先輩はなにを言っているのだろうかと混乱していると、遂に目の前で先輩がズボンを脱いだ。なんでこんなことをしたのか、その意図を、私は目の前に現れた光景を見て理解した。
思わず先輩の顔を見ると、目を伏せて赤くなっていた。
「永海先輩……」
「…………触って」
震える声でそう言われて、私は恐る恐る先輩の左腿に手を伸ばす。
先輩の左腿の外側の固く、青い鱗に触れる。ひんやりとして、体温を感じない、本来人に無い物。先輩に流れる人魚の血、それは先輩の容姿に影響を及ぼしているんだ。宝石のような青い瞳と、波のような髪の毛、そして鱗。鱗だけが、普通の人間ではどうしても手に入らない物。先輩にとっては、誰にも見せたくないはずの物。
だからあの時、私が口の中をあまり躊躇わずに見せた時に、先輩は固まったんだ。あの時は私が断っていても無理矢理口をこじ開けられそうと思ったけど、私が嫌だと言えば先輩は大人しく引いてくれたの違いない……。
「人魚の血……昔から、こうだった――」
「なっちゃーん!」
先輩がこれから話してくれそうだった時、保健室の扉がガタガタと揺れた。
先輩は私でなきゃ見逃してしまう速度でズボンを履き、すぐに鍵を開けに行った。
タイミングが良いのか悪いのか。先輩の話を聞きそびれた、私のこの感情をどうすればいいのか考える時間ができた。どちらともいえない気持ちを抱えることになってしまった。
「あれ、不知火先生は?」
「幻海ちゃんは外だよー! なっちゃんが保健室にいるって聞いて急いで来たんだー」
「いや、ごめんね」
佳の相手をしながら、鍵を開けに行った先輩を確認する。もう表情はいつも通りに戻って、さっきまでの表情が嘘みたいだ。うん、思い出したら私が恥ずかしくなってくるな。
「先輩もありがとうございます! なっちゃん見てもらって」
「大丈夫」
佳は先輩に礼を言って、どうしたのものかとその場に立ち尽くす。体育祭中だしね、そろそろ私も戻るうかな。まだ万全じゃないけど、どうせまた保健室に来ることになるんだし。
「私も、一旦外に戻ろうかな。応援したいし」
「だいじょーぶなの?」
「無理は良くない」
「大丈夫。まあ、危なくなったらまた避難するよ」
体育祭仕様の佳は近くにいるだけで陽が凄いけど。あっ、これ、思ったよりすぐに危なくなりそう……。
「鳴月に用事があった」
これはヤバいと思っていたら、私の心を読んでくれたのか、先輩から助け舟を出してくれた。
「えっ、そーなんですか?」
「すぐに終わるはず」
先輩の助け舟に躊躇い無く飛び乗ることにしよう。
「ごめん佳、先に戻ってもらえると嬉しい。ありがとう、来てくれて」
「うん! じゃー先に戻ってるねー!」
そう言って、佳は陽の世界へと戻って行った。とりあえず目の前に迫った身の危険を回避できた。
「助かりました、ありがとうございます」
「ん。大丈夫、もう少し休んでから戻ればいい」
でも休むといっても、もう戻る前提だからベッドで戻ることはせずに腰掛けるだけ。永海先輩は不知火先生が座っている椅子に座っている。
「無理せずに戻らなくてもいいと思う。鳴月、辛そう」
先輩の言う通り、現状結構キツい。体育祭自体私の体質に合わないし、そこに佳が合わされば鬼に金棒。身をもって体感することになるとは思わない。
でも――。
「それでも、戻ります」
私の言葉に、永海先輩は表情を変えず黙って首肯する。先輩の気づかいはありがたいけど、私も私なりに色々ある。こうして先輩といるのは私の身の安全を考えても楽だけど。
少し休んだだけだけど、すぐに終わると言った手前、時間をかけすぎるのは良くない。保健室から出ていこうと扉に手をかけると、後ろから先輩もやってきた。……一緒に行くんだ。そりゃそうか。
二人で保健室から出て、先輩が鍵を閉めてから一緒にグラウンドへ戻る。
「私は先生に鍵を返してくる。なにかあったら無理しないで休んで」
「分かりました、ありがとうございます」
そうやり取りをして先輩と別れる。先輩と別れ、一人になった途端、陽が容赦なく私を襲う。これ……本気でヤバいかも。
まだ始まったばかりといえど、ようやく始まった体育祭だ。私は意識的に見ようとしなかったけど、ゴールデンウィーク後から生徒のテンションの高まりは感じていた。それが一気に解き放たれて、最初から最高潮。もう少しすればマシになるんだろうけど、それでも私には危険な陽の強さだと思う。
これ程までとは……。一気に気力が削られるし、頭が重たく気分も悪い。そして――体が燃えるように熱い。
待って待って、こんなの知らない。これじゃあもう絶滅したはずの、日光に弱い吸血鬼みたいじゃん。ヤバい、ヤバいヤバい、視界が曲がって――不意に回る。――それが、私が倒れたんだと気づいたのは、私の視界に色んな人の顔が入ってきてからだ。
……あっ、佳の顔……。それから……いい匂い……、先……輩……。




