その四
ユキの声が消えた直後、あなたはすぐに井戸を這い上がり、御影神社の地下祭壇へ向かった。
夜の境内には、奇妙なざわめきが漂っている。
まるで神社そのものが、あなたの行動を見張っているかのようだ。
拝殿の奥、いつもは閉ざされていた扉がこの夜に限って——開いていた。
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地下へと続く石段を降りていくと、そこには朽ちた灯籠と古い祭壇。
正面には一対の像と、そして壁の裂け目から**赤黒く輝く“朱の面”**が浮かんでいた。
その面には、歪んだ笑みが刻まれている。
まるで「お前も呑み込んでやろう」とでも言いたげな——そんな悪意。
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ユキの声が頭に響く。
「それを…かぶって……“神”と対話して……封じて……」
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あなたが面に手を伸ばした瞬間、神社全体が呻くように揺れ始めた。
壁が割れ、祭壇の奥から何か巨大なものが蠢く気配が迫ってくる。
——それは、村が数百年、御影神として祀り、そして人柱で餌を与え続けてきた存在。
"忌災"そのものだった。
あなたは覚悟を決めて、朱の面を顔にかぶる。
一瞬にして視界が暗転し、あなたはどこでもない場所にいた。
足元には何もない空間。
だが、目の前には、**赤黒い霧と、無数の目を持つ“神”**がうごめいていた。
「にんげん……また、くるとは……」
「くいものは……どこだ……」
その声は、低く、重く、魂を削るようだった。
ここであなたは、神との契約を破棄し、封印を行う儀式を始めなければならない。
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あなたは目を閉じ、心の中でユキの名を呼んだ。
すると、赤黒い霧の中から、白い光がふわりと現れる。
それは――ユキの魂。
彼女はあなたの隣に立ち、静かに頷いた。
「私の想いを、“媒”として使って……神を、封じて」
あなたは頷き、朱の面の内側から滲み出る血の文字を読み上げていく。
それは村に古くから伝わる禁忌の封印文だった。
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「われは媒、これより神性を断絶する」
「神性、歪み、飢えを還元し、無へと導く」
「我が魂を契りとし、汝の顎を封ぜん——」
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すると、神の無数の目が苦痛にうねり、赤黒い霧が渦巻き始めた。
咆哮が空間を引き裂くように響き渡る。
だがユキは、震える手であなたの手を取る。
そして、自らの身体が光へと変わり、朱の面に吸い込まれていく。
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「…ありがとう。ようやく、帰れる……」
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そして神は、断末魔のような咆哮と共に霧へと溶けていき、世界に静寂が訪れた。
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目を開けると、あなたは神社の拝殿の床に倒れていた。
あれだけあった地震のような揺れも、嘘のように消えている。
御影神社の空気は、まるで数百年ぶりに解放されたように澄んでいた。
やがて村人たちが駆けつけ、あなたを囲む。
椎名ハツは、手を合わせて涙を流した。
「……ユキに、ようやく会えた気がするよ……ありがとう」
封村から、忌災の影は消えた。
そして、御影神社の奥——
かつて朱の面があった場所には、小さな白い花がひとつだけ、静かに咲いていた。
—
完
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