第7話 君の知らない俺のこと
俺は今窮地に立たされていた。部室に来て静かに数学の問題を解こうと思っていたのに、幽霊部員が部活に来るようになったことで騒がしくなった。数学云々以前に俺は変態か否かの二択を責められている。
「それで先輩どうなんですか?む、胸の大きい人が好きなのかどうか」
「そ、そうです‼非常に重要です」
「さっきまで喧嘩してたのは何だったんだよ………」
俺は先程まで二人が中身があるんだかないんだか判断のつかないやり取りをしていたのを見ていた。犬猿の仲なのだろうと思っていた矢先にこれだ。一体どうなっているのか。
「それでどうなんですか?はぐらかすのはなしですからね」
詰問口調で俺に詰め寄る相良。先程まで相良に難癖をつけていたはずの鳴まで一緒に来ている。
「あのなあ」
「なんだか、騒がしいな。私が久しぶりに来たのに」
俺が呆れ口調で二人に向き合おうとすると部室の前にさらなる刺客が現れた。俺はその存在に気付くと頭を抱えた。
「最悪のタイミングで来てくれたな、相馬」
「そんなこと言わないでくれたまえ、ゆー先輩」
「うわっ、最悪。相馬が来るとか聞いてないんだけど」
「は?それ、こっちのセリフなんだけど」
「あれあれ?キャラ作りしてるのばれるよ」
「おおっと、失礼した。あまりの顔面偏差値が低すぎて、私の口調にバグが起こってしまったようだ」
「………す、すごく大っきい」
相良は自身のものと比較して絶望に打ちひしがれそうになっていた。
俺はより状況が悪化したことに頭が痛くなってきた。新たな刺客、相馬鈴によって。
相馬は女子高生とは思えないほど容姿が整っている。黒髪には念入りに手入れをしているのだろう、遠目からも髪が艶々しているのが分かる。そして、相良が話題に挙げていた胸も二人に比べてかなり大きい。しかし、俺はこの相馬が苦手だった。
相馬に貶された鳴は殴り掛かろうと相馬に突進を仕掛けに行ったが、佐久が羽交い絞めすることで暴行沙汰は免れた。
「ちょ、中島‼胸触るな‼」
「触ってねぇよ。誰がそんな小さいの触んだよ‼」
「ああ?〇すぞ!」
「もう好きにやってろ」
収拾をつけることを諦め、俺は相馬を見た。
「それで久々に来てやることが場を乱すことか?」
「そんな低レベルなことをしに来たんじゃないよ。私は見にきたんだ。今のゆー先輩を」
「………」
俺が相馬鈴という人間が苦手なのにはいくつか理由がある。その一つが不気味さだ。何を考えているのかわからない相馬の存在が俺を大きな不安の沼に引き寄せて離さないのだ。どういう思考プロセスを経て、その解答に至るのかわからないと気持ちが悪いように、相手が何を考えているのか全く見当がつかず、しかし、相手には自分のことが見透かされているような、そんな不穏な感覚を俺は相馬に会うと感じるのだ。
「でも、今日来たのは失敗だったかな。ゆー先輩の周りが騒がしすぎる。神聖な場所を汚されているようで反吐が出そうだよ」
「勝手に出してろ」
「おい、鳴。喧嘩するなら、よそでやれ」
鳴がけんか腰であることに俺は我慢ならなくなり、にらみつけると、鳴は何も言わず、うつむいて黙り込んだ。佐久は隅のほうにいつの間にか避難して一人安全圏に逃げ込んでいる。相良は何が何やらわかっていないらしく、俺と相馬の顔を忙しなく見比べるように見ている。
「今までは俺一人で使ってたんだがな……。幽霊部員の相馬が数研部に物申すのはどうなんだ?」
「確かに、私は数研部に関しては幽霊部員だった。私は卓球部にも所属しているからそっちの練習があってなかなか来れなかったんだ」
「知ってる。俺以外の部員には事情があることくらい」
「でも、今年でゆー先輩は卒業だ。部活動ができるのもあとわずかしかない。だから、私は卓球部に休部届を出して数研部に顔を出すことにしたんだ」
「………それで?相馬の目的はなんだ?」
「目的なんてたいそうなものじゃないよ。私は昔のゆー先輩のような姿が見たいんだ」
「………」
「いつまでも逃げていてはだめだと私はゆー先輩に言いに来た。どうせ、その二人じゃ言えないだろうからね」
「………ッ‼」
鳴が悔しそうに歯噛みしているのを見て、俺はため息をこぼした。急に俺と接触しだした佐久のときからなんの思惑があるのかと思えば、これか。そのうえで俺はこう言う。
「………そうか。心配をかけているみたいで悪いとは思う。だが、俺は現状に満足している。だから、そういうおせっかいはいらない」
卑怯者と後ろ指をさされることには慣れている。だから、今更何を言われたところで俺は自分を変えようとは思わない。『逃げるな』と言われたとしても、鬼ごっこで逃げ続けるのが勝ちのように俺も逃げきってしまえばいい。
「それでゆー先輩はいいのか?」
「ああ、今が俺の最善だ」
「……私はそうは思わない」
知ってる。長い付き合いだからな。それくらいは俺でも知ってる。相馬が何を考えているのかはわからないが、それでも行動の節々に俺を思ってくれているのは常に感じていた。だから、俺が部活を作ると決めたとき、一番に協力してくれたのだろう。
相馬は俺を見ることなく、颯爽と部室を出ていった。俺はその背中を見て、自分の答えが間違っていたことに気付いたが、気づかなかったフリをした。逃げると決めたのだから、目をそらし続けなければならない。
「ゆう先輩、俺も帰るっすね」
「ああ、わかった」
佐久が部室を出ると続いて鳴も部室を後にした。この状況で部活などできるわけもない。最後まで残っていた相良を見て
「相良も帰っていいぞ。今日は部活になんてしてる場合じゃなさそうだ」
「それなら、一緒に帰りませんか?」
「は?」
◇
1人今日のことを振り返ろうと思っていたのだが、どうも予定通りに事が進まない。相良は先程のやりとりがなかったかのように俺に話しかけてくる。
「やっぱり亜美ちゃんは流星くんがすきだと思うんです」
「……流星、なんて名前の人いたか?」
「そ、そこからですか⁉」
「クラスメートの名前なんていちいち覚えてられるかよ」
「数学で出てくる用語は覚えられるのに、ですか?」
「クラスメートの名前はややこしいんだよな」
「数学のほうが100倍ややこしいですよ」
俺に気を遣っているのだろうか。きっと、そうなのだろう。クラスから俺が‶こんなヤツ〟呼びされることに怒るのだ。こんなヤツと呼ばれるまでの過程には目を向けずに俺という一人の人間を見ようとするのだ。だから、余計にわからなくなる。なぜ、相良は数研部に入ったのか。数学を勉強したいなら、自分でやればいい。Youtubeで十分勉強できる世の中だし、それでもわからなければChat GPTにでも聞けばいい。わざわざ部活に入ってまでやりたいことはなんだ?
「一ノ瀬君、本当にいいんですか?」
「………俺は相馬が言いたいことは理解してる。あいつらなりに考えてのことなのも知ってる。その上での判断だ」
「そうですよね。でも、一ノ瀬君。それは逃げですよ。逃げることは悪いことだと言いたいんじゃないんです。私だって逃げ出したことがありますから」
「………」
「でも、いつかは向き合わないといけないと思うんです、自分自身に」
「………」
「それは見たくない自分を見ることになるから、辛いと思います。それでも向き合わないといけないんです」
「……逃げきれればその必要はない」
「一ノ瀬君の好きな数学に当てはめれば‶逃げきれる〟と仮定すれば、必要がないかもしれません。じゃあ、逃げ切れなかったら?そもそもいつまで逃げれば逃げきったことになりますか?」
「………」
「私が初めて見た一ノ瀬君はすごい難しい問題を楽々と解いてました。それも楽しそうに、です。私はあのときの一ノ瀬君に憧れていました」
相良の俺を見る目はいつもと違って真剣さがにじみ出ていた。まっすぐなその目に俺は目を逸らした。
「何かあったんですよね?事情があってこの学校に来たんですよね?私以外はどうもその事情を知っているようで癪ですが、でも、いつかは聞かせてください」
相良は俺を下から覗き込むようにして言った。俺の醜い過去を教えてほしい、と。
「まあ、気が向いたらな」
「はい、待ってますから」
俺はいつか相良をまっすぐ見れるようになるのだろうか。そのときが来たら、相良に話そう。俺の過去の出来事を。
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1.クラスのすべての女子はスマホを持っている。
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