二人のエクソシスト
ざわめく教会を見上げていた。礼拝堂の屋根に聳え立つ十字架が不気味なほど紅い月光に染まり、まるで磔刑に処されたキリストの血でも啜ったかのように赤い。住宅街から少し離れた場所にあるこぢんまりとしたそこは、騒々しい人の気配も無く、不気味なほど静まり返っている。
その静謐の闇に、御剣圭吾は立っていた。誰もが一瞬、息を飲むほど端整な顔立ちだが、仕草や雰囲気に程よい粗野っぽさを含んでいるせいか近寄り難い雰囲気はない。その身に纏った僧衣がざわりと風に揺れた。その胸元に光る白銀のロザリオは、薔薇と蛇が交差するように十字架に絡み合っている。独特なそれは、彼が神父でありエクソシストである証だ。
“落日の日”と呼ばれるあの日から、夜の闇には悪魔が跋扈するようになっていた。無防備な連中を格好の餌食とする奴らに対して唯一の切り札が法王庁に特別認可された対悪魔専門部隊――エクソシストである。もっとも、一目で彼が神父を生業としていると判断できる者は少ないだろう。彼、御剣圭吾の格好は聖職者というにはあまりに奇抜だった。僧衣をベースにしたらしいそれは、襟元を豪奢なファーで彩られ全体的にやたらと露出が多い。一言で言うならば、ド派手。清貧を旨とする聖職者というよりは、ロックミュージシャンと言った方がしっくりくるだろう。
胸元で揺れるロザリオだけが、唯一彼を聖職者たらしめている。
「悪くねぇな」
やけに楽しげな声がざわつく温い風に混じる。夜闇よりもなお暗い髪が風を孕んで舞い上がり、僧衣の裾が耳障りな音を立ててはためいた。
いい夜だ。このままダンスパーティに参加してやってもいいぐらいには。
「そりゃ、オマエらも夜の散歩に精が出るわけだ」
後方で蠢く影に、圭吾は呆れたような笑みを浮かべた。途端、決して風の音ではない不穏なうめき声が上がる。気配からして小物だろう。遊ぶにはちょうどいいが、あいにく今日は外せない仕事が入っている。圭吾の両手は獲物に伸びることなく、名残惜しそうな色を滲ませながら肩を竦めた。
その時だ。
「すぐそこに礼拝堂がある割には、五月蝿ぇな」
そもそも教会の敷地内だとは思いたくもねェ、とやけに皮肉がかった低い声が聞こえた瞬間、圭吾の秀麗な眉がぴくりと跳ね上がった。不満がありありと浮かんだ顔で、圭吾はゆっくりと振り返る。
「重役出勤かよ、相棒」
問いかけた先にはただ夜が広がるだけだ。けれど次の瞬間、闇と光とが交じる曖昧な影がどろりと動き、溶けたそれを纏うように現れたのは同じように個性的な僧衣の少年だった。夜闇をそのまま溶かし込んだような漆黒の髪が彼の動作に寄り添うように揺れる。重い一重の目が気だるげに瞬き、口角だけを吊り上げて笑う皮肉げな色がやけに印象的だ。
圭吾の相棒、元宮一樹である。
「事には間に合ってんだ、問題ねぇだろ」
「俺様の記憶が正しければ、待ち合わせ時刻は十五分前だったはずなんだけどな」
「ちょっと野暮用でな」
そう言う彼の手には、メタリックブラックの携帯電話が握られていた。気だるそうに掲げられたそれを見て、圭吾はあぁと納得したように溜息を吐いた。
「いいネタ、転がってたのかよ」
「ハッ、突入前に情報収集なんて馬鹿な真似するか」
じゃあ何なんだ、と突っ込んだところで一樹は口を割らないだろう。基本的に秘密主義な男であることは相棒である圭吾が一番知っている。早々に理由を聞くのは諦めるが、だからと言って遅刻していいわけではない。そもそも深夜に奇襲を掛けようと提案した圭吾に対し、この時間を指定したのは一樹である。
「何がどうあってもこの時間だって言ったのはどこのどなたでしたっけね」
「どうしても確認しなきゃなんねェことがあったんだよ。そこらの雑魚狩るのとはワケが違ェんだ。一つでも足場固めとくに越した事はねェだろうが」
額面どおり受け取れば冷静な意見として真っ当な気もするが、付き合いの長い圭吾にはその真意が手に取るように分かる。要は自分が立案した作戦が失敗する事が許せないのだ、単純に。そういう事には“完璧さ”という執念を見せる男である。
「なら、そのがっちり足固めした策とやらを披露してもらおうじゃねぇの」
「ハッ、オマエも立派に駒の一つだ。キリキリ働けよ。ボサっとしてたら殺すぞ」
鼻先で笑い、嫌味なほどゆっくりと紫煙を吐き出す姿はやけに偉そうである。ただでさえ鋭すぎる目に剣呑さと嘲笑とが入り混じって聖職者とはほど遠いどころの騒ぎではない。
「カタギに見えないな、お前」
僧衣を着てる分詐欺だと率直な感想を述べた瞬間、容赦ない回し蹴りが飛んできて圭吾は慌てて飛びのいた。
「避けんじゃねェよ」
「仕事前に人をサンドバックにするバカがどこにいんだ」
「少し黙れ。こんな所でバカ騒ぎしてバレたら元も子もねぇ。見ろ」
すっかり短くなった吸いさしを携帯灰皿に放り込みながら、一樹は教会の窓を指差した。礼拝堂に面しているらしいやや古びた窓からは、小さな祭壇が見える。もちろん人の気配らしいものはない。
圭吾は首を傾げた。
一樹の意図が読めず口を開きかけた瞬間、現れたのは簡素な僧衣を纏った人影だった。影は小脇に抱えた物を祭壇に広げ、熱心に指でなぞっている。その光景が何を示すのか、それが分からない圭吾ではない。
秀麗な目元に深い皺が寄った。
「真っ黒かよ……世も末だぜ」
「ミイラ取りがミイラってヤツだな。そう珍しくもねぇだろ」
嘆く圭吾の傍らで、面倒そうに紫煙を吐き出しながら一樹は低く吐き出した。目の前で起きている事柄を説明するには、余りに的確過ぎて
「まっとう過ぎて突っ込む気も起きねぇ台詞をどーも」
呆れたような溜息とともに、吐き出した言葉は脱力感に満ちていた。
仕事の関係で幾度か会話をしたことがあり、それなりに面識のある圭吾と名前ぐらいは耳にした事があるものの本日初対面の一樹とでは面白いぐらいこの件に対しての温度が違う。
「諦めろ、現実なんてそんなモンだ。真っ白で清廉潔白なヤツなんざこの世のどこにもいやしねぇ」
「ま、こちらも真っ当じゃねぇからな。ヤニ中毒の聖職者なんざ、笑えねぇよ」
そもそも二人の身を包む僧衣からして破戒的過ぎてどこから突っ込んだらいいのかすら分からないぐらい派手だ。揃いも揃ってアクセサリー好き為か、二人が動く度に通常の聖職者からは聞こえないような金属のぶつかる音が漏れる。
圭吾の皮肉に敢えて挑むかのように一樹はたっぷりと紫煙を吐き出した。
「毎晩、悪魔とダンスパーティしてるヤツに言われたくねェな」
「それに関しちゃ、否定できねぇな」
軽口の応酬はここまでと、圭吾はコキリと首を鳴らすと礼拝堂の扉を押し開けた。その後をひどく面倒そうに一樹が続く。
重苦しい音を立てて古めかしい木製の扉が開いた先に広がるのは人気の失せた礼拝堂だった。確か窓から覗いた時には標的がいたはずなのだが、今はそれが全て幻のようにひっそりとしている。シンと冷えた空気の手ごたえから、ここ数分の間に人がいたような気配はなかった。
訝しげに背後を見遣ると、やはり一樹も納得がいかないのか探るような視線を辺りに走らせている。
「逃げたか?」
「いや、その可能性は低いな。圭吾には悪ィが、ヤツにそこまでの善良さは残ってねェよ。誤魔化すつもりで、その辺から出てくんだろ」
一樹がそう言うからには、たぶんそうなのだろう。下手な優しさなど見せない言い様に少しだけ安堵して、圭吾は改めて礼拝堂を見回した。
それにしても、見れば見るほど“真っ黒”な聖職者がいるとは思えない場所だ。
整然と並んだ木製の長椅子を、淡い月光がステンドグラス越しに照らしていた。こぢんまりとした礼拝堂は隅々まで手入れが行き届いていて、万人が行き交うだろう床にも塵一つ落ちていない。管理者の実直さが出てるな、と圭吾は微かなやる瀬なさに目を閉じた。
「一樹、」
「分かってる。好きにやれよ」
何とも言えない顔で躊躇いがちに告げた圭吾に、一樹は手近な机に腰を降ろすとさっさといけとでも言うようにヒラヒラと手を振った。その手には既に愛飲している煙草が握られている。
素っ気無くはあるが一樹の気遣いにそっと感謝して、圭吾は僧衣を翻した。
ゆっくりとした足取りに合わせて古めかしい床が鈍く軋む。それにつられるように、
「こんな時間に、何か用ですかな?」
祭壇の影からひょっこりと顔を現したのは、いかにも人好きしそうな初老の神父だった。二人とは対照的に小柄な体を漆黒の僧衣でかっちりと固め、小脇に聖書を抱える様は神父の鏡とも言うべき姿である。
「ちょっとヤボ用でな。小金井神父、アンタに会いにきた」
告げられた言葉の意味を、神父は上手く理解出来ていないようだった。善良そうな瞳が所在無げにふらつき、指先が忙しなく組みかえられている。ここまでは一般の聖職者であれば、当然の反応だ。何しろ対悪魔専門部隊であるエクソシストが、こうして夜半に尋ねてくるなど最高レベルに近い緊急事態である。
「生憎とエクソシスト様の来訪を受けるようなことは何一つ、ありませんが……それとも、不測の事態でしょうか?」
一歩、一歩と近づく圭吾の足音が、張り詰めるような緊張感を高めていく。身じろぎ一つ許されぬような緊迫感の中、圭吾は戸惑う神父の前で足を止めた。流れるような動作で抜かれた二丁の巨大な銃が、寸分の狂いなく困惑する神父の眉間に突きつけられる。神父の額に大粒の汗が流れるのを見て、まるでマンガだなと圭吾は笑った。
「まさかアンタとはな。名前を聞いた時は、神様なんざいないって思わず再確認したぜ」
銃口の先、困惑の色を益々強くした神父は可愛そうなほどうろたえている。対峙する圭吾のブルーグレイの瞳に微かな哀れみが浮かんだが、
「分かってんだろ? 俺たちからは逃げられないってな」
すぐさまそれは、不敵な色に掻き消された。
引き金が微かな音を立てて軋む。教会には似つかわしくない音は、だが張り詰めた空気には驚くほど馴染んでいた。
「逃げるなど……身に覚えもないのに、そんなことをするはずもありません。御剣神父、私は神に仕える身です。誓って、貴方に銃を向けられるような覚えはありません」
血の気を失った唇から吐き出された言葉は、悲痛なまでの叫びだった。ガタガタと音がしそうなほど震える手から、聖書が落ちる。
「人間、誰しも甘い誘惑には勝てないもんなんだな。それは神父だとしても例外じゃない――小金井神父、父と子と聖霊の御名においてアンタを教会法違反及び異端行為の疑いで逮捕する」
告げられた罪状は清貧を旨とし神に仕え、人々に奉仕してきた神父には大よそ似つかわしくないものだった。
圭吾の眉根がどこか痛みに耐えるように皺を刻む。その直後、後ろから聞こえた緊張感の欠片もないような欠伸は気のせいだ。
「……貴方には、分からないでしょうね。彼らの誘惑が私たちのように力ない者にとって、どれほど魅力的に映るか」
「確かに、わからねぇな。こんなもの、単なるまやかしだ」
自嘲気味に圭吾は笑う。その声は微かに、影が落ちていた。
「それに……正論で誰かを諭せるほど、人生悟っちゃいねぇよ」
空気が一段と重くなる。今にも張り裂けそうなそれを最初に破ったのは、悲壮な顔をした神父だった。
「これは、私の弱さが招いたこと。そして、私の身勝手な我侭だということも全て承知しています。ですが、ここで捕まるわけにはいかないのですっ!」
圭吾自身、油断していたのは確かだ。一樹の言葉を信じていながら、心のどこかでこの温和な神父が牙を向くわけないと信じていた――眼前に、銃弾が迫るその瞬間まで。
「……っ!」
僧衣の下から放たれた思いも寄らぬ銃弾は、寸分の狂いもなく圭吾の眉間を貫いた。鈍く光る床に、薬きょうが落ちる。その動きをなぞるように、圭吾の身体は鈍い音を立てて床に倒れこんだ。先刻まで好戦的な光を宿していた目も今は固く閉ざされている。じわじわと広がりゆく赤黒い血溜まりが、ダメージの大きさを物語っていた。
礼拝堂には、神父の怯えたような荒い呼吸以外何一つない。
純白のマリア像が見つめる先で起きるには凄惨すぎる光景に、それまで沈黙を守っていた一樹が苦々しい舌打ちを漏らした。
「あの馬鹿……」
油断していたことなど、撃たれた瞬間に分かった。普段の圭吾ならばあの程度の動作、たとえ居眠りしていようと対処できたはずだ。全く人の話の何を聞いていたんだと怒鳴りつけてやりたいのを寸でで飲み込み、一樹はゆっくりと立ち上がった。
「主よ、お許しください」
質素な僧衣から伸びる手は、銃を握るにはあまりに優しげだった。ぎこちなくグリップを握る手は小刻みに震え、何かに怯えるようにピクリとも動かない圭吾の身体に向かって引き金を引き続ける。
執拗なまでに銃声が響いた後、礼拝堂には沈黙が落ちた。もはや弾切れを起している銃の引き金を、神父は何かに怯えるように引き続けている。
カチカチと乾いた金属音が虚しく響く。際限を知らないかのように、何度も何度も。
幾度も響いたそれを制止したのは、気だるげな声だった。
「主よ、お許しください。……反吐が出るくらい便利な言葉だな」
銃口から立ち上る煙が闇へ溶け込むのを見遣り、一樹は倒れ込んだ圭吾を挟んで真正面から神父に臨んだ。鋭く光り何かを見透かそうとするかのような目が圭吾を一瞥した後、怯えた神父を捕らえる。
「まったく、聖職者ってのは堕ちる所まで堕ちても神様に許しを乞えば何もかも丸く収まると思ってやがる。そこらのバカ共より性質が悪ィ」
たっぷりの毒と嘲りを込めて、一樹は紫煙と共に吐き出した。もっとも、自分の行いを善良さと正義に裏づけされたものだと信じて疑わない人間に何を言おうと伝わらないだろう。それが一樹には溜まらなく不快なのだが、そんな奴に下手を取ったのかと思うと圭吾に対する怒りも倍増するどころの騒ぎではない。
僧衣の腰に下げていた獲物を苛立ちのまま、神父の首筋に突きつけた。窓から差し込む赤い光に鈍く染まるそれは、まるで血を滴らせているかのように不気味に輝いている。
「俺は、圭吾と違ってオマエとは何の接点もなけりゃ義理もない。だから……それ以上やるなら容赦はしねェ」
口調こそ淡々としているが、一樹から漂う空気に神父は完全に圧倒されていた。かつて教会を訪れた人々を優しく見つめていただろう瞳を恐怖に凍てつかせ、ぎこちない動作でじりじりと後退していく。喰われる寸前の小動物のような反応に少しだけ溜飲を下げた一樹はあっさりと切っ先を下ろした。そうして溜息を一つ。
「わ、私は……っ」
「ちょっと黙ってろ」
気圧され震える神父を一喝し、一樹はうつ伏せに転がる圭吾を革靴の先で軽く小突いた。
「おい、圭吾。いつまで床とご対面してるつもりだ。ヒマ持て余してるって言うなら、俺は帰るぞ」
あまりに容赦ないその様に、撃った張本人である小金井神父ですら一樹を見る目に非難の色が篭っている。
「もう一度だけ言うぞ。起きろ、圭吾」
血溜まりが小さな水音を立てる。じわじわと広がる地溜まりの中に倒れこんだ圭吾はぴくりとも動かない。初弾を食らった場所と至近距離で撃ち込まれた弾数を考えれば、彼の生存は絶望的だろう。それでも、一樹の瞳に揺らぐ様子はない。
いつまでも反応のない圭吾に焦れたような声に、
「オイオイ。仮にも鉛弾ブチ込まれた人間に対してそりゃねぇよ、相棒」
ようやく観念したとでも言うように、圭吾はむっくりと起き上がった。口腔に溜まった血を吐き出し、額から流れる血を無造作に拭う。その顔には、ついさっき銃弾を何発も食らったとは思えない不敵な笑みが浮かんでいた。
「オマエが鉛弾程度でくたばるようならな」
鼻先で笑い飛ばし、一樹は未だにふらつく圭吾の肩を容赦なくどついてから手近な机に腰を降ろした。どうやら手出しをするつもりはないらしい。
「ま、そりゃそうなんだけどな。さすがにこんだけ容赦なくブチ込まれたら堪えるぜ」
回復にも時間が掛かんだよ、僧衣の裾を叩きながら立ち上がるその顔に緊張感はない。足元に転がる幾つもの薬莢がまるで嘘のようだが、無残に穴の空いた僧衣を見る限り確かに圭吾は銃弾をその身に受けたのだろう。
「馬鹿面晒してやるから、こう言う事になるんだって何度言や分かるんだ? あぁ?」
「そう凄むなよ、おっかねぇな。あんな善良そうな顔していきなりブッ放してくるなんて思わないだろ?」
「オマエなぁ……。あぁ、言ういかにも善良でゴザイマスって言う奴の方がキレた時タチ悪ィってのは常識だろうがっ!」
「ま、そりゃそうなんだけどな」
切れる一樹に、圭吾は切なそうに目を歪めて肩を竦めた。そしてゆっくりと、神父を振り返る。
「さて、小金井神父。あんたが日ごろ店先に並べてた説教がどこに売っぱらわれたかなんて聞きたくもないけどな。さすがにこれは、許されないぜ」
いつものように軽口交じりのそれは、だが低く地を這うような声だった。口調の割りに、目が全く笑っていない。背筋が総毛立つような威圧感を漂わせながら、圭吾は悠然とした足取りで神父の眼前まで迫ると小刻みに震える手ごとグリップを凄まじい力で握りこんだ。
ぎりぎりと締め上げられた手から落ちた銃が、乾いた金属音を立てて落ちる。
「さて、お遊びはこの辺で終いだ。俺もそろそろ店仕舞いしたいんでね。明日は朝早くからクソッタレな会議が入ってる」
その笑みを見た瞬間、神父の顔に絶望と憎悪とがじわりと滲み出た。
「あなた方には一生分からない、分かるはずがないっ! あなた方エクソシストの数は全世界的に見ても圧倒的に数が少なく、特に日本はその中でも群を抜いている。運よくあなた方の目に留まった人はいい。けれど、そうでなかった人はどうしたらいいんですかっ? 目の前で苦しんでいる人を、死に行く人を見捨てろそう仰るんですか!」
「それで? そういう連中を苦しめてる元凶様にお力添えを願ったってわけか。随分、都合のいい解釈するんだな」
落ちた声はぞっとするほど低い。ブルーグレイの瞳が冷たい光を湛えて、神父を見た。
「御剣神父っ!」
突きつけられた銃が、鈍い色を放つ。黒々とした巨大な銃身は、まるで断罪者の鎌にも見えた。
「アンタは――だ」
その手に握られた漆黒の銃が咆哮を上げた。
礼拝堂に沈黙が落ちる。
「あの世で神様に会ったら、よろしくな」
鼻を突く硝煙の濃密な香りの中に、教会は密やかに沈みこむ。小さな呼吸音ですら耳障りに響く中で、圭吾は静かに壁を見上げた。淡い月の光に浮かぶそこには壁を古びたキリスト像が掛けられている。
「なんだって踏み外すかね、この年で」
ブルーグレイの瞳には、物悲しさと重苦しさとが混在していた。じっと見つめる先にあるキリスト像は無言のまま、かつての己に仕えた聖職者を見下ろしている。
正義だの悪だのと血気盛んに訴える年ではないだろうと圭吾は思うのだが、一樹はその複雑な心情ごと一笑に伏した。
「踏み外したんじゃねェだろ。選んだんだよ、ソイツも。テメェの中の良心だの信仰心だのと引き換えにな」
「ご苦労なこって。俺様には理解できないね」
「ハッ、大した信仰心も持ってねェ奴が何言ってやがんだ。引き換えるモンなんざ、ありゃしねェだろうが」
「ま、それもそうだ」
額に張り付く青灰色の髪をうっとうしげに撫でつけ、圭吾は何事も無かったかのように教会を出た。その後ろには、入ってきた時と同じように紫煙がついてくる。
表に出ると月の色はなお一層、濃くなっていた。今や月は真紅に染め上げられ、闇夜に怖気が走るような光を落としている。
「珍しいな、オマエがそんな風になるの」
「そんなんじゃねぇよ……下手な感傷は趣味じゃねぇ」
くるりと身を翻し、呟いた。