第12話
はっ!
「僕はいったい何を?!」
「何って、なにもしてないじゃない」
隣に座っていた冴草が涼しげな顔でアイスをなめながら答えた。
えっと…。
「何かあったっけ?」
冴草と行動を共にすることになった所までは憶えている。そのあと何かアトラクションに乗ったような気がするが、そうでないような気もする。
「な、なななな、何もないわよ?!」
何かあったと言わんばかりの動揺で冴草は答えた。
問い詰めてもいいのだが、まぁ、相手が冴草だからやめておこう。命が惜しい。
「なんか首が痛いんだけど…」
「ね、寝違えたんじゃない?」
そうなのか?
「そういえば何かひどく懐かしいものを見た気がするんだ。白い…、あれはなんだっけなぁ」
「あああああああ! 先生! 竜崎先生!」
竜崎先生と言えば、竜崎晶先生か?
僕らの担任の。
「げっ! なんで冴草と大村が!」
なんか、学校と口調が違うなぁ。
「公私混同しないタイプなんだよ。ここじゃ先生生徒は関係ないね」
随分とやんちゃな口調だけど…。
「格好は………、趣味ですか?」
「う、うるさい! これはこいつが!」
と、先生が指差したのは隣の背の高い男性。スラッとしたモデル並みのスタイルは思わずため息が出るほど。
「はじめまして。井守茜です。よろしくね!」
ん…?
「んん??」
「勘違いすんなよ! こいつは女だからな!」
「ああー、なるほど」
思わず納得してしまった。
「納得されるとなんか腹がたつ」
「恋人なんですか?」
冴草が訊ねた。
「こ、こここいびとじゃ―」
「恋人でしょ、晶!」
この男にしてこの女あり。まさしくお似合いのカップルだ。一種の勘違いを除けば。
「な、なんだよ」
ニヤニヤしている冴草を見て、先生の顔がひきつる。
「いえいえ、末永くお幸せに!」
ああ、ご愁傷さまです、先生。きっとあなたがこの先冴草の上に立つことはないでしょう。合わせていうなら、僕の上にも立てないでしょう。そんな僕は冴草の上に立てないでしょう。シクシク。
背後を気にしながら去り行くアキちゃん。
本当に先生って、大変ですね。
「なぁ、冴草」
「なに?」
「今からどうする? 時間もあまり無いし、並んでる時間もないぞ」
「そうね。じゃあ…」
冴草がベンチから立ち上がった。が、間が悪かったようだ。
―ベチャ…
冴草の持っていたアイスが、恐面の、いかにもなお方の、黒いスーツに染みを作った。
「あ、すみません…」
「おい、嬢ちゃん、どうしてくれんのや。こいつのぅ、ごっつい高いんやで? ごめんで済むとおもっとんのか、ああ?」
あちゃあ、不味いことになったぞ。
あのー、警備員さーん、そこにいますよね。助けてください。あー、隠れないで。周りの皆さんも離れないで。もっと近くに寄っていいんですよ。
いや、かかわり合いになりたくないのはわかるけどね。ピンチなんですよ。
ほら、いたいけなJKが。あ、言い方が変か、女子高生が恐いお兄さんに絡まれているんです。
そこのお父さん、冷めきった家庭に父親の威厳を示すチャンスですよ。
そこのバカップル、バカじゃないというのを周囲に知らしめるチャンスですよ。あ、バカだったら割って入るのか。
「慰謝料、払ってもらおか。そうやな、お嬢ちゃん学生やし、十万で手うっちゃる」
「じゅ、十万?!」
なんか、どこかで見た展開が…。
「無理です!」
「簡単やろ? お嬢ちゃんカワイイしのぅ?」
恐面さんの手が冴草の髪を鋤く。
ああ、いかん、まずい。
冴草の背中にどす黒いオーラが漂い始めたぞ。早めに手を打たないと、大変なことになりそうだ。
「まあまあ、ここは落ち着いて。クリーニング代だけで済ましませんか? 最近のクリーニングは綺麗になりますよ」
冴草を制すようにして立ち、恐面さんに提案する。
「なんや、坊主。この嬢ちゃんの彼氏か? なんなら、彼女のために、二十万払ってくれへんか?」
なんか値上がりしてるんですが。
「別に彼氏じゃないけど、そんな大金、持ってません」
僕の小遣い嘗めんなよ!
「しゃあないな。ほんなら、お嬢ちゃん、ちょっと付き合ってもらおか」
恐面さんが冴草の腕を引っ張る。
冴草の足に力が入るのがわかる。踏ん張っている訳じゃないのは明白だ。
ああ、まずい。
このままじゃ恐面さんが…。
原因はこちらにあるから申し訳ないけれど、ちゃんと平穏な打開策を提示したんだ。あとから怒らないでくださいね。
「ちょっと待ちな!」
冴草の足が上がる寸前で先ほど別れたばかりの声が割り込んできた。
「竜崎せ―」
「それ以上は言うな! 素性がばれたら後々面倒だからな」
「じゃあアキちゃん」
竜崎先生が傾く。
「ま、まぁいい。ところであんた、うちのカワイイ舎弟達になんてことしてくれんだ?
舎弟って…。
「確かに原因はこちらにあるが、この子らはちゃんと謝ったし、クリーニング代は出すって言ったんだ。それなのに、二十万出せだと? 随分と高いクリーニング代じゃねぇか。なんだ? テメェのその汚ねぇケツも一緒にクリーニングすんのか? ああ、それじゃあ値がはっちまうよな。汚れがこびりついてるだろうしよ」
先生、大変口が悪いです。仮にも教師の肩書きを持つ方が、いったい何事ですか。
「このクソ女!」
「………あ?」
先生の顔が歪む。
やばい、どちらにしろヤバイ空気だ。
むしろ冴草の時よりヤバイ空気を感じる。この人に任せて失敗だったのか…? でも先生だし、生徒を導く存在だし、かわいいし、きっと大丈夫だよ、ね?
「おい、恐面。その面、今より醜くしてやろうか?」
大丈夫じゃなーい!
「よく動く口やないか!」
事は穏便にお願いしますよアキちゃん!
「いい度胸だ。恐面」
いや、先生。こんなところで騒ぎを起こしたら、素性を隠したところで意味がないと思うのですが。頭隠しても尻が隠れませんよ。
というか、彼…、いや、彼女さん止めてくださいよ! なにニヤニヤしてるんですか。
睨み合う恐面さんと先生。
互いに相手の出方をうかがっているようだ。
「相手に動きを悟られないようにしてるのね!」
これバトルものじゃねーから! 心燃えるような熱い展開とか期待してねーから。
「………」
「………」
流れる静寂。
シリアスな沈黙なんだろうけれど、残念ながらここは遊園地。状況に不釣り合いな陽気なBGMで思わず口許がにやけてしまう。いや、むしろ苦笑いだなこれ。
「ふっ」
先に動いたのはアキちゃんだった。
「ぐっ!」
状況を追う前に言っておくッ!
ぼくは今アキちゃんのすごさをほんのちょっぴりだが体験した。
い…いや…体験したというよりは全く理解を超えていたのだが…。
あ…ありのまま、今起こった事を話すぜ!
『ぼくは二人が睨み合ってると思っていたら恐面さんが倒れていた』
な…何を言っているのかわからねーと思うがぼくも何が起きたかわからなかった…。
頭がどうにかなりそうだった…。催眠術とか超スピードとかそんなチャチなもんじゃ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。
「一体何が…、あったの…?」
うん、これバトルものじゃねーから。
「大変! 誰か、誰か居ませんか!? この人急に倒れたんです!」
あからさまに声色を変えて人を呼ぶアキちゃん。はい、普通に女の子ですね。いいんですか、あなたはそれで。
何はともあれ、恐面さんを運んでいく係員さん。これでひとまずは一件落着かな。
「落着じゃねーよ。お前ら、学校の外でも問題児なのか。しかも問題児同士デートとは世も末だな」
酷い言われようだ。この人本当に教師?
「でもさっきなんであの人倒れたんだろ?」
それには横でニヤついていた茜さんが答える。
「晶は剣の達人なの。相手を睨むだけで倒せるんだから。『凶刀の晶』と呼ばれて恐れられていたの」
所謂剣の達人だけが発することのできると言われている『剣気』というやつですか。カッてやったら落ち葉がバシッと破れるあれですね。わかります。
というかそれ以前になんですかその不良のような二つ名は。剣と言っても、剣道とかではないようですね。
「余計なこと言うなよ。教師生命かかってんだから」
バレるとヤバイことなんですね。
「まあいい。もうあんな輩に絡まれるんじゃねーぞ。めんどくせーから」
そう言ってアキちゃん一行は去っていった。
「冴草」
「何よ」
「ぼくの回りには変なのしか集まらないのかな」
「なによそれ」
「変な監獄に囚われた気分だ」
「タイソン自体変だもの」
「あー、なるほど」
類は友を呼ぶ。