第10話
『トレさんのトレジャーライフ』。
それは大がかりな仕掛けのあるステージで行う舞台だった。僕らは座って事の成り行きをドキドキしながら見ていればいいのだろう。幸いなことに、たいして並びもせずに最前列に座ることができた。
それはこのステージがあまり人気がないということなのだろうが…。それに僕は赤松さんの提案でついてきただけなので文句を言える立場ではない。まぁ、面白い面白くないの判断は舞台を見てからでも遅くない。
目の前に広がるのは海を模した巨大なプール。左右には見上げるような巨大な岩があり、右側の岩には木製の小さな足場が見える。
『トレジス・ショーンスの冒険が今日も始まる』
などというナレーションが入る。どうやら本番開始の様相だ。
「これ、前に座ったら水がかかるんで覚悟してくださいね」
今さら言われてもとてつもなく遅い。いや、席こそスカスカに空いてるけれど、今から動くのはなんだか気が引ける。
こういう場合、動いたら後ろの少しやんちゃそうな方にいちゃもんをつけられるってのが世の常で…、お約束というもの。そんなお約束を踏まないために、僕は動かない。
「チッ…」
背後から舌打ちが聞こえた。
お約束ってのは誰かが意図的に用意しているものだったのか…。これは勉強になった。
「ほら春樹さん! 始まりますよ!」
「あ、わか―――」
―バシャン!
「たばべっ?!」
開始早々水を浴びた。
滴る水を振り払って舞台を見ると、小さいボートがプールの水をワザと撒き散らしながら進んでいる。
ワザと、だ。
「ずぶ濡れ…」
ウォーターフォールより惨事だ。
「カッパを準備しないからですよ、春樹さん」
などと言っている赤松さんはしっかりとビニール製のカッパを準備していた。
うん、だからね、ずっと言ってる気がするけど、そういうことはもっと早く―。
―ベシャン!
にこやかにボートを運転する役者。
舞台後にちょっと楽屋裏まで来てもらおうか?
―パシャン!
「………」
もはや何も言うまい。
いや、あえて言わせてもらう!
「そこの役し――」
「テメェ、立つんじゃねえよ! 見えねえだろうが!」
「あ、すみません…」
勢いに任せて立ち上がってしまったようだ。まさか、こんな形でお約束を踏むことになるとは…。不覚…。
というか後ろはまだ待ってたんだな。出待ちご苦労様です。
「どうでしたか?」
舞台終了後、赤松さんが嬉しそうに訊いた。
「まあまあ」
どうだったか、その問いに僕は冷たかったと答えるしかない。濡れたあの姿で舞台を楽しめるはずもないじゃないか!
「…少し休みませんか?」
という赤松さんの提案。
「トコちゃんがすごくはしゃいじゃって、ちょっと疲れてたんです」
舌をチロリと出して赤松さんは悪戯な笑みを浮かべる。
「でも、どこも人が一杯でゆっくりできる場所なんて…」
「大丈夫ですよ」
赤松さんは得意気に胸を張る。
「ほら、あそこ」
「なるほど。別にアトラクションばかりというわけじゃないんだ」
遊園地内のちょっとした高台にその場所はあった。
緑の生い茂る透き通る池の傍。そこのベンチに僕らは座っていた。
「園内にも秘宝はあるんですよ。みなさんアトラクションばかりに目が行きがちですから、こういった場所は発見されにくいんです」
「凝ってるなぁ」
ずいぶんと綺麗な場所だ。手入れも行き届いていて、見つけた人はさぞ嬉しいと思う。
少し遠くなった園内のBGM。賑やかな周囲と切り離されたような空間は落ち着ける場所だった。
休憩も含め、ゆっくりすることにした。
「春樹さん」
しばらくすると赤松さんが口を開いた。
「なに?」
「春樹さんは、私のことどう思ってますか?」
これまた直球な問いかけだ。
正直なところ、なんと言えばいいのかわからない。 赤松さんのことは好きだ。
でもそれは異性としてではない。同級生として、いち友人として、そういったものだ。
彼女が望んでいるであろう、恋愛感情という意味では、申し訳ないが持ち合わせていない。
「………」
やっぱりこのままではいけない。
いけないんだろう。
きっかけがどんなものであれ、僕を好いてくれたこの女の子には感謝している。
だからこそ、このままではいけないのだ。
赤松さんのためにも。
「僕は…」
「ち、ちょっと待ってください!」
赤松さんが僕の声を制す。
「やっぱりいいです。今の質問は無しで!」
「でも…」
「春樹さんを見ていたらわかりました。私が望んでいるような答えはいただけないと…」
「ごめん…」
赤松さんは立ち上がると、池のほとりまで歩いていった。
「赤松さ…」
「ご、ごめんなさい。ある程度覚悟はしていたんですけど…、いざ面と向かって言われると怖くなっちゃって…。はぁ…、ダメだな、私。自分で切り出して墓穴を掘った感じです」
赤松さんは背をこちらに向けたままだ。
「やっぱり、トコちゃんには敵わなかったかなぁ…」
………ん?
ちょっと待て。
赤松さんは何を言って…?
「本当のところ、私が最初に春樹さんに言い寄ったのは別の理由があるんです」
「別の?」
「春休み前のこと憶えてますか?」
春休み前といえば、僕の浮わついた心を強烈な蹴りで撃ち抜かれたあの日が一番記憶に残っている。
「トコちゃんがとちって、春樹さんに告白するのを失敗した日」
そういえばそんな弁明してたな、冴草は。
「それで、春休みの間ずっと『もうだめだー』とか『おわりだー』とかっていじけてたんです。慰めるの大変だったんですから」
あの強気な冴草がねぇ。それはちょっと興味深い。
「新年度になって、トコちゃんと春樹さんと同じクラスになったまでは良かったんですけど…。まぁ、あんなことがあったわけですから、当然春樹さんの態度は冷たいわけですよ」
納得できない理由で蹴り飛ばされた。当然の対応だ。
「ますますトコちゃんは落ち込んでしまって…。リベンジする気も無くしてしまっていたんです」
あれで落ち込んでいたのか?
「そこで私の出番です!」
「つまり?」
「トコちゃんをもう一度告白せざるを得ない状況に陥れるということです」
「それが赤松さんが言い寄ってきた理由か」
「トコちゃんのためだったとはいえ、春樹さん利用してしまったことは申し訳ないです」
「はは、すっかり騙されたよ」
つまり赤松さんにそんな感情は無かったということだ。弄ばれた感は否めないけれど…。
「い、いえ! でも私の告白は本当ですよ? 最初はそんな理由でしたけど、今は…、その…、…今のこの気持ちに嘘は無いですから」
「ありがとう」
………いや待て。
しんみりしている場合じゃない。赤松さんの独白ですっかり隠れてしまったけど、赤松さんの話には妙に引っ掛かる部分があった。
最初の方。
ちょっと巻き戻し。
『春樹さんは、私のことどう思ってますか?』
戻しすぎ。
『それで、春休みの間ずっと『もうだめだー』とか『おわりだー』とかっていじけてたんです。慰めるの大変だったんですから』
進みすぎ。
『やっぱり、トコちゃんには敵わなかったかなぁ…』
そこだ!
その言い方じゃまるで僕が冴草に好意を抱いているみたいじゃないか!
いやまあ、好みの見た目ではあるんだけど。外見だけ! そう! 外だけ! 身体だ…!
って、あんまり言い過ぎるとある種の変質者にとらわれかねないのでこの辺で。
要約すると、性格の不一致?
「あの、赤松さん」
「『赤松さん』、か…。結局最後まで名前の方では呼んでもらえませんでした」
「あ…、ごめ…」
「いえ、いいんです。私は強引すぎたんです。それで春樹さんも引いちゃったんですよね」
勢いに圧倒されなかった、と言えば嘘になる。でもそれは嫌だからとか、そんな意味じゃないのは確かだ。
「あ!」
赤松さんが振り返る。
「私が春樹さんにフラれた、という話はどうか内密に」
言いふらしたりするつもりはないけれど、一応尋ねてみる。
「どうして?」
すると赤松さんはニコリと笑顔を見せて言うのだ。
「私と春樹さんがベタベタして、ヤキモキしてるトコちゃんを見るのが愉しいからです!」
赤松さんに『ドS』属性が追加された瞬間だった。
「ぎ、疑問に思ってたんだけどさ、そんな状態で二人はどうして仲良くできるの?」
ほぼ同時に互いが同じ異性に告白。宣戦布告とも思える行為だけど…。
「チャンスは平等に。私とトコちゃんの約束です」
そんな約束だけで?
「それに、恋愛と友情は別物ですよ?」
「う、うーん、分かるような分からないような」
まぁ、当事者であって無いようなものだしな、僕は。
「ところでぇー」
赤松さんが甘えるような口調で、僕に腕を絡ませる。
「な、なに?」
「この状態で帰ったらトコちゃんどんな顔すると思います?」
「どうも何も、さっきのチーム分けの時やったんじゃない?」
「あぁ、そうでしたね。じゃあ…」
赤松さんは僕の正面に立って、両腕を広げてニコリと笑う。
「だっこ。…ってのはどうでしょう? できればお姫さまだっこで」
遊園地の衆目に晒されながら集合場所まで女の子をお姫さまだっこで抱えて歩いて行けと申すかこのおなごは!
いいですか?
僕には異常握力と言うものがありましてね、その気になれば鉄でもグニャリですよ。普段はそれをセーブしてましてね、なんとか凡人、パンピー、人畜無害な………、とは言えないけど、普通に生活しているわけですよ。
人を抱えるというのは予想以上に大変なのですよ。疲れた所で変に力が入ってしまえば、抱えてるものがグニャリと鳴るかプチュリと鳴るか、どんな音がするか分かったもんじゃないのでございますですのよ。
それ以前に、足腰は凡人もしくはそれ以下。そっちが先にダメになっちゃいますよ。
「お分かり?」
「な、何がです?」
おっと、悪い癖だ。また思考だけで会話してるつもりになってたよ。まぁ、思考が口から溢れ出るような、漫画とかアニメとかドラマとかである、そんな悪癖よりは随分とましだろうけどね。
「じゃあ、集合場所の近くでお姫さまだっこで!」
という赤松さんは随分楽しそうだ。
…ひょっとして自分がそうされたいだけなんじゃ…。
「本当は…」
赤松さんが何かを言いかける。
「…い、いえ、なんでもありません」
罪滅ぼしのつもりで、彼女の道楽に付き合うことにしよう。