9・覚悟
わたくしに無関心なお父様が、初めて執務室にわたくしを呼んだ。告げられたのは、
『王太子殿下はチェリーナと婚約するため、誕生会以来、毎日女王陛下と激しい口論をしているらしい』というもの。
以前のヴァイルは、陛下に反抗したことはなかったと思う。それが苦手意識に起因するものだったとは、時間が巻き戻ってから知ったことだけど。そのヴァイルが、陛下と対立し続けているなんて。
女王陛下の御子はヴァイルしかいない。ほかに何人かお産みになったけれど、みな幼いうちに亡くなったという。ヴァイルが王太子の座を降りたら、次の国王は陛下とは犬猿の仲の弟がなる。きっと陛下は我慢がならないだろう。
『場合によってはお前を修道院に送らなければならない。そのけったいな扮装を止めれば、陛下もお許しになるだろうがな』
お父様はそう言って、話を終えた。
それから程なくしてのこと。いつもどおりに我が家にやって来たヴァイルは挨拶を済ますなり、わたくしの前にひざまずいた。
「軽口はダメだと言ったな。だからこれは真剣だ。チェリーナ、愛している。俺の伴侶となってほしい。母上は説得した」
「……陛下がお許しになったのですか?」
こんなもさもさ眼鏡っ娘で、王太子の誕生会にすらこの格好で出席した非常識なわたくしを?
「チェリーナを得るためと思えば、母上への恐怖も消えた。必要とあれば身分を捨てる覚悟も、母上から王位を奪う覚悟もある」
ヴァイルが微笑む。なぜだか切なそうに見える顔で。
「俺はチェリーナがほしい。なにより、俺がチェリーナを幸せにしたい」
脳裏に、わたくしが刺されたときに驚愕の表情をしていたヴァイルが浮かんだ。
なにか因縁があるのかしら。
だとしても、わたくしの答えは決まっている。
「あなたに嘘をついています」
眼鏡を外し、もさもさの前髪を手で上げた。サラが飛んできてピンで固定してくれる。
「わたくしも、殿下の苦手な顔ですのよ」
ヴァイルが、今度は優しく微笑んだ。
「そうではないかと思っていた。よく考えたら、町の怪しい店に公爵令嬢が素顔でくるはずがない。実際俺も多少の変装はしていた。チェリーナもそうだったのだろう? 俺がおかしなことを頼んだから素顔を見せられなくなってしまった」
ええと。だいぶ違うけれど、どうしましょう。
「すまないことをした。たがそのおかげでチェリーナと知り合えた」
ヴァイルはわたくしの右手を取り、ゆっくりと甲に口づけた。
「――そうだ、俺もひとつ話していないことがあった。この左手に不具合がある」と彼は左手でわたくしの手をなぞる。「原因はわからない。いずれ動かなくなるかもしれないと言われている」
「ならばわたくしが毎日マッサージをしましょう」
ヴァイルは笑みを深くした。
「求婚を受けてくれるんだな」
「ええ。わたくしもあなたを好きですの」
覚悟は決めた。
わたくしは今のヴァイルが好き。自分が幸せにしたいと思うのは、わたくしも同じ。
御前試合の日に十分注意を払って、前回のようなことが起きないようにすればいい。万が一わたくしが殺されてしまったとしても。
嘘をついて彼から逃げるよりは、ずっとマシだわ。




