8・ふたたび魔女の店
ヴァイルの誕生会で、わたくしは倒れてしまったらしい。だいぶ人並みの体になったと思っていたけれど、長時間の緊張には耐えられなかったみたい。
残っていた令嬢の挨拶を彼はわたくし無しで受け、結果、婚約者候補はひとりもみつからなかったそう。
女王陛下は王太子の意志に関係なく、自分が決定すると宣言したという。ひどい話だけれど、ヴァイルは抵抗しているらしい。
彼はわたくしに無理をさせてしまったと、ひどくショックを受けていて、毎日のように『お見舞い』にくる。やたらに豪華な贈り物と共に。
執事は近いうちにヴァイルが結婚を申し込んでくると予想している。
扉を押すと、カランカランとベルが鳴った。雑多なものにあふれ、甘い香りのする魔女のお店。
「奥にいるよ」
と、しわがれた性別不明の声が、どこからかする。
前回魔女とヴァイルが出てきた物陰に進む。その先に彼女がいた。作業台のような机に向かって、なにやら書き物をしている。
「お嬢ちゃんか」と魔女はわたくしを見ずに言った。「一度願いは叶えた。もうなにもできないよ」
「そうは思ったのですが、不安で。望まない方向に物事が進んでいるのです」
彼女がちらりとわたくしを見る。
「――そこに座りな。これが終わったら、話くらいは聞いてやる」
礼を言って、小さな丸椅子に腰掛ける。周りはテーブルや棚がいくつもあり、どこもかしこも物でいっぱいだ。見たことのない文字が書かれた書物に、乾燥中らしき植物の束、薄気味悪いものが詰められた瓶。
と、その中のひとつが目に止まった。魔女のすぐ近くにある瓶。液体の中に浮かんでいるのは――
「手……?」
魔女が顔を上げた。わたくしの視線を追って、その瓶を持つ。
「そうさね。左手だよ」
思わず息をのんだ。
「ああ、勘違いするなよ。これは持ち主が自ら切り落としたのさ」
「どうして!」
「特大の願いごとを叶えるには、犠牲が必要なんだよ。たいていの人間は怯んで諦めるんだがね。こいつは」と魔女は瓶をゆるゆると振った。「躊躇なく、やった」
恐ろしいそれから目が離せない。手は男性のもので、中指に金の指輪がはまっている。そして甲には大きな傷跡がひとつ。
魔女は瓶を置くと、
「お嬢ちゃんには刺激が強いか」
と言って、そのへんにあった布を取って、無造作にかけた。
「で? ワシはなにを聞けばいいんだね」
気を取り直して、わたくしは王太子の婚約者になったら危険があること、それなのに彼に気に入られ、逃げられそうにないことを話した。
「どうして危険とわかるんだ」と魔女。
正直に、死んだはずが過去に戻って生き直していることを打ち明ける。最初から、そのつもりで来たのだもの。魔女なら、危険を回避する術を知っているかもしれないと期待して。
「ふむん。お嬢ちゃんは死に戻り、その記憶がある、と。そういや」と彼女は枯れ枝のような指をわたくしの胸に向けた。「殺されたときに母親の形見は身につけていたんかい」
「いいえ。出掛けに鎖が切れてしまって、屋敷に置いて行ったのです」
「死んだあと、それが棺に納められたと思うか?」
「ええ」
サラが絶対にそうしてくれたはずだもの。
「ならば常に形見を付けていろ。ワシの魔除けは絶対だ」
「はい」
「それは本人専用だから、他人には効力はない。血を分けたものになら、まあまあ効く。殺された日に持っていたら、そうはならなかっただろうよ。――病気には勝てんがね」
「あなたは本当に魔女なのですか?」
「ううん?」魔女がニヤリと笑った。「みな、そう信じている。だから手も切り落とすのさ」
布で覆われたそれを見る。
「持ち主の願いは叶ったのですか」
「さて?」
魔女はくふくふと笑った。
「さ、帰りな。気は済んだだろ」
立ち上がり、
「ありがとうございます」と頭を下げる。
「ワシは善人だからな」と魔女がニヤリとした。「お嬢ちゃんとお嬢ちゃんが愛する男の幸運を祈ってるよ」
「……っ!」
愛する男!?
「そうなんだろう? だから逃げようとしない」
魔女を見つめる。
「目をそらしても運命は変わらないよ」
深い息が口をついてこぼれ、その拍子に涙まであふれた。
「そうですね。わたくし、彼に惹かれています」
以前とはまるで別人のヴァイル。わたくしの知らなかった面がたくさんあって、共に過ごす時間はとても楽しい。
それにあんなに熱のこもった目で見られては、心を動かされないでいられるはずがないのよ。