5・必死のヴァイル
カフェでの騒動以来、ヴァイルはわたくしの屋敷に来るようになった。もちろんお忍びで。
もはや訓練なのか、わたくしに会うのが目的なのかわからない。いつもご機嫌で、楽しそうに話をする。最近読んだ本や評判の演劇、人気のオペラ歌手についてが多い。以前はヴァイルがなにを好きなのかまったく知らなかったのに、今のわたくしはたくさん知っている。
そのことが、嫌ではない。
かといって、この状況は困る。ヴァイルがわたくしを見る目は熱に浮かされているかのようだし、執事やサラの冷たい視線もなんのそのでスキンシップがますます激しいもの。手へのキスも、すっかり普通の行為になってしまった。
もちろん、最初は抗議したのよ?
だけどまるで生きることにすべてに絶望したかのような表情をされてしまって、結局許してしまった。
サラの言うとおりに素顔を見せるべきなのかもしれない。独特のセンスを持ったヴァイルは、もさもさのおさげも、分厚い眼鏡も、長すぎる前髪も、センスがおかしい服装も、すべてが愛らしいと褒めちぎる。
これでわたくしが、それなりの美貌だと知ったなら、きっとショックを受けて目が覚めるはず。
「殿下。そろそろほかのご令嬢と訓練を」
「無理だ。怖い」
わたくしのとなりにすわったヴァイルはニコニコと答える。
「でも誕生会まであとひと月あまりでしょう? このままだとまずいのではありませんか」
「考えたのだが、チェリーナが妃になればなんの問題もない」
なんですって!!
思わず椅子から飛び上がりそうになってしまった。
聞き間違いよね。ね? ね?
そうであってくれないと困るのよ!
「女王陛下がお許しにならないでしょう。わたくしは美しくないですもの」
「許されないなら、誰とも結婚はしない」良い笑顔のヴァイル。「どうせチェリーナ以外には触れられないのだ。結婚しても相手に悪い」
「それを克服するための訓練ではありませんか」
「残念ながら、効果が出ない」
「では訓練は終わりにしましょう」
ヴァイルが飛び上がった。
「ダメだ!」
「でも」
「頑張る! 克服するから訓練を続けさせてくれ!」
訓練?
本当に?
どう見てもヴァイルはわたくしに好意がある。
この外見をしているかぎり、結婚なんて陛下がお許しにならないだろうけれど。
そばにいたら、また冤罪をかけられてしまうかもしれない。
今回はヴァイルは信じてくれそうだけど、忠義者の第一護衛が先走ってわたくしを殺すかもしれないもの。
そんなことには絶対になりたくないのよ。
◇◇
ヴァイルには内緒で領地に居を移そう。
今や彼を嫌いではないから見放すのは良心がうずくけれど、自分の命には変えられないもの。
そう決意して荷造りを始めた日に、王太子誕生会の招待状が届いた。
どうして?
わたくしの変身は完璧で、本当の容姿については使用人たちにも箝口令を敷いて世間には知られないようにしている。
「これが届いたからには、都を出てはなりませんね」と招待状を私室に届けにきた執事が言う。「陛下の意向に背く行為になってしまいます。旦那様もご許可なさらないでしょう」
「そうね。でもまさか、招待されるなんて。『美少女しか招かれない』と聞いていたのに」
「ヴァイル殿下がねじ込んだのでしょう」
サラが執事のとなりで、うんうんとうなずいている。
「お嬢様が考えている以上に殿下は本気ですよ」と執事。
「……なにに?」
恐る恐る尋ねる。
「お嬢様を逃さないことに」と執事。「恋情を言葉にしないのは『訓練』ということにしておかないと、あなたが逃げると気づいているからでしょう」
恋情!
「自覚がないのではなくて?」
「まさか」
執事とサラが同時に首を横に振った。
「お嬢様はおひとが良いから」
「恐らく殿下を止められるのは女王陛下だけでしょう」
「そんな!」
陛下には素顔を見られたらダメだし、八方塞がりじゃないの。
「いえ、まだ方法はあるわ。殿下に素顔を明かすの」
ふたりはまた同時に首を横に振った。
「もうその手は通用しないでしょう」
「ああ、どうすれば……」
「魔女のお守り、効果がないですね」とサラが申し訳なさそうに身を縮めた。「あんな話を私がしたばっかりに。すみません」
「サラのせいではないわ」
確かにあそこで会わなかったら、こんなことにはならなかったかもしれないけれど、行くと決めたのはわたくしだもの。
一瞬、恐ろしい考えが浮かんだ。ヴァイルとわたくしの間には、強い縁があるのかもしれない、と。