2・魔女の店
魔女のお店は、なんの看板も出ていなかった。
けれど扉を押すと、お店らしくカランカランとドアベルが鳴った。
店内は雑多なものがいっぱいで見通しが悪く、不思議な香りがする。
「だから、あんたはダメ」
どこからか、しわがれた性別不明の声がした。
「一度、特大の願いを叶えてやったんだ」
「知らないと言っている」
その声に息を呑んだ。ヴァイルの声だった。
「俺はここに来るのも、あなたに会うのも初めてだ」
「帰った帰った。なんて言おうが、ダメなもんはダメなんだ。新しい客が来たんだ、邪魔だよ」
木靴の音がして、物陰から小柄で背の曲がった老人が出てきた。フード付きのワンピースのような服を着ている。顔はしわくちゃで、確かに魔女のよう。
「ふむん。お嬢ちゃん。なんの用だい」と魔女。
「お守りをほしいのです」
彼女が出てきたほうを見る。あの向こうにヴァイルがいるはずだから、滅多なことは言えない。
「危険とか不幸から助けてくれるような」
魔女が首をかしげ、枯れ枝のような指をわたくしに向けた。
「お守りなら、持っているんじゃないかね」
「いいえ。わたくしもこちらは初めてですの」
「赤い石を持っているだろう」
赤い石?
わたくしは服の下につけていたペンダントを取り出した。丸い赤い玉に金の鳩が乗った細工がついている。
「それだよ」と魔女。
「母の形見ですわ」
「ああ。だから弱いのか」
魔女が近寄ってきて細工を指でつまんだ。それからわたくしをじっと見つめる。
服の下につけていたのに、どうしてわかったのかしら。本当に魔女とか? まさか。
「……いいだろう」と魔女「これを仕立て直してやる」
「形を変えるのは――」
「見た目は同じだよ。力を込め直すのさ」
「ではお願いします」
ペンダントを外して魔女に渡す。彼女はそれを持って奥に進む。
「一週間後においで。お代は金貨二十枚」
「わかりました」
魔女の姿が見えなくなる。
「あんた、さっさと帰りな」
ドカリッとなにかを蹴飛ばすような重い音がして、物陰からヴァイルがよろめきながら出てきた。フード付きコートを羽織り半ば顔を隠しているけれど、見間違いようがない。
彼がこちらを見たので、急いで顔を背けた。
まだ彼はわたくしを知らないけど、なるたけ関わりたくない。
「それでは、お願いします」
姿が見えない魔女に向かって言葉をかけ、足早に店を出る。だけど、
「君!」
と、ヴァイルをあとを追ってきた。
どうしてよ!
「待ってくれ、怪しい者ではない!」
知っているわ。怪しくはないけれど、あなたはわたくしの死因よ!
外で待っていたサラが駆け寄ってきて、彼の前に立ちはだかってくれる。
「怪しくないと言っている!」
ヴァイルはフードを動かして、顔を少し見せた。整った顔立ち、エメラルドのような瞳、額にはらりとかかる銀糸のような髪。サラは初めて見るヴァイルの美貌の威力に、真っ赤になってしまっている。
「王太子のヴァイルだ。君に頼みがある」
「遠慮しますわ」
「女性恐怖症なんだっ!」
「え……?」
ヴァイルを見る。聞き間違いはしていないと思う。
小さいけれど、切実な叫びだった。
女性恐怖症? ヴァイルが? そんなことは聞いたことがない。
サラがわたくしとヴァイルの顔を見比べたあと、脇に下がった。
「今まではなんとか隠してきた」とヴァイル。「だが半年後の俺の誕生日に母上が、婚約者を決める」
知っているわ。わたくし、それで選ばれたのだもの。
「婚約者になるのは、国で一番美しい娘だ」ヴァイルが真っ青な顔をしている。「だが俺は美しくなればなるほど恐怖が増す」
「まさか」
ヴァイルは力なく頭を左右に振った。
「母上が苦手なんだ。そのせいで女性すべてがダメになってしまった」
本当に?
思わず手を握りしめる。
ヴァイルはわたくしを嫌っていた。わたくしが一生懸命、距離を縮めようとすればするほど遠ざかり、いつしかわたくしも彼を嫌いになっていた。
女王陛下に婚約解消を何度もお願いしたけれど、逆に叱られるばかりで。あまりに辛く、最後のほうはヴァイルを憎むようになっていた。
「だがこれではマズイ予感がするんだ」とヴァイル。「藁にもすがるつもりで魔女の店に来たんだが、意味のわからない理由で断られた。そこに君が現れた。目や顔が隠れているせいか、君を見ても怖くない!」
そんな!
この変身が裏目に出たというの?
「女性のこんな近くにいても、鳥肌も立たないし呼吸も普通にできる! 奇跡だ!」
なんですって。そんなに大変な状況だったの?
確かに親しい令嬢はいなかったようだし、彼の周りは同性ばかりだったけれど、それは陛下の方針だと思っていた。彼女は自分が決めた女性しか、息子に近づけたがらなかったから。
「頼む、ご令嬢!」とヴァイル。「俺が女性に慣れるための訓練に協力してくれ」
「訓練!?」
嫌よ。彼から離れるための変身だもの!
「馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、女性を克服しないと俺は、誰かを死なせてしまう気がして怖いんだ」
「……っ!」
死ぬ前に見た、ヴァイルを思い出した。
驚愕の表情だった。
もしかして、少しは後悔をしてくれていたのかしら。
彼を憎んでいたけれど。
わたくしは彼のせいで殺されたけれど。
たとえ無意識でも、惨事を回避したいと考えているのはわたくしと一緒だわ。それにヴァイルのこんな切羽詰まった様子は初めて見る。
「……具体的にどう協力すればいいのか。まずはお話を伺いますわ」
「ああ! ありがとう!」
ヴァイルが嬉しそうな顔をする。
あなたは、こんな表情もできたのね……