16・見覚えが……
「疲れただろう。馬車まで送ろう」
式典が終わると、ヴァイルはそう言ってわたくしをエスコートした。
約束していたキスはいつどこで?と疑問に思ったけれど、彼は忘れてしまったのだろう。事件のときからずっと、表情にこわばりがある。
信頼していた人間に裏切られたのだもの、当然だわ。
本音を言えば、このままなにもなく帰るのは淋しい。
それにショックを受けているヴァイルに寄り添っていてあげたい。
でも彼も事件の後処理をする時間が必要なのかもしれないし――。
とりあえず女王陛下から、わたくしを容疑者扱いしたことについて、非公式の謝罪はもらった。父が相当抗議をしたらしい。
陛下は今後、ヴァイルに婚約者の選定し直しを勧めないし、わたくしを息子の妻として丁重に扱うと約束をしてくれた。
母子関係は少し改善するかもしれないから、その点は安心している。
けれどやっぱり護衛関係は、やるべきことがいっぱいあるのだろう。
エントランスを通り抜け、外に出る。茜色の空のもと、わたくしの馬車はすでに用意されていて、扉のそばにサラが立っている。お父様はいつもどおりに別で帰るから、いない。
従僕がさっと扉を開ける。
「チェリーナ。こんなことになってしまい、すまなかった」とヴァイルが悲しそうな顔で言う。
「なぜあなたが謝るの? それに事件は驚いたけれど、あなたの応援をできて楽しい一日だったわ。なにより」彼の包帯を巻かれた左手にそっと触れる。「助けてくれてありがとう。嬉しかったし、とても素敵だったわ」
「……愛しているから」
ヴァイルがわたくしの手を取り、甲に口づけた。
「わたくしもよ」
「……幸せだ。君に出会えたことを、運命に感謝している」
ヴァイルは微笑んだ。
優しくて、だけど影があるような表情だった。
◇◇
ベッドに入りひとりになると、今日一日のことが次々と脳裏に浮かんだ。あまりに多くのことがありすぎた。
危機を無事に乗り越えたのは感慨深いけれど、優勝したヴァイルがわたくしに誓いを立ててくれたこと、初めてのキスをしたことも嬉しかった。
気持ちが昂ぶって、眠れそうにない。
でも明日は、ショックを受けている彼のサポートをしっかりしたい。
ああでも、その前に魔女のもとにお礼をしに行こう。殺されずに済んだのは、彼女のお守りのご利益もあるだろうから。
と、なにかが引っ掛かった。
なんだろう。
考えてみても、わからない。
まあいいわ。
明日は魔女に、傷薬があるかを尋ねてみよう。願いをきくのは一度だけとのことだけど、ヴァイルの手は痛々しかったもの。
――手……?
はっと飛び起きる。
思いついたことに驚きすぎて、心臓が激しく脈打っている。
ヴァイルの左手の傷。あれは魔女の店で瓶詰めになっている左手のものと、そっくりだったわ――。