13・行方不明の伯爵令嬢
前回は試合のあとわたくしは控室に、ヴァイルは着替えのために自室へ行った。今回はわたくしはヴァイルに抱えられたまま、彼の部屋に連れて行かれた。王宮には毎日来ているけれど、彼の私的な部屋に入るのは初めて。マナー的によろしくないもの。
けれどヴァイルが、
「不安が消えない。優勝すれば大丈夫だと思っていたのに」と泣きそうな顔ですがってきたのだ。「胸騒ぎが落ち着くまで、チェリーナと離れたくない。部屋に連れて行ってもいいか」
こう言われたら、
「ええ」
と答えるしかないでしょう?
ヴァイルはわたくしを豪勢な長椅子に降ろすと、手を離さないまま、
「着替えてくる。待っていてくれ」
と言った。
「いってらっしゃいな」
「ああ」
だけどヴァイルは離れるどころか横に座って、わたくしを引き寄せた。
「心配ないわ。護衛たちが待機しているもの」
室内には第二護衛が、廊下には近衛兵とヴァイルの専属護衛たちがいる。
「そうだが」ヴァイルはわたくしの肩に顔を埋めてしまう。「俺の部屋にチェリーナがいるのを見たら――」
「胸騒ぎがする?」
前回、わたくしが殺されたのは廊下だった。けれど彼の不安は、それとは関係ない可能性もあるし――。
「それもあるが。今まで我慢に我慢を重ねてきたから、急にきた」
「なにがかしら?」
がっしりと抱きしめられていて身動きしにくいものの、頭を巡らす。と、第二護衛と目が合う。彼はコホン、と咳払いをした。
「式典が控えてございます」
「……間に合わないか?」とヴァイルが護衛に尋ねる。
「たとえ殿下のご用意が整っても、ロワイエ公爵令嬢は無理でしょう」
「わたくし?」
ヴァイルがわずかに離れて、わたくしと視線を合わせた。
「チェリーナ。もう一度キスをしても?」
うなずいてから、目をつむる。最初のキスを思い出して、心臓が口から飛び出そうだけど!
と、扉をノックする音がした。
「誰だ、空気が読めないヤツは!」
ヴァイルが小声で悪態をつく。
意地悪なタイミングで部屋を訪れたのは侍従だった。彼にアプローチしていた伯爵令嬢がいなくなったそうで、見かけなかったかと訊きに来たのだった。
ヴァイルもわたくしも知らないと答えて侍従を帰した。けれどすぐにわたくしは不安になった。
彼女は女王陛下が選んだ婚約者候補だ。前回のわたくしの立場に近い。しかも陛下はいまだ諦めていないという噂もある。
なんの事件も起きていないから、彼女が冤罪の末に殺害されることはないだろうけど。
でも胸騒ぎがする。
「ヴァイル。彼女に対して、胸騒ぎはする?」
「いや。チェリーナにだけだが」とヴァイルは答えてから、不安な顔になった。「だが今日が鍵の予感がしている中で、行方知れずか」
「気になるわ」
そういえばわたくしを殺した第一護衛と伯爵令嬢は幼馴染だ。まさか彼女の行方のことで、わたくしに冤罪がかけられるとか?
でも大丈夫。わたくしにはずっと護衛がふたりもついているもの。
ヴァイルが第二護衛を見る。
「第一護衛に休憩をやると伝えてくれ。――いや、待て。なんでアイツでなくてお前がここにいるんだ?」
「それが」と第二護衛が顔を曇らせる。「だいぶ前に腹がくだったとトイレに向かい、戻っていません」
なんですって!
あんなに気をつけていたのに、全然気づかなかった!
「恐らくそれは建前で」と第二護衛。「本気で優勝を狙っていたようだったので、敗退が堪えたのでしょう」
「そうか」とヴァイル。
「殿下にはお耳障りなことかと考え、報告いたしませんでした。申し訳ありません」
――ということは、前回とは関係ないのかしら。だけどこんな偶然はある?
「件の令嬢は彼の幼馴染ですから、共にいるのではないかと」
と、護衛が言えば、ヴァイルは
「かもしれんな」
と納得する。
「だけど念のために彼女を探してもらえませんか。万が一なにかあったときに、後悔しないために」
改まった口調で頼む。ヴァイルは真面目な顔でうなずき、第二護衛に指示を出した。
今日が終わるまでは気が抜けない。わたくしは死にたくないし、代わりにほかの誰かが死ぬのも嫌だもの。
と、となり部屋に通じる扉が開き、侍従が現れた。
「殿下、お召し替えは――」
彼はわたくしに気づいて目を見張る。
「仕方ない」とヴァイルが残念そうにため息をつく。「着替えにいくか」
「――お待ちしているわ」
残念だけど。
ヴァイルの手が伸びてきて、わたくしの頬に触れた。
「楽しみは式典のあとにとっておこう。覚えておいてくれ、チェリーナ」
ドキリ、とする。
前回のわたくしは式典が始まる前に殺された。
今回は大丈夫という気持ちと、何が起こるかわからないという気持ちが半分ずつ。
ああ、でも、わたくし。
無事に生き延びて、ヴァイルともう一度キスをしたい。