帰宅
周囲の視線が辛い。貴族街に来た時からずっとそうだったが、今はそれ以上に辛い。
華やかに着飾った絶世の美女が、とんでもなく地味で怪しい格好をした男と喫茶店の二人用の席で対面してるのだ。誰だって見たくもなる。だが、その気持ちは解るが、自分でもそうするだろうとは思うが、だからといって視線に晒されている方は堪ったものではない。
ーーーーーーていうか、こいつ何でこんな平然としてんの?すげぇな。
恐々とするレオハルトとは反対に、少女は堂々としていた。一身に集まる視線など何のその。レオハルトの分の注文と一緒に店員に伝えた後、そっと髪をかきあげる仕草は周りの男を釘付けにしている事だろう。
「…で?いつ帰ってきたの?」
「は?」
女性店員がレオハルトと少女にコーヒーを持ってきてからすぐだった。少女はカップとカップが載った皿を手に取り、コーヒーを口に含む。ごくりと少女の綺麗な喉が動き、カップと皿をテーブルの上に置いてから少女は唐突にそう問いかけてきた。
「いや、あの…何を…」
「敬語も止めなさい。気持ち悪いから」
「…」
ーーーーーーそうですか。俺の敬語は気持ち悪いですかそうですか。
ど直球な悪口に傷を受けながら、レオハルトもカップに口を付ける。
「そんな事を言われましても…。僕はーーーーーー」
「もう気付いてるんでしょう?私も同じよ。気付かないとでも思ったの?」
解ってはいた。それでもなお誤魔化そうとしたのは、ただの悪足掻き。もう、先送りにはできない。
「…昨日の夜だよ」
「…そう。それなら良いわ。もっと前に帰ってきた癖に、今日までうろちょろしてたのならどうしてやろうかと思ってたけど」
「お前…。物騒なのは変わってないな、リオ」
「貴方こそ、へたれな所は昔と変わってないわね」
先程までの畏まった口調を止めて、少女、リオノーラと軽口を叩き合う。リオノーラの言葉も物騒ではあるが、口調が変わったレオハルトを見て、その表情は穏やかになった。
「久し振りね、レオ。聞きたい事が山程あるわ」
「手短に頼む。この後実家に顔出すつもりだから」
「え、あなたまだ帰ってなかったの?」
「帰るつもりだった所にお前と会ったんだよ…」
リオノーラは驚いて目を丸くした後、今度は申し訳なさそうに目を伏せて口を開く。
「そう…、ごめんなさい。知らずに強引に連れ出したりして」
「気にすんなよ。お前が来なかったら今頃あいつらに絡まれ続けてただろうしな」
想定外ではあったが、もうリオノーラと会う前から想定外の事態は起きていた。そして、リオノーラが来なければあんなに早く解放されはしなかっただろう。
謝る必要はないと答えると、リオノーラは顔を上げる。
だがその表情には、何故か怒りが浮かんでいた。
「それにしてもあいつら、いつもいつもレオに突っ掛かって…。さっきはレオの事忘れてたみたいだけど…」
「?いつもって、俺、あいつらとは初対面だぞ?」
リオノーラの怒りの原因が自分ではなかったと安堵しながらも、レオハルトはリオノーラが言った言葉について引っ掛かりを覚え、それについて問いかける。
するとリオノーラはきょとん、と首を傾げながら、まるで貴方は何を言ってるの?とでも聞きたげな顔になる。
「貴方、忘れたの?社交界に出席する度に貴方に絡んできてた三人よ」
「?」
あの三人と社交界で会っていた?
レオハルトは記憶を遡り、何とか思い出そうとするが、どれだけ思い返してもあの三人の顔が思い浮かばない。
「…お前、学院はどうしたんだよ。サボりか?」
「露骨に話題を逸らしたわね。そして、思い出せなかったのね」
「しょうがないだろ。全く印象にないんだから」
「…あんなに絡んでたのに、印象にすら残らないなんてあの三人も可哀想ね」
これ以上考えても思い出せないだろうと結論付けたレオハルトは、話題を変えてその話を無理矢理終わらせようとする。当然、それはリオノーラはすぐ悟ってツッコミを入れるのだが。
「はぁ…。学院は今日は休日よ」
「へぇ。散歩か?」
「まあそんな所ね。欲しい本を買いに行く途中だったの」
「そうなのか。なら買いに行ってこいよ。折角の休日なんだし、ゆっくりしろよ」
「そうね。折角の休日なんだし、久し振りに会った幼馴染みとゆっくりお話させてもらうわ」
「…本は良いのかよ」
「気にしなくても良いわ。別に何としても欲しいって訳じゃないし。また次の休日に気が向いたら買いに行くわ」
優雅にカップを手に取り、口に付けるリオノーラ。
その仕草が、四年の間家を離れたレオハルトとずっと家で教育を受けてきたリオノーラとの差を突きつける。
まあ、レオハルトは全くそんな事を気にしてはいないのだが。
「話題を逸らそうとしても無駄よ。貴方から満足いく話を聞くまで逃がさないから」
「ちっ…」
小さく舌を打つ。リオノーラと話すその裏で、こっそりこの場から去る、或いはリオノーラが去る状況へと導こうとしていたのがバレていた。
「で?国を出てから四年、どこで何をしてたのよ」
「別に。宛もなく旅してただけだ」
リオノーラの問いかけに、レオハルトはカップを持ち上げながら答える。カップの縁に口を付け、中身を口の中へ流す。温くなったコーヒーを一気に飲み干して、空になったカップを置く。
「質問を変えるわ。何も言わずに国を出たのはどうして?」
リオノーラへと視線を向ける。リオノーラは鋭い目で真っ直ぐに、レオハルトを見据えている。レオハルトは黙ったまま、リオノーラの視線に対して見返す。
「言えない」
「…」
一言、簡潔にレオハルトはそう答えた。リオノーラは鋭い視線をそのままに、レオハルトを見続ける。レオハルトもまた、リオノーラから視線を外さない。
先に視線を外したのはリオノーラだった。鋭い視線を緩め、そっとテーブルに落としてから、ゆっくりと語り始めた。
「私ね。最初は、貴方が周りからの言動や扱いに耐え兼ねて国を出たって思ってたの。私が知らない所でもきっと、貴方は私の知らない酷い言葉を投げ掛けられたんだろうって」
リオノーラはそこで一度言葉を切り、カップを手に取り、先程のレオハルトと同じ様に大きく呷った。空になったカップをテーブルに置いてから、リオノーラは続けた。
「貴方の行方が解らなくなってすぐに捜索が始まったわ。でも、結果は見付からず仕舞い。…おかしな話よね。宰相の息子の貴方がいなくなったっていうのに、捜索は不自然なほど早く打ち切られた」
「…」
「それなのに貴方の両親は、国王の方針に対して何の異論も唱えなかった。リトンブルク家の人間として、私情を挟めなかったとも捉えられるけど」
「その通りなんだろ。父上も立場上、俺を優先するなんて事はできない」
「コーネリウス様もマリアベル様も、あんなに貴方を溺愛してたのよ!?貴方が属性を持ってなかった事を知っても、お二人の貴方への態度は変わらなかった!それなのにーーーーーー」
「リオ。声がでかい」
「っ…」
只でさえリオノーラがいる事で視線を集めてるというのに、その注目の的であるリオノーラが大声を出せばどうなるか。
店内は静まり返り、店員ですら足を止めてレオハルトとリオノーラに視線を浴びせ、やり取りに耳を傾けていた。
リオノーラは現状に気付き、心を落ち着かせるべく深呼吸をする。
幸い、話の全容を聞き取られてはなかったのか、すぐに周囲からざわめきが復活した。
「…私達は、貴方が国を出なければならなかった理由があるって睨んでる」
声を小さく、レオハルトにのみ聞こえるボリュームでリオノーラは言った。
「…私達、ね」
「えぇ、そうよ。エレノアもクラウスも同意見」
エレノア、クラウス。また懐かしい名前だ。リオノーラと共に昔、よく四人で遊んだ仲だった。
あの二人も元気だろうか。喧嘩なんかして仲違いしてないだろうか。なんて在りし日を懐かしんだのは一瞬。リオノーラは追求の手を休めない。
「教えて、レオ。貴方はどうして国を出たの」
「…」
「貴方が何だろうと、私達は貴方の味方よ。もし貴方が何かを背負っているのなら一緒に背負わせて」
真っ直ぐに、何の恥ずかしげもなく、リオノーラは言い切った。
そして、あの二人もまた、リオノーラと同じ様に言い切ってしまうのだろう。
ーーーーーーそれだから、言えないんだよ。リオ。
だからこそ、レオハルトは心の内を明かせないというのに。
きっと、今レオハルトが助けてくれと願えば、リオノーラは何の迷いもなく手を貸してくれる。
だからこそ、レオハルトはリオノーラの問いに答える事が出来ないのだ。
「…何もねぇよ。お前が最初に言った通り、色々と嫌気が差したんだよ」
「レオ」
「お前らに悪いとは思ってる。すまなかった」
「私は、そんな事を聞きたいんじゃっ…!」
再びヒートアップしかけたリオノーラはすんでのところで思い留まる。
吊り上がった目尻が、リオノーラが抱く怒りの大きさを物語っている。
「リオ」
「…ばか」
「すまない」
「ホントにばか。いつもはへたれな癖に変な所で頑固なんだから…」
「…すまない」
「謝るくらいなら話しなさいよ」
リオノーラの潤んだ瞳から視線を逸らす。
そんなレオハルトを見て、リオノーラは大きく溜め息を吐いた。
「解った。もういいわよ。今日のところはこれで終わりにしてあげる」
「何でそんな上からなの?後、今日のところはって何?」
レオハルトの疑問はリオノーラの怒りの視線で封殺される。
解っている。自分に文句言う資格なんてないのは解っている。だが、思った事をすぐに口に出してしまうレオハルトの性格はリオノーラの神経を逆撫でした。
「じゃあ、行きましょうか」
「…は?」
リオノーラは息を吐いて気持ちを落ち着けると、立ち上がりながらそう言った。
ちょっと何を言ってるか解らない。話はこれで終わりのようだが、その言い様だと、まるでこれからリオノーラと一緒に何処かに行くみたいじゃないか。
「は?て何よ。貴方、これから帰るんでしょ?」
「いや、まあそのつもりだけど…。俺が気になったのは、お前の言い様がまるでついてくるつもりの様に聞こえたから」
「えぇ、ついていくつもりよ?」
当たり前じゃない、と胸を張るリオノーラ。
大きい…じゃない。そうじゃない。気にするべきはそこじゃない。
「何で?どうして?お前がついてくる必要なくない?」
「あら、必要ならあるわよ?貴方が途中で逃げないように監視しなくちゃいけないしね」
あまりの言い草に開いた口が塞がらない。この女は自分を何だと思ってるのだろう。先程もへたれとか抜かして。レオハルトという男を甘く見すぎではないだろうか。貴族街に入る直前ですら躊躇うくらいに度胸を持った男だぞ。
ーーーーーー自分で考えてて悲しくなってきた。
目から涙が出そうになった所で思考を切る。これ以上は駄目だ。泣いてしまう。
「いつまで座ってるの。お代は払っておくから、先に外出てなさい」
「いや、俺が払うよ。リオの方こそ外で待ってろよ」
「そう?大丈夫?お金ある?」
「コーヒー奢るくらいあるわ!」
本当にこの女、自分を一体何だと思ってるのだろう。そのくらいの甲斐性はあるし財力だってある。コーヒー奢る程度で財力とかいうのはどうかと思うが。
リオノーラが店を出た後、レオハルトも会計を済ませてから店を出る。店を出る際、店員の視線を背後からびしびしと感じたが無視。構わずレオハルトは店の外で待っていたリオノーラと合流する。
「それじゃあ行きましょう」
「…あぁ」
そして二人は歩き出す。二人が向かう先は、貴族街の中でも特に階級が高い者達が住む邸宅が集まる、貴族街の東部だ。
国に中枢を担い、王と共に民を守るために存在する貴族。その中でも特に位が高く、国に大きく貢献してきた三つの家が在る。
今代の当主が宰相を務める、リトンベルク公爵家。
代々、王直属の宮廷魔法士以外の国の全戦力を纏め上げる役職、統帥を務めるハルスタッド公爵家。
王国に魔法大臣という役職が出来てから、代々その役職を受け継いできたユルドグレイヴ公爵家。
この三つの家は国民から畏敬の念を込めて、三大公爵と呼ばれている。
「…来ちまったなぁ」
ポツリと、レオハルトはそう漏らした。
目の前に在るのは、何もかもが他に比べて巨大な屋敷。黒い正門も、屋敷を囲む白い塀も、勿論奥に見える屋敷も。
屋敷の周りに広がるは見事に整備された庭。庭の中にはいくつか池があり、そこでは観賞用の魚が飼育されている。屋敷以外にも、敷地内にはいくつか建物があり、そこでは屋敷内で働く使用人が暮らしている。そして敷地の中央に聳え立つ巨大な屋敷は、リトンベルク公爵家の本邸。これからレオハルトが向かう目的地である。
「何ぼうっとしてるの。行くわよ」
「ま、待って。心の準備が…」
「そんなのいつまで経っても終わんないわよ」
ずんずん進もうとするリオノーラに待ったを掛けるも効果なく。レオハルトはリオノーラにローブのフードを掴まれ、引き摺られていく。
「これはリオノーラ様。本日はどのような御用で?」
正門の前に立つ二人の門番、その内の一人、若い男が近付いてくるリオノーラに声を掛ける。
「リトンベルク公爵様と奥方様に、今すぐ会わせたい人がいます。門を開けてください」
「…会わせたい人というのは、まさかそちらの男ですか?」
ここでようやく、門番の二人の視線がレオハルトの方へと向く。
若い方は訝しげにもう一人、壮年の男は鋭く。
だがその直後、壮年の男の表情が一変する。レオハルトの顔を見て、次第に驚きを露にしていく。
「そ、そんな…。ま、まさか…っ」
「どうかしたんですか?」
仲間の様子がおかしい事に気付いた若い兵が問いかけるが、わなわなと震える男は何も答えられない。
「す、少しお待ち頂いてもよろしいでしょうか!?アルフレッド様をお呼びしてきます!」
「え?ちょっ、何を!?」
ずっとレオハルトを見つめていた男が、慌てて門を開けて敷地内へと駆け込んでいく。その向かう先には、リトンベルク家の屋敷。
「…何だよ」
「ううん。別にぃ~?」
レオハルトにニヤニヤと面白がるように笑みを向けてくるリオノーラ。いや、実際に面白がっているのだろう。これからすぐ、レオハルトを巻き込んで起こる騒ぎを予期して。対抗してレオハルトはリオノーラを睨み付けるが、全く効いた様子はなく、変わらず笑みを向け続けてくる。
もう放っておこうと視線を逸らし、溜め息を吐きながら空を見上げる。
何とも腹が立つ程、見事に空は青く晴れ渡っていた。
先程屋敷へと向かった兵士が一人の老執事と共に姿を現したのは、それから十分ほど経った時だった。老執事はまずリオノーラを見て、そして隣に立つレオハルトを見て目を見開いた。
ーーーーーーあーあ、これで本当にこの家に帰ってきたわけだ。
レオハルトは速度を上げて駆けてくる老執事に向かって、手を上げながら笑みを向けた。
「れ、レオハルト様…で、ございますか…?」
広大な敷地の半径の距離を走り抜けても何のその、息切れ一つ起こさない老執事は、レオハルトの前に立って、呆然と問い掛けた。
レオハルトは口を開こうとして、躊躇い、頭の後ろを掻いてから今度こそ口を開いた。
「ただいま、アルフレッド。息災にしてたか?」
リトンベルク公爵家の嫡子、レオハルト・フォン・リトンベルクが四年ぶりに帰還した瞬間である。