赤髪の少女
少女が少年と出会ったのは、三歳の時だった。いや、母が言うにはもっと前、それこそまだ赤ちゃんの頃から会っていたらしいがそれは除く事にする。
黒みがかったブロンドの髪は綺麗に整えられ、大きく輝く黒い瞳が真っ直ぐ向けられていたのを今でも覚えている。
『君はだれ?』
初めて聞いた少年の声。
兄はいるが歳は少し離れており、その男とも女ともとれない中性的な声がとても印象的だった。
『私はリオノーラ。あなたは?』
『りおのーら…リオノーラ…。うん、覚えた。僕はレオハルト。よろしくね、リオノーラ!』
自分の名を名乗り、少年に問いかけると、少年はレオハルトと名乗り、微笑みながら少女へと手を差し出した。
これが、少女、リオノーラにとって掛け替えのない少年との最初の出会いだった。
リオノーラもレオハルトも、国の中枢たる貴族の子供で、滅多に会う機会はなかった。特にレオハルトは才能溢れる次の跡継ぎとしてとても期待されており、外に出る事すら容易ではなかった。それでも、会う機会があれば必ず二人で前に会ってから何があったかを語り、時に使用人の目を盗んで屋敷を抜け出し、外に遊びに行った事もあった。
二人が出会ってから三年、二人に新たな友人が出来た。同い年の男の子と、女の子。その日からは、二人加わり四人で遊ぶ機会が増えた。といっても、その二人もまた国の中枢たる貴族で…というより、男の子の方は王族で、本当に滅多に四人で集まるなんて事は出来なかったのだが。
それでも、楽しかった。ずっと大人達に囲まれて過ごしてきた少女にとって、同年代の友人の存在は、とても大きかった。
それからは、レオハルトと三つ離れた妹も四人の輪に加わり、毎日があっという間に過ぎていった。
そんなある日の事だった。家族で出席した社交界。別にいつもと変わらない、もう大人に機嫌をとられる事にも馴れた、そんな日常の一ページ。だが、リオノーラが知らない所で変化は起きていたのだ。
リオノーラの近くに経っていた一人の男がレオハルトを見て、何かを口にした。一瞬、どういう意味なのか、頭が混乱したのを今でも覚えている。
落ちこぼれ
その男は、以前の社交界で、レオハルトを天才、神の愛し子と誉めちぎっていたのをリオノーラは覚えていた。
ーーーーーーどうして?
男だけじゃない。社交界に出席した貴族の多くが、程度に差はあれどレオハルトに軽蔑の視線を送っていた。
ーーーーーーやめて
大人達がこそこそ囁く声が聞こえる。レオハルトへの蔑みの声が。
ーーーーーーやめて
レオハルトは何も言わず、ただ立っているだけ。他の貴族と挨拶を交わす両親の傍ら、両親と妹と少し離れた所で、どこを見てるとも言わない視線を、遠くへ向けているだけ。
ーーーーーー私の友達に
ふと、レオハルトに近付くにやついた笑みを浮かべた三人組が目に入った。リオノーラやレオハルトと同じくらいの歳の少年達だ。
ーーーーーー大切な人に
嫌な予感がした。リオノーラは両親と兄から離れ、レオハルトの下へと駆け出す。
『おい、お前』
三人組の真ん中に立つ銀髪の少年が、レオハルトに話し掛ける。どう見ても、友好的に話そうとしている様には見えない。周りの大人達は、その様子に気が付いていない。気が付いているのは、リオノーラだけ。
『何でお前みたいな落ちこぼれがここにいる?』
目の前が真っ白になった。気付いた時には、リオノーラはレオハルトに後ろから羽交い締めにされていた。目の前には両頬を真っ赤にして涙を流す銀髪の少年。そして、じんじんと痛みを発する自分の掌。自分が何をしたか、すぐに解った。
我に返ったリオノーラとレオハルト、そして三人組の少年達はそれぞれの両親と共に会場を出て、事情を聞かれた。事情を正直に話すリオノーラと、その上で何が悪いとふんぞり返る三人組。何も言わず、黙ったままのレオハルト。
事情を聞いた三人組の親達はすぐさまレオハルトの両親に頭を下げた。レオハルトではなく、レオハルトの両親に。その後、レオハルトの両親に促され、レオハルトにも謝罪したが、真っ先に謝らなければならない相手はレオハルトではないのか。そして、いつまでも駄々をこねレオハルトに謝罪しようとしない三人組。その様子が、再びリオノーラの心を怒りで燃やす。
だが、リオノーラは何も言えなかった。レオハルトに引き留められたから。止めてくれと言われた訳じゃない。それでも、自分の手を握って俯くレオハルトは、何も言わずともそう言っている様にリオノーラには思えたのだ。
その社交界の後からだった。レオハルトと会う機会が今まで以上に減ったのは。たまに会えても、その様子に翳りが見え隠れする様になったのもこの頃だ。リオノーラはレオハルトに何があったのか知らない。両親や兄は何か知っている様だったが、何も教えてくれなかった。
リオノーラは変わらない。友人二人も、レオハルトへ向ける態度は変わらない。レオハルトは変わった。自分達と距離を置く様になった。何度もそんな事をするなと言った。レオハルトが何だろうと、自分達が友達なのは変わらない、と。
何時しか、レオハルトは姿を見せなくなった。毎年必ず、四人揃って出席してきたリオノーラや友人達の誕生会にも来なくなった。そして、リオノーラとレオハルトが出会ってから十年。リオノーラが十三歳の時、今から四年前の事。
レオハルトは、サヴェルトス王国から姿を消した。
赤髪の美しい少女が、エメラルドグリーンの瞳をレオハルトに向けている。レオハルトはその瞳から目を離せないでいた。
日差しを受けて輝く髪も、気の強そうな目も、昔と変わらない。
「貴様…、何をしている。リオノーラ様は貴様ごときが目にして良いお人ではない!すぐにここから消えろ!」
その怒鳴り声で我に返る。目の前の少女もまた、同じ様に我に返ったのか、目を見開いてレオハルトから視線を外して、二人の前方にいる三人組を見る。
「何を言っているのか理解できないわね。この人が私の姿を見て、それの何が悪いというのかしら?」
「悪いに決まっているでしょう。こんな下賎な奴など、貴女の姿を見るのも勿体無い」
「その口を閉じなさい。もうこの国は貴族主義ではないわ」
「しかし、この国は貴族の手によって回っている」
「確かにこの国の中枢にいるのは貴族だわ。でも、多くの民がいなくては国が終わる」
睨み合う二人。今ならこっそり立ち去れるだろうか。
静かに、前を向いたまま足を後ろへ踏み出す。
「っ!?」
少女が振り返った。僅かな間だが、レオハルトを睨み付けてから視線を戻す。
気付かれた。逃げ出そうとした事だけじゃない。もう、全て気付かれている。何故だ。自分で言うのも何だが、当時と比べてだいぶ変わったと思うのだが。もしや、自意識過剰なだけだった?それは…少し悲しい。
「…貴方には何を言っても無駄なようね」
「貴女の言う事も解ります。ですが、貴女は優しすぎます」
完全に考えが決裂した二人。いや、会話を聞く限り、何度も同じ様な言い合いをした事があるのだろう。二人の考えは、決裂している、と言った方が正しいか。
「もう下がりなさい。言い忘れてたけど、彼は私が呼んだの。責めるなら私を責めなさい」
「は?」
「貴女がこいつを?…何故」
「それを貴方に説明する必要はあるのかしら」
「…」
「いや、あの…」
勝手に話が進んでいるが、勿論レオハルトはこの少女に呼び出されたりなんてしてない。さっきのはこの少女が吐いた嘘、でまかせだ。恐らくそれは、この少年にも解っているだろう。だがそれを証明できる根拠はない。少女に嘘だと言い張っても、少女が本当の事だと言い返されればそれで終わりだ。レオハルトがここで空気を読まず、それは嘘ですと供述すれば話は別だが…。
ーーーーーー後が怖い…。
という事で、ここは流れに身を任せる事にする。
どっちに転んでもこの後ろくな目に遭わないのは目に見えている。それなら、少しでも気が楽な方をレオハルトは選ぶ。
「もういいかしら。これから、彼と話があるから」
「…失礼致しました。おい、行くぞ」
これ以上食い下がるのを諦め、少年は綺麗な御辞儀を少女に披露してから、身を翻し立ち去っていく。取り巻きの二人も慌てて少年を追い掛け、その場から去っていった。
「…大丈夫だった?何かされたりしてない?」
「い、いえ。大丈夫です。助けて頂き、ありがとうございました」
少女がこちらに振り向く。背中まで伸びた長い髪が揺れる。
レオハルトは少女の問いかけに問題ないという旨をのせて答えを返す。少女はレオハルトの顔から足まで、上から下へ視線を巡らせ、本当に何もされてないと確認してから一つ頷き、微笑みながら顔を上げた。
「それなら良かった。彼ら、貴族主義染みた考え持ってるから…、貴方のような格好をした人が貴族街に来ているのを見るといつも絡んでるのよ」
「そうなんですか」
短い時間とはいえ、あの三人と関わり何となく察していたがやはり常習犯だったようだ。少女は両腕を組んで、三人が立ち去った方へ視線を向けて溜め息を吐いた。
少女の両腕の上に乗り、強調された胸部がレオハルトの視線を吸い込む。が、不意に少女がこちらを向いたため即座に視線を逸らす。落ち着け。旅の間にもっと凶悪なものを持った女性は何人も見てきたじゃないか。それなのに、視線は尚も少女の胸の方へと向かおうとしている。
止めろ、止めるんだ。その先にあるのは死だ。社会的な。
「そ、それじゃあ僕はこれで…。本当にありがとうございました…」
駄目だ、これ以上ここに居てはいけない。早くここから離脱しなければ。
レオハルトは少女に向かって腰を曲げ頭を下げてから、そそくさと立ち去ろうとする。
「待って」
だ が し か し ま わ り こ ま れ た
逃げられない。立ち去ろうと少女がいる方とは逆の方向に向けた足を止め、恐る恐る少女の方へと振り返る。
とても綺麗な笑顔を浮かべていた。世の中の男性全てが見れば魅了されるのではとすら思える微笑み。しかし、レオハルトはその笑顔に騙されない。むしろ、戦慄すら覚えていた。
ーーーーーー笑ってないっ…、目が笑ってないっ…!ていうか何か噴き出してる!
鼻から上は全く笑っておらず、更に背後に何やら黒いオーラを幻視する。きっとこのオーラは自分にしか見えていないのだろう。
怒りを向けられている、自分にしか。
「あなたと話したい事があるの。少し、時間を貰えるかしら?」
「い、いや、ちょっと急いでるんで…」
「あなたと話したい事があるの。少し、時間を貰えるかしら?」
「…」
この女、何がなんでも逃がさないつもりだ。
少女は立ち竦むレオハルトとの距離を詰めながら、微笑みを投げ掛け続ける。
ーーーーーー昔と変わらない…いや、強引さに拍車が掛かってないか…?
一体全体どうしてこんな事になったのだろう。確かにレオハルトの日頃の行いは御世辞にも誉めたものではないが、全うに生きてきたつもりだった。それが何故ーーーーーーはい、解ってます。自分のせいです、はい。自業自得です。
詰みだ。もう逃げられない。観念したように、レオハルトは大きく息を吐いてから、今も真っ直ぐレオハルトを見据える少女の視線に受けて立ちながら、口を開いた。
「わかった」
「そう。なら、ついてきて。私のお気に入りのお店で話しましょうか」
本当に、どうしてこうなった。別に逃げるつもりはなかった。後にはなるが、ちゃんと向き合って話すつもりではいたのに。こんな心の準備をする暇もなく、遭遇してしまうとは。
「はぁ…」
思わず出る溜め息。
レオハルトはこれから聞かれるであろう質問の数々を予想し、それに対する返答を頭の中で整理しながら、少女の後に続くのだった。
もっとテンポ良く物語を進めたいところですが、やっぱりヒロインの初登場ですし、じっくりいかせてもらいます。