秘密の聖餅
(* ̄∇ ̄)ノ エルアーリュ王子が、またやってしまいました。変態注意。
昼は賑わうローグシーの街。日が落ちれば夜となり、夜も深まれば酒場の客も少なくなる頃。
「この街に来るのも久しぶりか」
夜で雨も降っていないのに帽子を目深に被り、ランプを片手に街を歩く男がいる。
「あぁ、蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士の結婚式、見たかった……」
特徴的な長い金の髪を帽子に隠し、マントの襟を立てて顔を隠すようにして街を歩くのは、このスピルードル王国の王子、エルアーリュ。
(私も王族として妻を迎えねばならんのは解るが、まさか聖王家の姫を妻にすることになるとは)
聖王都から来る姫を迎えるために、ゼラとカダールの結婚式に来れなかったエルアーリュ王子。
隠密ハガク、商会長パリアクス、弟のアプラース王子から、二人の結婚式がいかに素敵だったか、華やかだったか、と聞く度に心の中で歯軋りをしていた。
(この歳で涙の海に溺れそうな気持ちを味わうことになるとは。父は私を王にして隠居してローグシーに行きたいとか言うが、私が王になるにはまだ早いだろうに)
聖王家の姫を迎え結婚となれば、次の王となる予定のエルアーリュ王子。しかし、政務が増えれば王都から離れにくくなり、ローグシーに気軽に来るのは難しい。
(弟のアプラースが羨ましい。しかし、アプラースの話からこの情報を得られるとは)
エルアーリュ王子は思い出す。
「兄上の耳に入れておきたい話があるのだが」
「なんだ? アプラース。他国の手の者のことか?」
「そちらはウィラーイン諜報部隊フクロウが監視している。兄上の隠密、ハガクが教導しただけあってフクロウは優秀だ」
「もともとが、あの無双伯爵と博物学者の部下だ。只者であるはずが無いだろう。フクロウをまとめるあのクチバも、ハガクと同じ里の出だというし」
「彼らはもともとが旅芸人や吟遊詩人で、戦闘は苦手と言っていたが……」
「領内領外の情報を探るにはよい人選だろう」
「兄上、ここはウィラーインだぞ。彼らの戦闘は苦手、というのもウィラーイン基準だ」
「そ、そうだったな」
魔獣深森に隣接するウィラーインには猛者が揃う。ゴブリンもコボルトも鎌と鍬で追い返すという噂があるのがウィラーイン領だ。
アプラースが俯く。
「ハガクから聞いたことに耳を疑ったが、花屋の娘も酒場のおかみさんも、ウェアウルフ相手に一歩も引かずに戦ったというのは、嘘では無いようだ」
「それができるからこそ、ウィラーイン領は栄えているのだろう」
「この地の者を侮り下手を踏む他国の者も増えたが、兄上に聞かせたいのは別の話だ。今、真相を探らせる為にササメが調査しているのだが」
エルアーリュ王子は夜道を歩きながら考える。
(アプラースの話をもとにハガクにも探らせたが、それほど心配することも無さそうなんだが。蜘蛛の姫ゼラが人気があるのは当然。ただ、中にはちょっと熱心過ぎる者がおかしなことをするのは問題、か)
エルアーリュ王子が向かうのはローグシーの街の鍛冶屋が並ぶところ。
(かの話が本当であるならば、私自ら調べねばなるまい。ハガクは今頃、領主館の大浴場で東方かぶれの双子の姉妹とキャッキャウフフの筈)
噂の真相を探るべく、エルアーリュ王子は供も連れず、たった一人で夜の街を歩く。王子としてどうかというところだが、それだけエルアーリュ王子が気になるものがある。
一建の鍛冶屋の裏口に立ち、エルアーリュ王子は扉をノックする。
扉の向こうから女の声が。
「どちら様ですか?」
「黒の聖獣様の恵みを求めて、ローグシーに参った信徒です」
隠密ハガクが調べた符丁をエルアーリュ王子が口にする。扉の向こうから覗き窓を開けて、女の目が覗く。
「……慈愛豊かなる」
「……ポムンポムン」
「……祈りの声に応えて」
「……しゅぴっ」
合言葉を言わねば入れぬ秘密の店。エルアーリュ王子が正しく答えると扉が開く。エルアーリュ王子は足音を忍ばせて、裏口から店の中に入る。
そこに立つ女にエルアーリュ王子は見覚えがある。ゼラの鎧に装備品を専属で造る、腕のいい鍛冶師の姉妹。その妹の方だ。
エルアーリュ王子は鍛冶師に訊ねる。
「本当に、あるのか?」
「ええ、ただしこれは極秘に」
「解っているとも」
「これは秘密の守れる同士にだけ。姫に身命捧げられる者だけに」
「そうで無ければならん。金に変えられる価値では無い。胸に敬愛の火を点す者でなければ」
鍛冶師妹はエルアーリュ王子を案内して奥へと進む。部屋の中で振り向きエルアーリュ王子を見上げる。
「あなたは……、私と同じ目をしているわ。どうぞ」
鍛冶師妹がテーブルの上にかけられた布をとる。そこにあるものを見て、エルアーリュ王子は、歓喜の震えが止まらない。
人の頭ほどもある半球がふたつ並ぶ。ほのかに甘い香りが漂う。ろうそくの火に吸い寄せられる羽虫のように、エルアーリュ王子はテーブルへと近づく
「これが、蜘蛛の姫のおっぱいケーキ……」
「先週型取りしたときのものよ。御子をお産みになって、前より少し大きくなったわ」
鍛冶師妹がテーブルの上、ふたつ並ぶケーキの横に懐から出した布を置く。
「それは?」
「ゼラさんが着けていた以前のブラジャーよ。ちょっときつくなったと言っていたわ」
テーブルの上に並ぶ褐色の双丘ケーキ。鍛冶師妹の出したブラジャーはそのケーキにはまりそうな大きさ。
エルアーリュ王子はひとつ咳払いして鍛冶師妹に訊ねる。
「まさか、これで金もうけなどしてないだろうな?」
「蜘蛛の姫の胸の型を使って商売するのは、カダール様に禁じられているわ。それにこれは、熱心過ぎるゼラさんの信徒の心を修めるためのもの」
「それは、どういう意味だ?」
「カダール様は素晴らしい人よ。ゼラさんが夢中になるのも解る。そしてあの二人が並び立つからこそ尊いのよ」
「ああ」
「それでもこう思ってしまうもの、カダール様、羨ましい、と」
聞いてエルアーリュ王子は、むう、と唸る。
(確かに。黒蜘蛛の騎士カダールこそ騎士の鑑。優しさと強さを併せ持ち、如何なる困難に対してもその精神は不屈。私も男として尊敬の念を抱く。だからこそ蜘蛛の姫ゼラはカダールに惹かれたのだろう。あの二人の愛が、灰龍とメイモント軍という二つの国難からこのスピルードル王国を救った。あの二人に敬意を持って当然。だが、こうも思ってしまう)
エルアーリュ王子はテーブルの上のケーキをじっと見つめる。
(蜘蛛の姫の愛を受けて、これを好きにできるカダールが羨ましい)
エルアーリュ王子は想像してしまう。目の前の二つのケーキを見ながら。いろんなことを。そしてこれまで隠密ハガクが運んだ、ルブセィラ女史の書いた報告書の内容を。
(これを、好きにしたのか、カダールよ)
「さあ、食べましょうか」
「うむ、いただこう。フォークは無いのか?」
「このケーキにフォークやナイフを刺すのは無粋よ」
鍛冶師妹は人の頭ほどもある半球のケーキを、両手で捧げるように持ってかぶりつく。エルアーリュ王子もそれを真似して、おっぱいケーキを一口食べる。
(おお……、味は普通のチーズケーキ。だが、まるで蜘蛛の姫の慈愛が身体に染み込んで来るような、この恍惚感はなんだ? 食べるごとに身体から力が抜けていく。心が安らぎに包まれる。まるで、幼い頃に母に抱かれた頃のように……)
ふと、目の前を見れば鍛冶師妹の目に涙が浮かぶ。
「あぁ……、美味しいです、ゼラ様……」
同じ思いを胸に抱く同士二人は、感動に打ち震えながらケーキを食べる。フォークも使わず手づかみで。一口一口じっくりと味わうように。
真の黒の聖獣の信徒の為に、蜘蛛の姫より贈られる秘密の聖餅が、ローグシーの街にはあるという。
教会は否定しており、極一部のファンに流れる噂だ。あるかどうかも解らぬその聖餅の正体は、未だ秘密のベールに包まれている。
( ̄▽ ̄;) エルアーリュ王子って、どうしてこうなってしまった? 頭のいい次代の賢王のハズ……




