リス姉妹、寂れた村の死闘◇5
(* ̄∇ ̄)ノ 栗鼠姉妹死闘編、ついに決着。
( ̄▽ ̄;) ううむ、ボリュームが増えた。想定外に。
一人の女が丘へと走る。
(聞いてないぞ! なんだあの怪物は?)
顔の下半分を烏の嘴のような仮面で覆う女が、足を止めずに後方の惨劇の村をチラリと見る。全力で逃げるように、恐怖に怯え遠ざかるように走る。
女、奇機械衆のドラクナル=Dは赤いコートの隠しから金属筒を二つ取り出す。
(反応加速薬『橙』筋力増強薬『深緑』)
金属の筒から伸びる針を自らの肩に刺す。古代魔術文明の合成工場で作られ、ドラクナル=Dが調合した、人体強化の薬。今の時代には無い古き文明の遺産が、ドラクナル=Dの感覚を鋭敏にし、強化された筋肉が力強く地面を踏む。ドラクナル=Dが加速する。
(なんなんだあれは? ドラゴンを、しかもオーバードドラゴンの赤龍を殺したなんて、眉唾もんのフカシだと思っていたが。まさか、本物の怪物が人に化けていたなんて)
女は走る。標的の女剣士、カッセルダシタンテがその正体を現したのを見た瞬間、ドラクナル=Dはすぐに撤退に移った。
(あの村の兵力で人外を相手取るには、力不足だ。未知過ぎる。しかもお伽噺の半人半獣だって? 実在したっていうのか? こいつは黒塔に報告して、調べさせないと)
正体不明、その実力も能力も不明の謎の魔獣。人に化けることができ、人と同等か、もしくは人以上の知能があるかもしれない。少なくとも人語を操り、正体を隠して人と話す知恵がある。
赤龍を倒したという話が真実ならば、どんな力を隠しているか解らない。
ドラクナル=Dは走りながら、逃げながら、背筋を走る悪寒を止められない。予想を越えるものが相手とならば、即座に逃げる。相手に合わせて毒と薬と仕掛けを用意するのがドラクナル=Dのやり方。底知れぬ相手に結果の見えぬ博打を打つよりは、相手を調べて次の機会にかける。
その判断の速さが、これまでドラクナル=Dを生き延びさせた。戦士としての技量の無いが故の知略と戦術。前に出て戦わないドラクナル=Dの戦略。
(戦闘狂化兵で誘き出し、スナブが狙撃で仕留める。ただの腕の立つ剣士ならばそれで終わりの筈。それがスナブの奴、何をやってやがる? 機会は何度もあった。一発撃っただけで終わりとは、火薬銃が壊れでもしたか?)
ドラクナル=Dは丘へと走る。今回の作戦で相棒となったスナブ=Sのいるところへと。
その時、向かう丘に爆発が起きる。
「なに? スナブ?」
驚き足を止めるドラクナル=D。爆発の轟音が響き、丘から一瞬オレンジの火柱が立ち上る。続いて真っ黒な煙が登る。
「スナブ、戦っているのか?」
丘にいるのは火薬銃を使う、遠見殺しのスナブ=S。見晴らしの良い丘の上を狙撃地点としているはずの。
(あれはスナブの火薬技か? あっちにも敵がいるのか? スナブは勝ったのか? 負けたのか? く、どうする?)
ドラクナル=Dは村を見、丘を見、しばらく悩むが、
(逃げるにしても、スナブの確認が先か? 死んでいたならさっさと逃げるが、スナブが生きていれば、火薬銃がある。あの怪物が追ってくる前に使える武器を)
烏の嘴の仮面の女は、再び丘へと走る。
◇◇◇◇◇
揺れる木の葉、滲む森の中。
優しい声が柔らかく聞こえる。
『お前ら、ケンカするなよ』
シタン、だってカッセが抜け駆けしようとして。
『お前ら、大人しくじーっと見てるけど、おもしろいか?』
うん、おもしろい。シタンはどうやって動いてるの? 他の人間はそんな変な動きかた、しないよ?
『歩いて歩かず。歩まずに進む。歩法の修練なんぞ地味で、栗鼠が見てても面白いものでも無さそうなんだが』
シタンはあの変な動きかたで、自分より大きい角熊をやっつけられるから、凄いよね。シタンは強そうに見えないのに強くて、なのにそれが当たり前みたいに、自然に立ってて。だから不思議で、目が離せなくて。
『クルミ、食べるか?』
うん、食べる――
シタンの手に走る。だけど、シタンに近づけない。走れば走る程、シタンから遠ざかる。差し伸べる手が遠くなる。どんどん離れていく。
待って、シタン、間に合って――
そうだ、どれだけ走っても間に合わない。間に合わなかったんだ。辿り着いたときには、もう。
遠く小さくなるシタンが、赤く燃える森の中に、飲み込まれていく――
「……したん」
掠れる声で呟き、己の声でユッキルデシタントは目を覚ます。
「夢、か? くぅ……」
意識を取り戻したユッキルデシタントは、痛みに呻き身を捩る。
(スナブ=Sの自爆に巻き込まれて、気絶してしまったのか)
ユッキルデシタントは己の身体の状態を探る。手足は痺れて上手く動かない。視界は爆発の閃光でやられたのか、目に映るものが滲んで見える。至近距離での爆音で耳鳴りが酷い。
何より全身のところどころが火傷を負い、爆発に仕込まれた金属片が、いくつもいくつもユッキルデシタントの肌を抉る。
「ぐ、うぅ、まさか、自滅技とは、油断した……」
ユッキルデシタントの服にしがみつくのは二本の腕。人間の男の腕。しかし、その腕は肘から先だけしか無い。
スナブ=Sが自爆する直前、ユッキルデシタントは刀を振るった。しがみつくスナブ=Sを振りほどく為に、スナブ=Sの腕を切り落とした。
しかし爆発から完全には逃げられず、全身火傷に全身裂傷。吹き飛ばされ頭を打ち、意識を失った。
ユッキルデシタントは意識を失ったことで、人化の魔法が解け、今は下半身巨大リスの正体を現している。もとの姿に戻ったことで治癒力が高まり、人間ならば死ぬところの大怪我はゆっくりと塞がっていく。
肌にめり込む金属片が押し出され、地に落ちていく。
ユッキルデシタントは震える腕で、ボロボロになった服を掴むスナブ=Sの腕を外そうとする。しかし、固く握った拳は開かない。悪趣味な飾りのように二本の腕がぶら下がる。
「……執念、か、自暴自棄か、いや、これはセッシャの未熟、か……」
(あの男も、復讐者、だったようだが、あっさりと死を選ぶ……)
奇機会衆、遠見殺しのスナブ=S。ユッキルデシタント相手に自爆攻撃。服の中に仕込んだ火薬を自ら爆発させ、全身を吹き飛ばされ、腕二本を残し微塵となり死亡。
(なんて奴だ。……そうだ、復讐を、果たさねば、一歩も先には進めない。怒りと悲しみが、重すぎて……。復讐を果たせば、セッシャは? どうなる? この男のように?)
死者となった男の言葉を振りほどくように、ユッキルデシタントは首を振る。
「姉の援護に行かねば、ぐ、うぅ……、傷が癒えるまで、動けない、か」
(火薬銃使いは死んだ。狙撃が無ければ、姉ならどうにかなるか。いや、あの村に奇機械衆は何人いる? 怪しげな技で不意を突かれたなら)
ぐったりと横たわりユッキルデシタントは思考する。そのとき、
「まさか、そっくりな怪物がもう一匹いるとはね」
「何者っ!」
赤いコートに烏の仮面の女、ドラクナル=Dが丘に辿り着く。
「そのぶら下げた腕、スナブ=S、か?」
「貴様、奇機械衆か?」
「怪物、お前がスナブを殺ったか?」
ドラクナル=Dはコートの内に手を入れる。
(この怪物は血塗れで動けないようだが。くそ、スナブ=S、何をやらかしたかは知らんが、この怪物をズタボロにしても、お前が死んでどうする? この死にたがりが)
ドラクナル=Dはコートの中から手を出す。その手には針付きの金属の筒が握られる。
(沼龍する昏倒させる強烈麻痺毒『薄黄』こいつでこの怪物を捕らえる。もう一匹に対しての人質になるか? そして生け捕りだ。黒塔に連れ帰り古代研究者の玩具にしてやる)
ドラクナル=Dは金属の筒を投げ矢のように構える。ユッキルデシタントは手に指弾を握るが、震える手から岩石チーズの欠片が落ちる。
「ちぃ……」
スナブ=Sの死を賭した大爆発。至近距離の閃光で視界は滲み、大音響で耳鳴りは止まらない。耳の良さで辺りの気配を読むことに慣れたユッキルデシタント。聴覚にダメージの残る今は、ドラクナル=Dの声もよく聞こえてはいない。手足は痺れ満足に立つこともできず、寝転んだまま、大きな栗鼠の四つ足が弱く地面を掻く。
ドラクナル=Dはユッキルデシタントが負傷で動けないことを確認し、金属筒を投げ当てる為に二歩近づく。
「クカカ、怪物といえど不死身では無さそうだな? 私は奇機械衆、独草毒裁のドラクナル=D、」
烏の嘴の仮面の女は、金属の筒を握った腕を振り上げる。勝利を確信した愉悦を、烏の仮面の中で笑う。
「スナブ=Sの執念を引き継ぐッ! くらえ怪物ッ!」
ドラクナル=Dが吠え、その手の金属筒を投げ――られない。
「なに?」
ドラクナル=Dが己の手を見れば、背後から伸びる手がドラクナル=Dの手首を掴んでいる。その手は細くまるで少女のような腕。その手は背後から、やや上方から伸びている。ドラクナル=Dが首を曲げ背後を見上げれば、そこには見下ろす暗い二つの瞳。
「貴様が、ドラクナル=Dか」
「ひ、」
ドラクナル=Dは息を飲む。背後に立つのは、目前に倒れる半人半獣とうり二つの怪物。上半身だけはチビの女剣士、下半身は巨大な首無しの栗鼠の魔獣。
「妹よ、酷い有り様だ」
「姉よ、耳鳴りが酷くて、よく聞こえないが、返り血で酷い姿になってるぞ」
ドラクナル=Dは戦慄する。
(姉? 妹? 姉妹だと? ぐぐ、人語を語るな怪物がっ!)
魔獣であるが半分は人。それが人語で語り合う。何より背後の怪物は、人を守ろうとした魔獣。その行動がドラクナル=Dには理解不能。
あまりにも人に近く、その行いは奇機械衆よりも、古代魔術研究者よりも――人間らしい。
不気味な怪物から逃れる為にドラクナル=Dは足掻く。筋力増強された腕を振り回し、カッセルダシタンテの腕をふりほどく。
(ここは逃げの一手、スナブには悪いが)
逃走しようと駆け出したドラクナル=Dの足がもつれる。そのまま転び顔を地に擦る。
「な? なぁ? な?」
(足が? 動かない?)
「奇機械衆ドラクナル=D、妹に打ち込もうとしたものを、自分で味わってみて、どうだ?」
ドラクナル=Dの背中に金属の筒が光る。金属筒から伸びる針が背中に刺さっている。カッセルダシタンテがドラクナル=Dの手から奪った金属筒が。
(……強烈麻痺毒『薄黄』ぐ、がが、しまった)
ゆっくりと近づくカッセルダシタンテ。その下半身の巨大栗鼠の前足が、倒れたドラクナル=Dを仰向けにひっくり返す。手を伸ばしドラクナル=Dの仮面を引き剥がす。
「おかしな仮面を着けていると見れば、これはガスマスクか。古代の薬で村人を操ったか」
「ひ、はぎ、ぐが」
麻痺毒の回るドラクナル=Dは、ビクビクと身体を痙攣させる。カッセルダシタンテはドラクナル=Dの赤いコートの中を探る。コートの中からは何本もの金属筒が現れる。
「貴様のような外道は許さん。貴様が村人にしたことを、自ら味わえ」
「ひぎ、待っ」
カッセルダシタンテは動けないドラクナル=Dに、金属筒の針を刺す。その胸に、腹に、何本も、何本も。
「がぎ、ぎゃや、や、やめ、やめて」
「毒か、薬か、貴様自身の身体で試してみろ」
ドラクナル=Dの薬。筋肉増強薬、反応加速薬、戦闘狂化薬、暗示の為の睡眠薬、覚醒薬、興奮薬、感覚増強薬、麻痺毒、恍惚薬、無痛薬、実験途中の様々な薬に毒が、ドラクナル=Dの身体へと注入される。
筋肉が肥大し、皮膚が割ける。全身の肉が歪に盛り上がり血を溢す。毛細血管が破裂し鼻血があふれる。感覚が鋭敏になり全身の激痛が数倍になり、無痛薬が神経に走る痛みの信号を混乱させる。麻薬に似た快楽物質が脳に溢れ、戦闘狂化薬が時間感覚を狂わせる。
ドラクナル=Dは、人の脳では処理しきれない感覚に襲われ、恐怖と激痛と快楽と無痛と絶望と苦痛と虚無感と満腹感と悲哀と、人が感じるありとあらゆる感覚と感情に飲まれ、混乱の極みに登り詰める。
「ひい、あ、いや、助けて……」
「そう助けを求めた人を、貴様は何人、餌食にしてきた。報いを受けろ、外道」
「ぎ、ゆ、赦して、緩して……」
ドラクナル=Dはその目から涙と血を溢して叫ぶ。
「た、助けて、助けて、お兄ちゃん、助けて……お、お兄ちゃん? どこ? 暗い、見えない、どこにいるの? お、お兄ちゃん、助け……」
その声はやがて小さくなり、声も息も静かに止まる。
奇機械衆、独草毒裁のドラクナル=D。己の調合した薬の、人体の限界を越えた過剰摂取により狂死。
カッセルダシタンテはドラクナル=Dの死体に背を向ける。
「妹よ、身体はどうだ?」
「姉よ、もう少し大きな声で頼む」
カッセルダシタンテは倒れるように、ユッキルデシタントに覆い被さる。
「妹よ、勝ったぞ」
「そのようだ」
「だが、勝った気がしない」
「姉よ、セッシャもだ」
「ソレガシは、弱い……」
「……姉よ、セッシャは夢を見たぞ」
「夢?」
「あぁ……」
ユッキルデシタントは腕を伸ばす。カッセルダシタンテも手を伸ばす。そっくりな二人の半人半獣は互いを確かめるように抱き合う。
「……夢の中で、シタンが微笑んでいた」
「そうか……」
進化を繰り返し、人を越え魔獣を越えた力を身につけた双子の魔獣。
想い人に出会い、焦がれ、人に近づいた二匹の森の栗鼠。
「どうして、心は、」
「強く、なれない?」
シタンに触れ、優しさを知り、奪われる悲しみを知り、泣くことを覚えた。怒りのままに復讐を誓い、恨みの檻から抜け出せぬまま、今も心は泣き続ける。
「く、ううぅ」
「うあ、ああぁ」
血塗れの双子の少女は、抱きあったまま涙を溢す。敵は倒し勝った筈が、敗北感に包まれて。
焦げた匂いの残る丘の上、双子は泣く。涙を止められる者は今は無く。
しかし、恨みの歩みは止められず。
修羅と成りきれぬ小娘の、復讐の道はまだ続く。
仇討ちの旅は、まだ道半ば。