我が名は吸血王アルカンドラス!! 11
アルカンドラスは地に伏したまま動かない。目に見えない圧力に押し潰されたようにピクリともしない。
「今さら死んだフリなど通用しない、と解っていても、う、動けん……」
蛇に睨まれた蛙とはこんな気持ちか? と呼吸の音すら静かにしてしまうアルカンドラス。
右前方には白毛龍の乙女、左前方には大海亀の乙女、後方には己をボッコボコにしてこんなところに連れてきた来た赤毛の女。
古代の遺跡の地下、大型の乗り物の格納庫のような大きな部屋の中。白い照明に照らされて、尋常ならざる異形の者に三方向からしっかりと囲まれている。アルカンドラスではどうにもならない人外の存在に。
今はアルカンドラスを連れてきた赤毛の女が二人に話をしているところ。
「見つけた遺跡は既に人に探索された後で、何も残ってはいなかった」
「では、その遺跡から流出したものは分かるか? 足取りを追えるか?」
「マテリアル系の研究施設のようだったから、遺産の危険度は低いんじゃないか? 足取りを追うのは難しいか。だが、賢人の学舎とやらの秘密資料庫に遺産があるという情報は得た」
「それで、この不死者は?」
「その遺跡に住み着いていたヤツだ。おもしろいんで持って来た」
海亀の乙女が、はあ、とため息を吐く。
「ハオス、深都には呪詛を持ち込むな」
「だからここに運んで二人を呼び出したんじゃねえか」
「知恵持つ不死者とは面倒な……」
赤毛の女はハオスという名らしい。そして話題が己のことに移り、アルカンドラスはいよいよ覚悟を決めた。それは覚悟というよりは、想像を越えた異様な状況の中で自棄になったというものだったが。
アルカンドラスは己を押し潰すかのような見えない圧力に抗い、震えながらなんとか身を起こす。片膝をつき恭しい態度を示す。
「む?」
「ほう?」
海亀の乙女と白毛龍の乙女が怪訝な声を出す前で、アルカンドラスは震える手で魔術具の手袋と腕輪を外す。そして投げ捨てる。
武器を手放し抵抗はしないと態度で示す。
姿勢を正し、王に拝謁する家臣のように厳かに、
「人外の領域の支配者よ、森奥の姫君よ、初めてお目にかかる。我輩の名はアルカンドラス。先日、吸血鬼に転身したばかりの者である」
アルカンドラスの自己紹介を聞き、白毛龍の乙女はクスリと笑う。
「森奥の姫君とは詩的な呼び名だ」
もう一人の海亀の乙女は眉根を寄せて、
「ハオス、このような自ら人をやめた者はさっさと処分するべきではないのか?」
「あぁ、処分するべきだ。本来なら、な」
アルカンドラスは冷や汗を流しながら、己の処分を検討する話に耳を傾ける。処分されたくは無い、が、ここで泣いて喚いても逆効果だろうと考え大人しくする。
赤毛の女は話を続ける。
「コイツは賢人の学舎のことを知っている。秘密資料庫にあるという古代の遺産についての情報源になる。
何よりコイツは見ての通り、一見人間に見えるアンデッドだ。偽装に力を入れているから人に見破られることはまず無い。なら、上手く使えば人間領域の潜入調査に使える」
「確かに、変わり種の不死者ではあるか」
海亀の乙女に続き、白毛龍の乙女が訊ねる。
「ラムラーダがこうして説明するのは珍しいが、アダーは何と言っている?」
「アダーか? アダーは、」
続く赤毛の女の言葉は突然口調が変わる。声色はそのままだがこれまでと違い、冷静な落ち着いた話し方になる。
「私もこの男を使うのに賛成だ。人間領域の調査に人員が足りないのも理由のひとつ。もうひとつは、この男は死霊術師だ。今後、呪詛について調査する必要があるが、私達には不得手な分野でもある」
「好んで呪詛を調べようという物好きはいないか。毛嫌いする者の方が多い」
「彼は呪詛の専門家であり、私達に忠誠を誓うなら管理下で研究させて得るものが、」
そしてまた赤毛の女の口調が変わる。
「研究したい! 永遠の寿命を求めて不死者になろうという者はいたけどね。彼は実に個性的だ。貴重な珍しさだ。過去には記憶と人格を魔術具に移し他者の肉体を乗っ取り生きようとした者、ゴーレムに記憶と人格を複写しようとした者もいた。
自滅因子を取り除き細胞分裂の回数制約を無くし、全身の細胞をガン化させて永遠に生きようとする者もいた。
いずれも永遠に生きるために身体という器を変えようというもの。しかし! 彼は人という器をできるかぎりそのまま使おうという、実に稀な、矛盾に挑戦した変わり種の研究成果だ! 調べたい! 研究したい! 解剖してみたい! ちょっとでいいから!」
背後から聞こえる狂気を孕んだ声に、アルカンドラスは逃げ出したくなるのを必死に堪える。
(その研究欲、ちょっと分かってしまうが、我輩がその研究対象になるのは勘弁していただきたい。解剖? ひいぃ、こわい、もう帰りたい。というか誰?)
やたらとテンションの高い声はフツリと途絶え、聞きなれた口調に戻る。
「……という感じで、ゲルダがちょっと暴走しかかってる。それをアダーが抑えてる。まあ、コイツを生かして使おうって言い出したのがオレなんで、こうしてオレが説明してるってワケだ」
「なるほど、アダーもゲルダもラムラーダも、それぞれの理由でこの不死者を残しておきたいということか」
白毛龍の乙女は海亀の乙女に視線を向ける。
「我はハオスに賛同する。ハオスの管理下で手伝いをさせるにはいいだろう。アイジスは?」
「ハオスに役立つならいい。ただ、その男は深都に入れるな。面倒事になりそうだ」
話の流れはアルカンドラスを生かして使おう、というものになりアルカンドラスは安堵の息を漏らす。下僕は嫌だが、消されるよりも、サンドバッグよりも、解剖されるよりもマシだ。
「アルカンドラス、ひとつ訊ねたいことがある。いいだろうか?」
「は?」
アルカンドラスが顔を上げると、驚くほど近くに白毛龍の乙女の顔がある。身を屈め、ほとんど真上から覗き込むように。垂れる長い白い髪がアルカンドラスの頬に触れるほど近い。
近くで見るとまつげまで白くて長いのだな、と場違いな感想が浮かぶ。その美貌に思わず、
「女神の如きとは、このことか?」
「我は女神では無いが? ふふ」
いつの間に接近した? と驚くアルカンドラスに白毛龍の乙女は興味本位で訊ねる。
「この部屋に投げ込まれたとき、アルカンドラスは痛いと叫んでいた」
「う、うむ。本当に痛かった。我輩を連れて来たあの御方は少々乱暴で、もう少し気遣って頂けると有り難く、」
「永遠の生を得ようとする人は、死なぬ身体を作ろうとする。我が知る不死者とは痛みを感じぬ者が多かった。汝、アルカンドラスは人を越えた耐久力をその身に持つのだろう? ならば何故、人のような痛みを感じる? 何故、痛覚がそのままなのか?」
「何故、痛覚がそのまま、なのか? だと?」
その質問にアルカンドラスの目に光が灯る。どう説明するかと少し考え言葉を紡ぐ。
「人には味覚がある」
「ふむ? そうだが?」
「甘い、酸っぱい、しょっぱい、苦い、旨い、といった味を感じる感覚器が口の中にある。それで人は味を感じる。
だが、人の味覚には辛さを感じる感覚器は無い。辛いと感じるのは口の中の痛覚なのだ。人は刺激を受けて痛い、というのを辛いと感じ取っているわけだ」
「痛覚を無くせば、辛味を感じることは無くなると?」
「そういうことである。なので辛いのが好きというのは、痛いのが好きという被虐趣味でもあるのだ」
「つまり、汝、アルカンドラスが痛覚を残すのは、被虐趣味であるから、と?」
「違う。ある面では被虐趣味とも言えるが根本が異なる。
我輩は研究者だ。叡知の深淵を求める探求者だ」
話ながらアルカンドラスは立ち上がる。その目が赤く輝く。
蛇に怯える蛙のようだったアルカンドラスは、その身に気迫が満ち、目前の半人半龍に対峙するように睨みつける。
「我輩が吸血鬼になったのは、研究する時間を得る為に寿命を超越したかったからだ。そして研究に必要なのは己の五感。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚と世界を感じるのは己の身体だ。その人の身体という感覚器を鈍くして一体何の情報を得られるというのか?
己の目で見、己の肌で感じる。そこから得るものの真理を探る。調べて理解する。把握する。
痛覚は触覚とも密接な感覚器、痛みという感覚を閉じて世界の何を知れるというのか? 我輩はただ生き延びたくて吸血鬼となったのでは無い。それならば人の因子を補充せねば身体が維持できぬような、ヴァンパイアなど選ばん。もう少し簡単そうなリッチタイプやワイトタイプがある。だがそれでは我輩の望みは果たせん。故に吸血鬼となったのだ」
「なるほど。では、アルカンドラス」
白毛龍の乙女はアルカンドラスの眼光を受け止める。狂おしいまでの渇望にギラつく吸血鬼の赤い視線を。
「汝の望みは何だ?」
白毛龍の乙女の問いに、アルカンドラスは両手を開く。両手の平を上に向け、全てを抱え込むかのような姿勢で吠える。巨龍に挑む無謀な勇士のように。
「我輩の望みは全知万能! 故に果ては無し!!」
そして右手の人差し指で己を指差すポーズを決める。
「我が名は吸血王アルカンドラス!! 叡知の深淵の探求者!! 神も運命も捩じ伏せて! 永劫を謳歌する!!」
例え相手が龍を越えた災厄であろうとも、神の如き者であろうとも、これだけは譲れぬと。アルカンドラスは宣言するように改めて名乗りを上げる。
話をしながらテンションが上がってしまい、やってしまった、と心の内で冷や汗を流しながら。