フォーティスの反抗期? その6
翌日。日は高く登る頃。
「フォウ? 起きてるか?」
一声かけてそっと扉を開けて、クインが寝室へと入ってくる。
「……まだ、寝てたか」
クインは小さく呟き、足音を立てないようにベッドに近づく。領主館の二階は一階と違い、人の大きさに合わせた造り。二階に上がる為に人化の魔法で人の姿になったクインは、スヤスヤと眠るフォーティスを見て目を細める。
(いつの間にか大きくなって、そのうちエクアドくらいに背は伸びるのか?)
クインは少し離れて、眠るフォーティスを優しく見つめる。
(子供だと思っていたけど、男とか女とか、意識するようになってきたのか)
クインが少しの寂しさを感じつつ眠るフォーティスを見ていると、うぅん、と寝ぼけた声を出してフォーティスが目を覚ます。
「んー、あ、クイン?」
「おはよう、フォウ」
「おはよう、クイン」
「もう昼だけどな」
「え?」
フォーティスは驚く声を出して、ガバッと上半身を起こす。クインが説明する。
「一緒に寝てたカダールはもうとっくに起きてる。カダールが、フォウと遅くまで話して夜更かしさせてしまったから、もう少し寝かせておいてくれ、と言ってた」
「あぅ、寝坊しちゃった。午前の授業さぼっちゃった」
「寝ぼけて授業しても頭に入らないんじゃないか? あとでルブセィラに課題は出されるだろうけどよ。でも流石に昼なんで起こしに来た」
「ありがと、クイン」
「じゃ、着替えは、ここに置いとこうか?」
「待ってクイン」
着替えを置いて出て行こうとするクインをフォーティスは呼び止める。
「髪を、とかしてくれない? いつもみたいに」
「あ、あぁ」
フォーティスが椅子に座り、その後ろにクインは立つ。櫛でフォーティスの髪を整える。少しクセのある長い髪をクインは優しく梳る。
フォーティスは鏡に映るクインに話しかける。
「……あの、クイン、ごめんね」
「フォウが謝ることは無いさ。あたいの方こそ、無神経だった。ごめん」
「クインが謝ること無いよ。僕がクインのこと考えないで、酷い言い方しちゃった」
「酷くは無いだろ。あたいが悪かったんだ。ルミリアにも怒られた」
「ばあばが?」
「アシェも一緒にな。子供たちを甘やかすのはいいけれど、過保護はダメだってよ」
クインは視線をフォーティスの髪に落とし、櫛を動かす手を止めずに苦笑する。
「その線引きがよくわかんねえよ。フォウが成長したってことなら、あたいとアシェが手を出し過ぎるのは良くない、てことだろ?」
「うん、そういうこと、かな?」
「……悪かったな、フォウが気にするようになってたとは知らなくて」
うつむくクインを見てフォーティスは話題を変える。
「ねえ、クイン。昨日、パパといろいろ話をしたんだ」
「カダールとなんの話をしたんだ?」
「守護獣緑羽、アバランの街に危機が訪れたとき、どこからともなく現れて街を守るエメラルドグリフォン」
「あー、なんでその話になった?」
「これってクインのことだよね?」
「いや、ま、そうだけどさ」
クインは苦いものでも噛んだ顔でそっぽを向く。
「フォウ、緑羽の正体は」
「秘密なんだよね、わかってる」
「秘密のはずなのに、知ってる奴がなんでこんなに増えたんだか」
「クインがアバランの街を守るのは、クインの想い人の子孫がアバランの街に暮らしているからだよね」
「あー、うん、そうなるか」
「どうしたのクイン?」
「なんか、緑羽はやたらと持ち上げられてて、フォウにその話をされるのは、なんか恥ずかしいな」
「素敵なお話だと思うけど?」
「カダールが緑羽の話をしたのか?」
「うん、クインも深都の住人も、歳をとらないんだよね?」
「あぁ、この姿になってから、見た目は変わらねえな」
「パパがね、パパとママの生きる時間の違いに一番心配してたのが、クインだって」
「あのお喋りめ」
「それでクインが僕のこと、どう見てるのかとか、考えてみた」
「なんだか話があちこち跳んでるような感じなんだけど?」
「クインが悲しそうな顔をしたのが、目を閉じたら瞼の裏に浮かんできて。改めてクインのことをパパに聞いたんだ。それで守護獣緑羽の話になって」
フォウは鏡に映るクインを見る。クインもフォーティスの肩に手を置いて、鏡に映るフォーティスを見る。フォーティスはクインの手に自分の手を重ねて。
「クインはアバランの街で、想い人が暮らすのをずっと見守ってきた。結婚して、子供ができて、その子に弓の技を伝えて、やがては妻と子供たちと孫たちに囲まれて、眠るまで」
「あぁ、人間にしては長生きした方なんじゃないか?」
「クインにとって、身近な僕が成長していくところを見るのは、クインを置いて年老いていくかつての想い人を思い出して、寂しくなったりするのかな?って」
フォーティスの言葉にクインは驚く。
「あ、うーん、それは、まるで無いってことは無いけど、」
「僕は、そういうことにも気づかずにクインを遠ざけるようなことを言ってしまって。いつもいろいろとしてもらっているのに」
「それは、お互い様、じゃないか? あたいもフォウが気にするようになったこと、気づかずにいて、変なこと言っちまったから」
鏡に映るフォーティスをクインは見る。少し寂しげな微笑みを浮かべて。
(あたいに気を遣うようになって、いろいろ考えるようになって、子供は大人になっていくのか。乳母なんていなくても生きていけるように)
クインは左手をフォーティスの肩に置き、右手の櫛を置いて手のひらをフォーティスの頭にポンと置く。
「フォウは、フォウのやりたいようにすればいい。髪も短くしてもいいし、スカートが嫌なら穿かなきゃいい。風呂も着替えも、もうあたいの手は必要無いなら、大人のように好きなようにすればいいのさ。それだけ成長したんだろ」
「じゃあ」
と言ってフォーティスは、頭と肩にあるクインの手首を掴む。背後のクインを引き寄せるようにクインの両手首をぐいと引く。
「わぷ?」
不意をつかれてクインはフォーティスの後頭部に鼻を埋める格好に。フォーティスはクインの両手を自分の身体に巻き付けるようにする。
「あの、ね、クイン?」
「なんだフォウ?」
「好きにすればいいなら、また、クインに髪をとかして欲しいし、また一緒に寝て欲しいし、お風呂も」
「え?」
キョトンとするクインにフォーティスは恥ずかしそうに言う。
「ダメ、かな?」
「え? でも、それは、フォウが恥ずかしいんじゃないのか?」
「うん、ちょっと恥ずかしい。だけど、僕はカッコいい大人の男になりたいんだ。父さんみたいに、パパみたいに」
「エクアドはともかく、カダールはカッコいいのかどうか」
「父さんとパパは、赤槍の騎士と黒蜘蛛の騎士は、例え髪を伸ばしても、スカートを穿いて女の子の格好をしても、決してやるべきことを間違えたりしない。見た目が少し変わったところで、騎士として守るべき者の為に戦うのは変わらない。大切な人を泣かせるようなことはしない」
断言するフォーティスを鏡写しに見て、クインは口を閉じる。
(あたいはカダールがゼラを泣かせたところを見たことあるんだが、でも話してフォウの『理想の黒蜘蛛の騎士像』を壊さないようにしとこうか。それにあのカダールは、ゼラを泣かせたことはあっても、そういうのも今のゼラの幸せに繋がったんだろうし)
フォーティスは背後からクインに抱かれた格好のまま言葉を続ける。
「なのに僕は、自分一人が恥ずかしい思いをしたくないからって、そんな自分勝手な小さなことでみんなを悲しませた。その方がよっぽどカッコ悪い」
「フォウ……」
「だったら僕は、カラァとジプを泣かせるくらいなら髪は長いままでいい。クインが寂しい思いをするくらいなら、スカートでもべビードールでも着るし、新都のお姉さまが悲しい思いを遠ざけられるなら、一緒にお風呂も添い寝もする」
フォーティスは悩んで見つけた答えをキッパリと口にする。
「見た目の小さな違いなんてどうでもいいんだ。大事なのは、大好きな人を大切にすることだから」
「フォウ……」
クインは呟きながら、フォーティスを抱く腕に力を込める。フォーティスの決意を聞くクインは胸が熱くなってくる。
(なんだよフォウ、あたいが面倒を見てたはずなのに、これじゃあたいが世話されてるみたいじゃねえか)
フォーティスはクインの腕に手を重ねたまま、鏡映しのクインからそっと目を逸らして小さな声で言う。
「それに、昨日も一人だと、静かで寂しくて寝つけなかったし……、だからクイン? もう少し、甘えさせてもらっても、いいかな?」
「あ、あぁ、あたいはフォウの乳母だからな。任せろ」
クインは椅子に座るフォーティスを、ぎゅ、と背中から抱きしめる。
(いつまでも子供のままじゃない、か。でも、もう少し、このままで)
フォーティスの長い髪に顔を埋めるようにして囁く。
「フォウ? 急いで大人にならなくても、いいんだぞ?」
「僕は速く大人になりたいんだけど。いざというときは大切な人のことを守れるカッコいい男に。クインも守れるくらいの」
「はは、あたいより強くなるのは難しいぞ?」
言いながらクインは椅子に座るフォーティスをひょいと持ち上げる。わ、と声を上げるフォーティスを背中から抱きかかえて小さな声で。
(フォウはもう十分に、いい男だよ)
乳母としてフォーティスとカラァとジプソフィの子育てを手伝ってきたクイン。人の子の世話をするという初めてのことに戸惑いながら。
(カラァとジプのついでだと、最初は思っていたけどよ)
ゼラの子、アルケニーのカラァとジプソフィ。上半身は女の子でも下半身は大きな蜘蛛。そのアルケニーの双子姫を妹のように育つフォーティスは、深都の住人にとって人と魔獣の新たな関係を予感させる人の子となった。
子のできない深都の住人クインにとって、幼いころから面倒を見てきたフォーティスは、今や我が子も同然。
(フォウ、優しくてカッコいいお兄ちゃんになって、このフォウを育ててきたのが、あたいなんだ)
自分の育てた宝物を胸に抱くクインは、誇りに満ちた優しい慈母の顔をしていた。