赤髭、アシェをスケッチする
(* ̄∇ ̄)ノ 赤髭、ルミリアの弟で芸術家。三人の子供たちの芸術の先生です。
無心に絵筆を走らせる。いや心震えねば絵筆は走らぬか。目の前への集中が対象以外に心囚われぬことを無心のよう、と言うものか。
目に映る者をキャンバスに写しとる。在るものを在るがままに。目で見、心で感じたものを描く。虚飾を捨て幼子のような澄んだ心で。
真に美しきものに余計な装飾などいらぬ。そしてこれを見た者の心にも、この感動が、この心の震えが、生命の美と謎と不思議さと、目にしただけで心踊るような躍動感が、私の絵を通して目にした者に伝える為に。
「ちょっと、まだかしら? 赤髭の芸術家?」
「むむ、もう少し、もう少しだけそのままで頼む。黒蛇の乙女よ」
アシェンドネイルに頼み込み、私は今、ラミアのアシェをスケッチしている。
私はウィラーイン家で子供達に芸術を教えたりなどしているが、その教え子である子供達が先生である私の絵の描き方を見たいと言うのだ。
これが無ければアシェが大人しく私のモデルになってはくれなかっただろう。三人の子供たちに感謝だ。私の背後では三人の子供達が私の描く絵をじっと見ている。絵筆の走らせ方、絵の具の混ぜ方、それらを真剣に見ている。
姉上の描いたような絵本を描いてみたい、という子供たち。三人とも絵心はあり、子供のうちは好きなものを好きなように描けば良いと思うのだが、絵を描く上でのテクニックというのに興味があるらしい。
姉上の絵本を目標にするあたり、望む水準が高いのだが、この子供たちは貪欲だ。
おっと、今はアシェのスケッチに集中せねば。
伝承の半人半蛇、アシェが大人しくモデルをしてくれるなど、子供たちが頼まねば引き受けてなどくれないのだから。
「……いかなる生命の神秘か、白き髪、白き肌の麗しき乙女よ。髪はまるで真珠の如く艶めき、赤い瞳はルビーの如く輝き。気高く澄ました眼差しは長き時を見てきた賢者の叡知と老王の退廃が宿り、皮肉めいた微笑の唇は悟りし者の失望か。しかしその眼差しの奥底には願いと優しさが、子供たちへの希望が水底に沈む宝石のように窺え……」
「まったく、赤髭の芸術家は口を動かさないと絵筆が動かせないのかしら?」
「これが私のスタイルだ。ささやかな胸にくびれた腰つき、細くしなやかな線は黒く艶やかな鱗の蛇体へと続く。上半身の乙女の艶かしさも、なるほど蛇の化身ラミアと頷くところ。宵闇に誘う妖しさは夜の化身か、闇の導きか、」
「……裸を見せることが恥ずかしいというのは、赤髭の芸術家を前にすると私にも少しは理解できそうね」
「腰から下は黒く艶持つ大きな黒蛇へと変わり、柔らかくうねりとぐろを巻く。骨格はいったいどのようになっているのか? 人を丸飲みにできそうな程に大きな蛇体。蛇とは手足無く、神話において罪を働いたことにより神に手足を奪われ、その罰として地を這うことしかできなくなったという悪と罰の象徴。しかし足が無くともその動きは敏捷にして他の生物には見られない俊敏さを見せ、」
「人の神話って勝手なものよね。まるで蛇には手足があったかのように。私が邪悪というのはその通りでしょうけれどね」
フン、と鼻を鳴らして冷笑するアシェに子供達は口々に言う。
「アシェは優しいよ? アシェが邪悪?」
「うん、アシェのことステキってけいごたいの皆が言ってるもの」
「エプロン蛇さん、いやされる、って」
子供達の言うことにアシェは片方の眉を上げた微妙な顔をする。長き時を生きた蛇の乙女も、子供たちの純心に戸惑うことがあるらしい。
「それは、あなた達が特別だから」
「ふむ、この子たちが特別ならば、アシェもまた特別だろう。こうしてアシェがポーズをとったところを描かせてもらえるとは至福だ」
「心底芸術家なのね、赤髭は。その絵、描いても館の外に出せないじゃない」
「それでも構わない。時をおいていずれ私の知らぬ未来の誰かの心を動かせると考えたなら、それだけで十分に私は楽しい。伝承の魔獣をこうして描けるとは至高の栄誉だ」
「ふうん? そんなもの?」
「故に今のこの時を大事に、目にしたものを絵という形にせねば」
「人の目とは不完全なものよ」
「む?」
アシェがいつものような、子供達には向けない、他の人間に向ける冷笑といった顔をする。
「私は蛇だから、熱が見える。人は目で熱を見ることはできないでしょう」
「ほお、蛇ならではの独自の目が、人には見えぬ物を見るということか。熱を見るとはいかなる感覚なのか?」
「クインもそう。人の目は三原色で物を見るけれど、視覚に優れた鳥は四原色で物を見る。クインには人には見えない色が見えているのよ」
「四原色? 色とは赤青黄の三原色では無いのか?」
「鳥の目には人の目が捉えられない四つ目の原色が感じ取れるのよ」
「ほほお、それは面白い。人には見えぬ色とは。つまり、鳥とは人よりも多くの色で世界を見ているのか」
原色がひとつ多ければ、混ざり合えば更なる多様な色となろう。それでは鳥の見る世界とは、人の目では見えぬきらびやかで鮮やかなものかも知れぬ。同じものを、同じ世界を見ても違う色あいに見えるのか。
「鳥の目で物を見たならば、描くのに絵の具の種類が更に増えることになるのかな?」
「ごく稀に人にもこの四つ目の色を見る者がいる。私の見るところ、赤髭、あなたはその目を持っているようね?」
「む? そうかもしれん。幼い頃、私が描いた絵を見て、ステキと言ったのは姉上だけだった。あのときの大人達は私の描く絵を、変なものを見るように見ていたか」
「異端として苦労してきたんじゃない? 異形の目を持つ者は」
「私には偉大なる姉上がいたから問題無い。そうか、私の目がそうだったのか。姉上は私に、誰かに見せる為の絵の描き方と、自分が楽しむ為の絵の描き方を教えてくれた」
流石は姉上だ。私の芸術の才を見抜き花開かせてくれたのは姉上。魔術の才を重視するクライシュナー家に産まれ、しかし魔術の才に恵まれ無かった私に芸術を教えてくれたのは姉上だ。
私の目の異常に気がつきながら、これを芸術の才と伸ばしてくれたのか。やはり姉上こそ私にとって女神の化身。
「うむ、この目を持って産まれ、姉上の弟としてこの世に産まれたこと、いったい何に感謝すれば良いのか」
「……やたらとポジティブよね、あなたたちって」
「うむ、人よりも良く見える目を持って産まれたからこそ、この目に写るものを人に伝えることこそ、我が使命ということか。運命は私を美の追求へと導いたのなら、私は全力で描き、形作り、残さねば」
そしてこの子達にも芸術を教える。おそらくは私よりもはるかにこの世界の神秘を、世界の不思議さを目にする子達に。
「己の見たものを人に伝え、これで人が喜び、楽しみ、世界の美しさに心を動かすならば、これに勝る楽しみは無い」
「……そろそろ、モデルを終わらせてもいいかしら?」
「まてまて、もう少しそのまま、そのままで」
もう少しで完成だ。例えこの絵がこの館の外に出ることが無くとも、この絵を見る者が限られても、この絵は残る。
そして子供たちに私の絵の描き方も伝えられる。
何より伝承を、世界の神秘の一端をこうして絵にできたことに私は満足だ。
……満足? いいや、まだこんなものでは無い。
「うむ、おすましポーズのアシェは描けた。だがアシェが隠した表情はまだまだある」
「私が隠した、表情?」
「子供たちの世話をするときの慈母の笑み、一日の仕事の終わりに酒を呑み目を細める働き者の癒しの顔、風呂上がりの火照った肌に立ち上る色気、まだまだある。そして私の絵は、まだまだ麗しき乙女に感動する魂の震えを描ききれてはいない。息の音、かぐわしき香り、絵を見た者に幻視させるほどの絵にはまだ届かぬ」
呆れたように溜め息を吐くアシェ。同じポーズのままでいることに疲れたのだろうか?
「さて、我が教え子たちよ、私の絵の描き方は参考になったかな?」
三人の子供たちは揃って大きく頷くと、いつの間にか用意した紙と木炭を手にアシェに向く。
「え? またモデルになれ、というの?」
「「うん!」」
アシェは子供たちを見て、一瞬私に恨みがましい目を向ける。なぜだ?
「楽な姿勢でもいいかしら?」
三人の子供たちは並んでアシェを紙に描く。
うむ、私の絵を見てやる気が出たというのは、なにやら誰かに自慢したくなるような気分だ。
白と黒の蛇の乙女は諦めたように、黒い蛇体の上に乙女の上半身をうつ伏せに。重ねた腕の上に頭を起き、うむ、これはこれで色っぽい。
設定考案
K John・Smith様
加瀬優妃様
m(_ _)m ありがとうございます。