004話 姉と夕飯
「……ゅうと、そろそろ起きなさい。流斗、流斗!」
体を激しく揺さぶられ、誰かに名前を呼ばれた気がした。
半分ほどしか覚醒していない状態で上半身を起こす。
「いっつ……!」
傷ついた体はまだ治っているはずもなく、思わず情けない声を上げてしまう。
目をこすって開けると、鼻先に遥の綺麗な顔があった。
「うわっ!」
思わずベッドの上で後退りし、頭を壁に勢いよくぶつける。
「いって……てて」
「……まったく、何をしているのよ。そこで顔を洗ってついてきなさい。夕食の時間よ」
遥が流斗にわかるように、この部屋の隅にある洗面台を指した。
流斗はベッドから起き上がり、洗面台で顔を洗いながら考える。
(かなり、ぐっすりと眠ってしまった気がするけど……今から夕食ということは、あまり時間は経っていないのか?)
顔を洗い終え、流斗は遥の後ろについて、長い廊下を進んだ。
「どう? 少しは疲れが取れたかしら?」
「おかげさまで、だいぶ良くなりました。ありがとうございます」
流斗はそう言って遥に頭を下げたが、遥が不機嫌そうな顔をしたのを見て『家族になるのだから敬語は使うな』と言っていたのを思い出した。
「えっと、その……ありがとう。ね、姉さん」
ポツリと小さな声で呟いた流斗に、
「うん。少しは疲れが取れたようで良かったわ」
遥は笑みを浮かべ、眼前にある部屋の扉を開きながら言う。
「さぁ、お腹が空いたでしょう。いっぱい食べてちょうだい」
扉を開いた先には、色とりどりの美味しそうな食べ物が机の上に並んでいた。その机の横には香織が静かに佇んでいる。
「おはようございます。よく眠れたでしょうか?」
「あの……立花さん、体の治療とかいろいろありがとうございました。おかげでだいぶ良くなりましたよ」
流斗は頭を下げる。なんだかここに来てからは頭を下げてばかりだなと思った。
「私のことは香織と呼んで下さって結構ですよ。それにしても、体調が少しでも良くなったのはいいことです。まあ、あれから丸一日以上も寝れば少しは良くなるでしょう」
「……へ? 丸一日ぃ!?」
思いもよらぬ香織の言葉に、流斗は素っ頓狂な声を上げた。
香織が部屋にある時計を指して言う。時刻は午後六時三十分を示している。
「はい。あれからおよそ二十八時間が経過しています。あなたを起こしに行ったお嬢様から聞いていないのですか?」
流斗は首を回して遥のほうを見る。その顔はおかしそうに笑っていた。
「私は訊かれなかったからね。それに、夕食には起こすと言ったけど、いつの夕食とは言ってないでしょ」
遥の顔は、してやったりといった具合に笑みを浮かべている。
「確かに、そうだけど……」
「だって、あまりにも安らかな顔でぐっすり寝ていたものだから、起こすのもかわいそうだと思って」
「なっ……俺の寝顔を見ていたのか!?」
「――――――当然ッ!」
なぜか遥が腕を胸の前で組み堂々と言い放つ。
「なかなか、可愛い寝顔をしていたわよ」
流斗の顔は赤くなりうつむく。寝顔を見られるなんて、こんな無防備な姿を晒したのはいつ以来だろう。暗殺者失格だ。いつもは寝ているときも気を張っているから、近くに誰かが来ればすぐに気づくはずなのに。
「さて、そのことは置いといて、とりあえず夕食にしましょうか」
遥の中では、この話はこれで完結したようだ。遥は長机の前にある椅子に座った。
「流斗、あなたも早く座りなさい」
言われた通り、大人しく遥の隣の席に着く。
流斗が席に着いたのを確認し、香織も遥と流斗の対面の席に座った。
「では、いただきます」
「い、いただきます」
遥の言葉を皮切りに、三人の夕食が始まった。
流斗は今まで食べたことのないような豪華な食事に思わず唾を飲み、それを口にする。
「お、美味しい……!」
ひびの入った右腕が固定されていて少し食べにくかったが、流斗は次々と料理を平らげていった。
「やっぱり香織さんが作った料理は、いつ食べても美味しいわね」
流斗の隣で遥も満足そうに箸を進めている。
「喜んでもらえたようでなによりです」
「これ全部、香織さんが作ったんですか?」
「はい。料理や洗濯に掃除など、基本的にここの家事はすべて私が受け持っています。そのせいで、お嬢様には生活スキルが皆無になってしまいましたが……」
「うるさいわね。私には香織さんがいるからいいのよ」
そう言う遥に、香織は「仕様がありませんね」と言っていたが、その顔は少しだらしのない子供を優しく見守る母のようであった。
流斗は料理を食べながら、様々なことを遥や香織から聞いた。
香織についての簡単な自己紹介。この家では使用人も主人と一緒にご飯を食べること。この家の内部の構造について。遥が自分より二つ年上の高校一年生であること。流斗は私よりも身長が五センチ低いと言われ、子供扱いされたりもした。
そして、彼女の父親である神崎士道の職業について。
どんな話をするときも笑顔だった遥の顔が、父親の話になると、注意して見なければわらないほどであったが、微かに陰ったのが気になった。
「そうか、お父さんが軍人だったのか」
「うん。実は、私は正式に軍に所属しているわけではないのよ」
「そういえば、姉さんのお父さんに挨拶をしないと。今はどこにいるんだ?」
「昨日から家に帰ってきていないわ」
遥の顔がうつむき、空気が少し重くなる。
そのとき、遥が自分のことについて話し始めてからずっと静観していた香織が、タイミングを見計らっていたように口を挟んだ。
「旦那様は今日も少し遅くはなるそうですが、家には帰ってくることができるそうですよ」
「……そう」
「じゃあ、俺はそのときに挨拶をさせてもらいます」
そして、すべての料理は残らずなくなり、三人の夕食は終わった。