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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
1章 文学少女は本を胸に抱く
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8話 先生と三つ編み

 教室に戻って授業を受けていた。隣には誰もいない。いつもそこにいる三つ編みの少女がいない。机の下で本を読んでいて、それなのに当てられた問題にはちゃんと答え、しかも間違えない。そんな賢い少女がいない。小さな花のように可愛らしく微笑む鏡子の幻が見えそう。

 鏡子が転校してくる前のようにつまらない。

 世界がくすんで見える。

 授業が長く感じた。

 授業が終わり、鏡子が帰ってくるのを少し待ってみたが一向に来る気配がなく、私は鏡子の鞄を勝手に開けて、お弁当と水筒を持ち保健室へ向かった。

 まだ体調が悪いのだろうか。

 保健室に入ると、そこには宇佐見先生と和気あいあいに話す三つ編みの少女が目に入った。

 元気そうで何より。


「橘さんいらっしゃい、鏡子ちゃんは元気になったわよ」

「先生、猫かぶらなくていい」


 鏡子ちゃん?

 あの一時間で一体何があったんだ。一体何が二人の距離を縮めたというのだ。


「はい、お弁当」


 鏡子に弁当を渡して隣に座った。


「先生、鏡子と何話してたの?」

「世間話や。鏡子ちゃんったら話がうまくってついつい喋ってしもーてな、ガハハ」


 宇佐見先生は、大きく口を開けて笑う。

 鏡子の前でも平然とその姿を見せるとは。

 宇佐見先生には入学当時からお世話になっている。

 お昼休みに宇佐見先生のところに行って一緒にごはんを食べたり、嫌な授業をサボって保健室で過ごしていた。


「詠ちゃんありがとう、いただきます」


 宇佐見先生は一旦席を離れると、戻ってくると手にはチーズケーキを持っていた。


「!」


 私はつい席を立ってしまった。隣でもぐもぐご飯を食べていた鏡子は目を丸くして私を見た。

 ハッとして、私は静かに席に座った。穴があったら入りたい。

 宇佐見先生は、私と鏡子を交互に見ると、いたずらっぽく笑った。切り分けられたチーズケーキを私達の前に置いて、ソファに腰掛けた。


「鏡子ちゃん、詠はね、チーズ系のスイーツとか食べ物が大好きなんやで」


 私は肩をすくめて、ちびちびとチーズケーキを食べる。フォークがお皿に当たり微かに音を立てる。横目で鏡子をちらりとみると、鏡子はフォークを持ったまま私をじっと見ていた。


「詠が一年の時はよく遊びに来ては、チーズケーキとか、チーズのスナック菓子とかあげてたんやで」


 余計なことをペラペラと。

 それを聞いた鏡子は、満面の笑みで「今度はチーズのお菓子持っていくわね」と言った。


「あ、ありがと……」


 鏡子に好きな食べ物を知られたのが恥ずかしいんじゃない。鏡子の前で、好きなものに食いついてしまったのが恥ずかしかった。

 宇佐見先生が穏やかな目で私達を見つめていた。

 鏡子が弁当を食べ終え、チーズケーキに手を付けた。フォークで一口サイズに切り分け、小さな唇を開いて口へと運ぶ。


「宇佐見先生、このチーズケーキおいしいです!」


 鏡子は頬に手を添えてうっとりと言葉を口にした。


「そうやろそうやろ、美味しいやろ」


 宇佐見先生の真っ赤な口紅を塗った唇に三日月を浮かべた。色気のあるふっくらとした唇とスタイルのいい体が所以で「エロ先生」と呼ばれていることをこの先生は知っているのだろうか。


「これ、どこのケーキなんですか?」


 チーズケーキを食べ終えた鏡子は、フォークを置いて宇佐見先生に聞いた。

 宇佐見先生は、ティーカップに注がれた紅茶をすすり、カップに付いた口紅を親指で拭った。


「これ、先生が作ったんやー。どうや、うまいやろ」


 宇佐見先生は自慢げに胸を張る。胸元が突っ張り、今にもボタンが弾けそうだ。

 鏡子はごちそうさまでしたと手を合わせて、にっこりと微笑んだ。


「ありがとうございました。また宇佐見先生のスイーツ食べたいです」

「やーもー、ありがとう。また暇な時おいでや。」


 食器を片付けながら宇佐見先生は上機嫌に答えた。今日も宇佐見先生のチーズケーキはおいしかったです。

 教室に戻ると、鏡子を見たクラスメイトたちが駆け寄ってきた。顔には心配していたという文字を貼り付けている。


「志賀さん、大丈夫?」

「ええ、もうすっかり」


 保健室であんなに元気にチーズケーキ食べてたり、先生と雑談を楽しんだりしてたもんね。鏡子は笑顔を振りまき、皆の質問に快く応答していた。

 転校当時から今日この人気は相変わらず。

 鏡子の明るさは人を惹きつけ、頭の良さでも一目置かれている。

 そしてチャイムが鳴ると、蜘蛛の子を散らすように自分の席へと帰っていった。


「体調悪くなったら私にいいなよ」


 鏡子に一言そう告げて、私も着席した。鏡子はもちろんよと笑顔で答えていたが、多少心配である。

 授業が始まったが、いつもより多く鏡子をちらちら見ていた。さすがの鏡子も視線を感じるのか、目が合う頻度が高く、最初は微笑みかけてくれたが、次第に困惑した表情へと変わっていった。そして、何かを思いついたらしく、小さなメモ帳にシャーペンを走らせると私にこっそりと紙を渡してきた。



『好きですと、

 顔を上げたら、

 人違い』



 私はその川柳を見てクスッと笑った。

 告白する時はまず相手の顔を確認してから告白しなさいよ。


「ミス橘、何かおかしいところでもありましたか?」


 先生は一重の鋭い目を私に向けてきた。


「いえ、思い出し笑いをしてしまっただけです」


 と答え、難を逃れた。

 鏡子を見ると口元を押さえ、声を出さずコロコロと笑っていた。

 普段はそんな事しないのに、意外だった。

 先生は教科書を見ながら本文を読んで、英語科ら日本語に訳していた。過去分詞がどうとか動詞の原形がどうとか、黒板に書いた文の単語に役割を振っている。英語は比較的できる方だから苦労はしてない。だから、授業中多少話を聞いていなくても問題はないのだ。

 鏡子は再び私にメモを送ってきた。

 今度もまた川柳なのだろうか。そう思って、メモを開いた。



ちーずけーき。



 私はお昼休みのことを思い出した。

 ああ、はずかしい。

 頭を振り、映像をかき消す。メモを折りたたんで、ポケットにしまった。腕を机の上に乗せてその上に頭を置いた。

 夢の中へと旅立った。



 私はまだ眠気をまとっていた。「部活の時間よ」と鏡子に手を掴まれ部室へと連行される。私の指先に溜まる熱が鏡子の冷たい指をあたためた。鏡子に体温を移すと、眠気は剥がれ落ちていった。


「鏡子、今日は部活やめよう」

「え、どうして?」


 鏡子は足を止め私を見た。

 今は元気でも、もし何か体調を崩されたりしたら困る。


「昼間あんなことがあったのに、体調崩されたら大変だから」

「でもでも」

「だめです」

「でも、わ――」

「だめです」


 鏡子の言葉を遮り、「だめ」と念を押す。

 鏡子は、今の私になにいっても意味がないと分かったのか、しゅんと眉を下げた。


「詠ちゃん、お母さんみたい」


 鏡子は長いまつげを伏せ、悲しげな陰が目に宿った。それは、部活を禁止されたことに悲しんでいるのではなく、他のことで悲しんでいるような。

 私の手を握ったまま、階段を降り始めた。

 私の手は握ったままなんだ……。

 鏡子は校門を出るまでずっとしょんぼりとしていた。俯いたまま話さない。

 ちょっと強く言い過ぎただろうか。今度からもう少し優しく言おう。

 本館を出ると、通路を挟んだグラウンドから、活気のある声が聞こえてきた。野球部やサッカー部の声だ。


「鏡子せんぱーい、詠せんぱーい!」


 そんな声に混じって、伊知さんの声が聞こえてきた。

 鏡子は顔を上げ、辺りを見回した。グラウンドのフェンスに近づき、こちらに手を振っている人物がいる。余分な脂肪がないすらりとした足、サッカー部の服装。


「こっちです、こっちこっち」


 口の動きと声が一致し、あの人物が伊知さんだと確信した。

 車が来てないことを確認し通路を横断する。

 伊知さんはフェンスに指を引っ掛けて、私達が来るのを見ると嬉しそうに飛び上がった。

 フェンスがガシャンガシャンと揺れる。

 伊知さんの首筋に汗が伝っていた。


「伊知さん、サッカー部だったんだね」


おばさんのように手を横に振り笑顔で答えた。


「やだなー、詠先輩。助っ人なだけで、あたしはバスケ部ですよ」


 私は伊知さんがあまりにもさらっと言うので驚いた。


「運動神経抜群なのね、すごいわー」


 鏡子は私の代わりに気持ちを口にする。伊知さんは、頬を赤く染め首の後をさすった。

 後ろで笛が鳴った。

 伊知さんは後ろを振り向くと、右手を軽く上げ、また私達の方を向いた。にぃと笑い「それではまた」と言うと、試合に戻っていった。

 その後姿は少年のようだった。


「帰ろうか、鏡子」

「ええ」


 校門に足を向けた。

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