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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
4章 文学少女の二冊目の本
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80話 文芸部にお客さん?

 私たちは体育館裏の木陰の下で昼食をとることにした。まばらに人はいるが、比較的ここは人が少ないようだ。


「鏡子と共通の知り合いに頼んで、鏡子を目撃したら連絡するように伝えてたんだからね」

「気分が晴れたらすぐ戻る予定だったのに」

「そんなこと言っても、心配だったから」

「わたしは消えたりしないわよ」


 チーズハットグとお母さんたちが購入していた焼きそばや唐揚げを四人の真ん中に置く。


「紫さんも連絡ありがとうございました」


 小さくお辞儀をすると、紫さんもペコリと頭を下げた。


「いいのよ、このくらい」

「紫さんが捕まえておいてくれたおかげでやっと追いつくことができましたよ」

「なによ、人を動物園から脱走した猿みたいに」


 口ではそんなことを言いながら、まだ湯気の立つチーズハットグを私に手渡す。

 見た目はアメリカンドッグ。

 いただきますと小声で呟き、一口食べてみる。衣の感じはアメリカンドッグとほぼ一緒、でも中身が違った。名前にもある通り、溶けかけの熱いチーズが口の中で広がる。ほのかな甘さもあるけど、これは衣のホットケーキミックスだろうか。

 唇を離すと、チーズが橋を作った。

 ……鏡子がこれを買ったのは、私がチーズ好きだと知ってのことなんじゃ。

 橋を崩壊させ、口の中に押し込んだ。


「これ、おいしい」


 鏡子は嬉しそうに頬をゆるめた。


「買ってよかった、詠ちゃんこれ好きかなーと思って買ってみたの」

「何だか、お母さんも欲しくなってきたわ……。後で買ってこよ」


 チーズハットグを食べ終え、焼きそばと唐揚げを少し貰った。もっと食べれるかなと思ったけど、意外とチーズハットグが胃を占領していた。


「詠さん、遠野夏夜先生の二作目、かなりの人気よー。読んでみた?」

「私はまだです」

「あら、お母さんは読んだわよ、うふふ」


 定期的に紫さんから情報は入っていたけど、まさかお母さんまで読んでいたとは思わなかった。フィクション、とはいえ、完全にフィクションという訳では無い。お母さんはどう思って読んだのかな。あー頭のてっぺんが熱い。


「また映画化とかしちゃったりして……」

「今回ばかりはもう本だけでいいですよ、映画化とか恥ずかしいですし」


 雑談を楽しんでいると、校舎からなにやら放送が聞こえた。内容ははっきりとは聞き取れなかったが、時間を確認すると休み時間が終わる五分前。

 ひなちゃんに、一度部室に戻るって伝えてたの忘れてた。


「鏡子、早く食べて、口に入れて! 部室でひなちゃんたち待ってるから!」


 目を丸くする鏡子は、言われるがまま残り一口を放り込んだ。それを確認し、私は鏡子の手首を掴み、「もう部室に戻ります!」と紫さん達に告げて、鏡子を引きずるように部室へと走る。

 部室についたのは、午後の部の始まりを告げるチャイムと同時だった。

 肩で息をするぐらい頑張って走ったのに、ギリギリ間に合わなかったようだ。扉にもたれかかって息を整えていると、くすりと笑う声がした。


「初めてのお客さんですねっ」


 顔を上げると、鏡子が――いや、ひなちゃんがやわらかく、明るく、笑っていた。優しい笑顔が一瞬鏡子の笑顔に見えた。それから鏡子と目を合わせ、もう一度ひなちゃんを見る。

 笑みを浮かべたまま、私達を見つめている。


「どんな本をお探しですか!」


 どんな感情かわからないけど、笑いがこみ上げてくる。歯の隙間から勢いのない笑い声が抜けた。

 そうだなぁ、今日はじめてのお客さんだなあ。

 約束を守れなかった先輩を怒ることなく、笑顔で迎え入れ、しかも「初めてのお客さんですねっ」って。


「じゃあ……『後拾遺和歌集』探してます」

「詠ちゃんが和歌集なんて珍しいじゃない。新しく興味を持ったのね、いいことだわ」

「志賀先輩は何かお探しの本とかありますか?」


 気を遣って近江くんが鏡子先輩に話しかける。


「そうねえ、わたしは“ソレ”見せてもらうわ」


 鏡子がそう言うと、一冊の本を手にとった。

 シンプルな表紙で薄めの本。あ、私達の合作だ。制作段階では鏡子は誤字脱字チェックの方に集中していたからしっかりと読んでいなかったからか。

 ひなちゃんから『後拾遺和歌集』を受け取り、ソファに腰掛けた。

 あれは、何番だったかなぁ……。

 記憶を一年半近く前に飛ばしながら、ページを捲っていく。

 雨が振りそうな天気で、鏡子が窓の外を見ながらポツリと呟いたんだったっけか。なんの前触れもなく、突然そんなことを言ったのよね。遠くを見据えるように細めた目と、紅の唇、艶を帯びる黒髪が平安時代の女性を連想させた。

 鏡子が何を思ってソレを口ずさんだのか未だにわからない。

 今度は私が声に出した。


「今はただ、

 思い絶えなむ、

 とばかりを、

 人づてならで、

 いうよしもがな」


 鏡子が光の速さでこっちを見る。眼球が飛び出てしまうんじゃないかというほど目を開いて、唇が小さく開いていた。


「な、な……なんで……」


 普段の鏡子からは想像できないほどの動揺っぷり。

 もう一つ、私が唯一覚えている和歌を歌おう。


「誰に見せ、

 誰に聞かせむ、

 山里の、

 この暁、

 もをちかへる音も」


 近江くんがメガネのズレを直し、ひなちゃんは頭にハテナを浮かべている。

 鏡子を視界の端で見ると、頬を真っ赤にして静かにうつむく。

 近江くんが一歩前に出て、小さく咳払いをした。


「僕が解説をしますね。『山里の夜明けや、ホトトギスの繰り返す声も誰に見せて、誰に聞かせたらいいんだろう』しかしこれは恋の歌です。そのままの意味を受け取ってはいけません。

 この場合の、誰に見せて誰に聞かせたらは、ちゃんと相手が決まっています、好きな相手です。

 つまり、あなたにみせたいし、きかせたい、そういうことです」

「うわぁ、素敵な歌ですね!わたしもそんな恋してみたいです」


 耳まで真っ赤にした鏡子は察しで顔を隠して、近江くんのメガネの奥が薄気味悪く光った。


「こう見えても、僕古典は得意なんですよ、僕も一句なにか詠みましょう」


筑波嶺ちくばねの、

 峰より落つる、

 みなの川、

 恋ぞ積もりて、

 淵となりぬる」


 詠い終えると、自ら解説を始める。


「筑波山は茨城県のほぼ中央に位置します。みなの川は筑波山から発する川で、そこに好きな気持ちが募って淵のように深くなったということです。小倉百人一首に収録されている片思いの歌ですね」

 

 ひなちゃんは華麗に歌い上げる近江くんを見て、目を輝かせ、大きな拍手を送る。近江くんはほのかに頬を赤らめ、ズレてもいないメガネの鎧に指を押し当てた。

 

「でしゃばりました……」


 今にも消えてしまいそうな声でつぶやくと、ひなちゃんがそんなことないよと声を上げる。


「かっこよかったよ、明人くん!」

「いや、そんなことは……」


 まだ謙遜しようとする近江くんに、ひなちゃんは机に手をついて身を乗り出し、近江くんにぐっと迫った。

 思わぬ展開に、二人に見入った。鏡子も顔を上げ、じっと二人を見つめている。

 下の階から聞こえる明るい声がもっと遠くから響いているように思えた。心臓の音、つばを飲み込む音でさえ、自分の中から聞こえていると忘れてしまうほどに、私は二人に集中していた。

 お互いの顔の距離、僅か十センチ。

 少しでもバランスを崩せば、その場でキスをしてしまいそうな距離。

 近江くんの瞳がしっかりとひなちゃんを捕らえ、ひなちゃんも近江くんをその瞳に映す。

 


「明人くんはかっこよかったよ!」



 面と向かって、しっかりと言い切られ、視線を逃がす事もできず、近江くんは立ち尽くしたまま首から赤く染まっていく。頬まで赤く染まったとき、ひなちゃんが我を取り戻したらしく、バッと離れて、鏡子のところに抱きついた。鏡子が優しく抱きとめ、背中を擦る。


「ご、ごごめんなさい! わたし、わたし……」

「大丈夫よ、ひなちゃん」


 近江くんは窓の方に近づくと、顔の幅分ぐらい窓を開け、冷える風で熱を取っていた。

 


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