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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
4章 文学少女の二冊目の本
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76話 一歩前進

 その日の夜、お母さんから「頭冷やしたから帰っておいで」とLINEが届いていた。そのことを紫さんに報告すると、部活帰り学校まで迎えに来てくれることになった。鏡子はただいつものように優しい笑みを浮かべてただ一言「そっか」と呟いた。

 それから寝るまで鏡子は片時も私から離れようとせず、ぴったりと磁石のようにくっついていた。


「鏡子、さすがにちょっと暑い」

「わたしは暑くないわ、むしろ肌寒いくらいよ」


 嘘を言っていることは見え見え。

 首元はじんわりと汗をかいていて細かな汗のつぶがくっついているからだ。

 私がわざと鏡子から離れて、ベッドに寝転ぶ。動画配信サイトで面白そうな動画を見始めると、鏡子も私の隣にゴロンと寝転んだ。


「鏡子ー」

「なに、詠ちゃん」


 もともと動画を見る気なんてさらさらなくて。

 私はスマホを手放し、寝返りを打って、鏡子を抱き寄せた。

 突然のことに鏡子の首元から耳までが急激に赤く染まり、唇をわななかせる。そして、ようやく理解したのか、体の力が抜けて、嬉しそうに綻んだ。

 鏡子の匂いが頭の中まで入ってきて、私をボーッとさせた。

 鏡子が私の腕の中でくるりと回転し、向かい合わせになる。

 明日はもう別々の家に帰る。もともとの日常が戻ってくる。こうやって、同じご飯を食べて、同じシャンプーのにおいさせて、同じベッドで眠って、同じ部屋で同じ制服を来て、同じ時間に家に出ることができなくなる。

 私達は眠りに落ちるまでの時間を、唇を何度も重ね、「好き」の言葉で埋めた。

 

 

 空が闇に飲まれ始めた頃、私は自分の家の前にいた。

 紫さんは名残惜しそうに「また、いつでもうちにいらっしゃいね」と言ってくれ、鏡子も「数日間楽しかったわ」と笑顔を浮かべた。

 

「お世話になりました。鏡子も、ありがとう」

「じゃあ、また明日会いましょ」


 車の窓が閉まり、静かに車は動き出した。

 自分の家なのに、初めて踏み入れる場所のように緊張している。閉ざされた門を押し開け、階段を登って、ゆっくりと玄関のドアを開けた。

 パタンと閉まるドアの音が、心臓を跳ねさせる。玄関にはいつもお母さんが履いている靴がきれいに揃えられていた。

 声が喉に引っかかってでてこない。ただいまの「た」ですら掠れてしまう。荷物は玄関においたまま、学校のかばんだけを握りしめ、明かりの漏れるリビングに飛び込んだ。


「おかえり、詠」


 数日ぶりのお母さんの顔。

 お母さんの落ち着いた静かな声がドアの向こうに抜けた。声は怒りもなく、学校から帰ってきたときと同じ聞き慣れたトーン。しかし、目の下にくまができていた。あの間ずっと悩んでいたのか、仕事が忙しかったか、もしくは両方か。

 トクトクと規則正しい心音が鳴る。

 私はどういう表情をしたらいいのかわからなくて、荷物をおろしながら、声だけは元気よく「ただいま」と返した。

 着替えに行くのも悪い気がして、お母さんの向かいに座る。

 

「お母さんね、数日いろいろ考えたのよ」


 重い雰囲気を感じさせないように気を遣ってくれているのだろうか。お母さんは優しい顔と声で話し始めた。

 私はお母さんの声を聞きながら、テーブルの下ではスカートを握りしめたり離したり、膝をこすり合わせたりを繰り返した。

 

「詠にもいつか好きな人ができたり、恋人ができたりするとはわかってたのよ。詠が好きになった相手で、相手の人も詠を大事にしてくれる人ならお母さん全力で応援すると決めていたの」


「そう決めてたのにね……。あまりにも突然で、しかも同性だったから、お母さん驚いちゃって」


 教科書にも載っている。

 好きな異性と結婚して、とか、どんな異性が好きですか、とか。どんな異性と結婚してどんな人生を歩みたいですか、とか。異性に性衝動が生じるとか、異性への関心とか。

 全部異性。

 異性を好きになることが当然で、異性と結婚することが当然のように書かれている。実際、異性を好きになる人がほとんどだ。そんなことわかっている。でも、ほとんど、というだけですべての人間が必ず異性を好きになるわけじゃない。少数派は無いものとして扱われる。

 今はまだ、LGBTの存在自体広まってきているが、私の親世代なんて、LGBTなんて知らない人もいるだろうし、異性以外を好きになる人を気持ち悪いとか病気だとか言う人もいる。WHOにも同性愛は病気であると書いていた過去もあるぐらいだし。

 お母さんだけが悪いわけじゃない。

 長年の刷り込みとか様々な要因はある。

 それに、いきなりのことなんだから、混乱するのもおかしくはない。

 お母さんは私をまっすぐみて、頭を下げた。


「詠を傷つけちゃったよね、ごめんなさい」


 私のいいたいこと、うまく伝えられるかわからない。でも、言葉をゆっくりでもいいから選びながら、ちゃんと伝えたい。

 背筋を伸ばし、肺いっぱいまで息を吸って、気持ちを乗せた声を出した。


「私も、ごめんなさい。私のことを全部一度に理解しようとしなくていいから……。お母さんは悪くないんだよ、刷り込みとかあるからさ……。お母さんは異性だけ好きなだけで、好きな人は絶対異性じゃないといけないなんてことはないんだよ。

 今は理解できなくてもいいから、知る、こういう人達もいるんだってことを分かって欲しい」


 お母さんは「うん」と相槌を打つ。


「実はさ、お母さんが紫さんと話してるところ、みちゃったの。話の内容ははっきりとは聞こえなかったけど、断片的には聞こえたし、お母さんの表情とか見て、私のこと嫌いになったわけじゃないんだって安心したよ」


「ねえ、詠」


「なに?」


「鏡子ちゃんのこと、好き?」


 斜め上の発言に、私は肘を椅子の背もたれにぶつけた。じーんと鈍い痛みと熱が肘から腕にかけて響く。これ、地味に痛いんだよね……。


「っ……まあ、言うの恥ずかしいけど、すきだよ」

 

 母親に向かって、はっきりと鏡子のことを好きというのは恥ずかしい。好き同士だから付き合ってるんじゃないかってなるけど、ちゃんと言葉にして、それを母親に伝えるのは心がむず痒くなる。

 私の返事を聞くと、お母さんは嬉しそうに頬を綻ばせて、「そっか」と声を漏らした。

 その日はお母さんと一緒によるごはんを作って、夜遅くまで話し込んだ。

 そこでわかったことは、お母さんは実は恋バナ好きで、私に恋人ができたり好きな人ができたらそういう話をしてみたかったとか、お父さんとお母さんのエピソードとか、昔こんな事があったとか、それから、LGBTのことについても触れてくれた。

 

 後日のある朝、お母さんは私にクッキーをもたせてきた。


「え、なにどうしたの、サービス?」

「鏡子ちゃんと二人で食べなさい。ちゃんと偶数にしたから」


 昼食のとき、これお母さんが二人で食べなさいって、とクッキーを鏡子に見せると満面の笑みで「ありがとう!」と言ってくれた。何も言及はしてこなかったけど、クッキーを見て察したのだろう。

 


 

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