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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
1章 文学少女は本を胸に抱く
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7話 そっと触ってみたら

「おはようございます」


 聞き覚えのある声がしてドアの方を見た。

 ひょっこりと伊知さんが顔を覗かせている。


「伊知ちゃん、入ってらっしゃい」


 鏡子が手招きをすると、「お邪魔します」と言い、遠慮がちに入ってきた。

 手にはまた折り畳まれた紙がある。


「これ、続きです。どうぞ、鏡子先輩、詠先輩」


 机に手紙を丁寧に置いた。名前を呼ぶ時、僅かに声のトーンがあがった。頬がほんのりと赤く色付いている。


「こっ、これにて失礼します」

「伊知ちゃんまって」


 鏡子は顔を赤くした伊知さんを呼び止めた。

 昨日解読した文を、伊知さんに渡す。伊知さんはその文を読むと顔がぱあと明るくなった。


「すごい、解読できたんですね!

 さすが先輩方、尊敬します」


 そこまで大げさに褒められると流石に照れてしまう。

 私は前髪を触り、下唇を噛んでニヤけることを阻止した。

 鏡子はどうだと胸を張って威張った。


「こんどこそ失礼します」


 伊知さんは爽やかな笑みを浮かべて教室を出ていった。


「先輩っていう響き、いいわよね」


 鏡子は伊知さんが出て行った方向を眺めながらしみじみと呟いた。


「同感」


 鏡子も私と同じ事を感じでいたようで、安心した。

 鏡子は腕を伸ばして机の上で手紙を開いた。



 三枚目。

 四月十日。三時遅レ。

 ヘワロワロリニリ、イワハチ小イカトチロリニカロリロワ。

 ロチヘルハヌトヲ、トリハルロワヘカヘワロヌヘルヘチヘルニカロルトチ。

 ヘワロワロリニリ、ヘワヘヌトヌニヌハヌハリトヲロヌ。


 四枚目。

 一月五日。

 トルニヌホヲハヲトリホヌイヲロチホリロルハチ。

 ハヲハワヘルハワヘルハカ、ハリイチロヌハワトルイヲロリトヲハヲロルトヲヘリ小ロワイチイヲトヲイルヘルホリロルハチ。

 夜カラ朝ニナリマシタ。

 ヘルロルイカハワヲイトチハカロヲホカニヲイカロル。


 サヌロチタオ、カキチネキヤチナ。



 三、四枚は、ちゃんと読める文がある。

 三時遅れ。

 三時間遅れた? 

 夜から朝になりました。

 日記を書いている間に夜が明けたというのか?

 また悩みの種が増えた。一難去ってまた一難。

 唸るだけで、解読には手が届かなかった。

 ヒントを集めていかないと。

 悲しくも八時を知らせるチャイムが鳴って、朝の時間は終わった。残りは部活の時間。



 昨日の雨とは一変して、カラリとした晴れ模様で、夏がもうすぐそこまで来ている。

 気温は高くもなく、風は前日の雨のおかげで冷たい。

 そんな中での体育は水泳だ。

 地獄のシャワーという異名を持つ、水泳前に通るシャワーを浴びて、プールへと入る。

 私は、見学届を先生に提出していたため、今日は見学になる。水泳の女子の見学率は異常だ。多い時は十人ほど見学している。

 まあ、生理があるから仕方がないのかもしれない。

 

 小学生の時から見ている地獄のシャワー。

 どこに行っても変わらない名前を持っている。肌を突き刺すような冷水が全身に降り注ぎ、体を濡らしていく。

 あまりの冷たさに「キャー」と女子の悲鳴が上がる。シャワーを終えると、風がお出迎え。風が濡れた体を引っ掻いて、皮膚を泡立たせるのだ。

 水泳は、レーンを区切り三つのグループに分かれていた。水泳が上手なグループ、得意ではないけどある程度泳げるグループ、全くと言っていいほど泳げないグループ。鏡子は泳げないグループに入っていた。

 鏡子がプールに入ると、笛の合図で水中に潜って壁を蹴った。体を伸ばして、体を浮かせる。

 浮かせ……る?

 普通は、体の脂肪と肺の空気が浮袋となり、背中が水面から見えるはず。しかし鏡子はというと、完全に背中は水中に埋もれていた。

 痩せているから浮かないのか、体に力が入っていて浮かないのか。決して大きいとは言えない胸が浮袋の役目は果たすわけがない。

 本人はそれに気づいていないのだろう。

 腕を水中から抜き出し前に出して水をかいていく。足をばたつかせるも、水しぶきが上がらない。そして一度も顔を水面から上げていない。


「先生、志賀さんが一度も息継ぎをしてません」


 鏡子より先に泳いでいた女子生徒が先生に報告した。かいていた腕は徐々に勢いをなくし、足の動きも鈍くなっている。


「志賀さん。志賀さん大丈夫?」


 先生が呼びかけるが、無反応でついに動きを止め体は沈んでいった。先生が急いで飛び込み、鏡子の体をすくい上げる。

 鏡子を日陰である見学者のところに運び、床に寝かせた。

 幸い、今日の見学者は私しか居なかったため場所は空いていた。

 鏡子の顔を横に向けると、鏡子は咳き込み、プールの水を吐き出した。


「よかった、志賀さん。大丈夫? ここがどこか分かる?」


 先生が鏡子の体に大判のタオルを掛けた。


「プールです……」


 声は弱々しいが意識はあるようだ。

 鏡子を心配そうに他の生徒が横目で見ながら通っていく。

 先生は鏡子に意識があるとわかると、私に頼み事をしてきた。


「橘さん、もし容態がよくならなかったら保健室に連れて行ってくれないかしら」


 私は頷いた。

 先生は「お願いね」と言い残し、授業へと戻っていった。

 水を弾く若々しい肌と頼りない細い背中が少女ということを感じさせる。

 鏡子は、体を起こして細い腕に力を入れて、よろつく足で立ち上がった。


「鏡子、安静にしてないとだめだよ」

「大丈夫、それより授業に……」


 鏡子は足を一歩前に踏み出す。

 が……。

 細い体が力なく前に倒れていった。

 途端に、悲鳴が上がり、先生が駆け寄ってくる。男の先生が鏡子をお姫様抱っこして保健室へと連れて行った。私も、更衣室に行き、鏡子のプールバッグを手に、保健室へと向かった。

 保健室に着き、ドアを開けた。

 消毒液の匂いがする保健室は妙に落ち着いた。


「失礼します。鏡……志賀さんの制服持ってきました」


 カーテンから保健室の宇佐見先生が顔をのぞかせた。

 来訪者が私だと分かると引き締まった顔を緩め素を出す。


「詠か。こっちこっち」


 少し空いていたドアを閉めて、淡い緑色のカーテンを開けた。

 ベッドに横たわる鏡子の姿。ほどかれた黒い髪が波のように広がり、白いベッドや鏡子の肌を際立たせていた。


「安静にしてれば大丈夫」

「そうですか、ありがとうございます」


 ドアが開く音がした。


「失礼します……先生いらっしゃいますか」


 宇佐見先生は、出ていくとしっかりとカーテンを閉めて、猫をかぶり、生徒の対応を始めた。

 宇佐見先生のお上品さがありながら親しみやすさと艶めかしさから、生徒の間では「宇佐「美」ちゃん」とか、男子の間では「エロ先生」なんて呼ばれている。

 皆の前では、口に手を添えて笑ったりして口調も丁寧で優しいが実際は違う。

 少なからず私の前では、違う。

 関西出身故に、関西弁をべらべらしゃべり、口も開けて笑うし、なんなら手をたたきながら馬鹿笑いすることもざらにある。

 宇佐見先生は猫かぶりな先生だ。

 規則正しい呼吸をして眠っている鏡子は、毒りんごを食べて永遠の眠りに着いた白雪姫のようだった。

 空調のきいた保健室は涼しく、居心地がいい。鏡子が起きるまで見守っていよう。

 突然現れた容姿端麗な王子様が水泳をしていて溺れた鏡子という白雪姫の唇にキスをして、眠りから目覚めさせた。なんて展開もなく、鏡子は重そうに瞼を開けた。


「うぅ……」

「大丈夫?」

「お、お……」


 鏡子は何かを言おうと、口を必死に動かしているが声が出ていない。

 お水か? お水と言いたいのだろうか。

 体から水分が抜けてしまっているだろうし、ありえる。

 鏡子の口元に耳を近づけて、声を拾う。


「お腹空いた」


 声はかなりかすれていたが、鏡子ははっきりとそういった。そして証拠と言うように、キュルルとお腹がなった。

 水泳して溺れて、意識失って、目が覚めて、初めて話したちゃんとした文が「お腹空いた」。水泳したら体力使ってお腹がへるのは分かるけど……。

 鏡子の口元から耳を離して、カーテンから顔を出した。先生と話していた生徒がビクッと肩を上げる。生徒の反応を見た先生が後ろを向いた。


「あら、どうしたの」


 しっかり猫と被ってお上品な保健室の先生を演じている。


「志賀さんが目を覚ましました」

「四限目終わるまではそこで安静にさせておいて」

「わかりました」


 私は、生徒にごめんね、というように目で謝り、顔を引っ込めた。


「だそうです、鏡子さん」


 鏡子は、不満げに頬を膨らまして私を睨んだ。鏡子は布団を被り、私に背中を向ける。

 そんなことで拗ねなくても……。

 長くうねる髪がベッドからこぼれ落ちている。鏡子の髪を手に乗せると、鏡子の細い肩がピクリと動いた。

 乾き始めていた髪にも艶があり、指を通して流すと引っかかりもなくさらさらとしていた。


「鏡子、泳ぐ時力はいってた?」

「……」

「それとも体調が元々悪かった?」

「……」


 鏡子は何も答えなかった。

 うんともすんとも言わず、黙ったまま横を向いている。


「髪サラサラだね」


 私が褒めると、布団とシーツがこすれる音がした。

 これじゃまるで私が鏡子を口説いているようじゃないか。

 私は口を閉じた。

 毎日きっちりと三つ編みをしてきて大変だなあ。私なんて髪梳いて、寝癖がないか確認するだけなのに。

 あまりに触り心地が良くて、鏡子の機嫌の悪さも忘れ、ずっと髪に触れていた。

 どのくらい触っていたのか、鏡子はぷるぷると首を振る。


「いつまで触ってるの……」


 声に恥ずかしさが混じっている。黒い髪から覗く耳が赤く染まっていた。


「ああ、ごめん。つい……」


 私はそっと髪から手を抜いた。

 鏡子はそっぽを向いたま消え入りそうな声で囁いた。


「心配かけてごめんなさい」


 私は何も言わず、気にしてないよと頭に触れた。正直なところ、髪に触りたかっただけである。

 鏡子は布団をかき寄せてもぞもぞとしている。


「詠、あんた三限おわったら四限目はでなよ」


 カーテン越しに先生の声が聞こえてきた。


「はーい」


 鏡子の頭を撫でながら返事をする。手触りが良くて、いつまででも撫でていたい。

 寝返りを打って手を振りほどこうとするが、撫でながら頭を押してこちらに向くことを阻止させる。

 こっち向かないで。きっと今の私の顔はにやけている。

 無言の攻防が続き、根負けした鏡子はおとなしくなった。チャイムが鳴るまでひたすら撫でていた。


「じゃあ帰るね、プールバッグ、ここに置いてるから」


 鏡子に別れを告げ、出ていこうとカーテンに手をかけた。

 一瞬、鏡子の声が耳をかすった気がしたが、そのまま出ていった。

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