65話 鳥の文編み
冬海さんの入部が決まって、最低あと一人集めなければならない。募集期間はまだまだ先だ。この調子なら余裕だろうと私は思っていた。しかし、その考えは甘かったらしい。あの日以来、待てど暮らせど誰一人として部室に顔を覗かせるものはおらず、顧問の先生のところに訪ねたものもいないようだった。
時折他の部に混じって簡素なビラを配ったりしたが効果はない。
廃部はどうにかしても免れたい。
募集期間はあと数日。
放課後、私達の日常に冬鳥さんが加わり、新たな雰囲気ができた。冬鳥さんは日々鏡子の話に頭が取れるんじゃないかというぐらい相槌をして、目を輝かせていた。
窓から入ってくる涼しい風に三つ編みを揺らし、優雅に言葉を奏でる鏡子。純粋な瞳で鏡子をじっと見つめて身を乗り出し耳を傾けている冬海さん。それはまるでイエス・キリストが人々に教えを広めているかのような宗教的な何かを多少感じる。冬鳥さんが頷くたび、濃青がにじむ黒髪が揺れた。
鏡子は一通り話し終えたあと、冬海さんに訊く。
「陽菜ちゃん、小説とか興味ある? 読んだり、もしくは書いたり」
冬鳥さんは、前髪をピンで留め直しながら小さく唸る。
「そうですねー……読むのは好きですよ。書くのはしたことはないですが、興味はあります。ただ、書き方がさっぱりわからなくて」
「書いてみましょうよ。心配しなくても大丈夫よ、この詠ちゃんがきっちりしっかり手取り足取り教えてくれるわ」
突然私の名前が出てきて、顔を上げる。鏡子と目が合うと、鏡子はにっこりとおしとやかに微笑んだ。少し遅れて冬鳥さんが鏡子の視線を追って私を見る。濁りのない透き通った瞳が私を映した。
姿勢を正し、小さく咳払いをして二人に問いかける。
「ええっと……なにか?」
冬鳥さんは私の前に立ち、気をつけの姿勢をすると四十五度まで頭を下げると、部室いっぱいに響く声でこう言った。
「よみ先輩、小説の書き方を教えてください」
なにから教えればよいのやら。人にこうしたほうがいいと教えたことがないからさっぱりわからない。正直私より、数多の作品を読んできた鏡子のほうが適任なような気がしている。まったく小説を書いたことがないという人でも、インプットされた作品の数が多ければ多いほど、初めて書いてもそれなりに形になるものだ。
黙っていても時間はすぎていくだけ。とりあえず、何か言わないと。
「冬海さんは、これまでどのくらい本を読んだことある? 想像するのとか好き?」
「あまり多くの本は読んだことがありません。でも、お気に入りの本は何度も繰り返して繰り返して読んでます。想像は普段から良くしてますね。想像というより妄想かもしれません」
そう言うと、冬鳥さんはほんのりと頬を赤らめて笑った。
だったら、全くかけないというわけじゃないかな……。一度書かせてみたほうがいいかもしれない。
「鏡子、三題噺とかさせてみるのどうかな」
鏡子は迷うことなく「いいわね、それ」と賛成した。
「三題噺ってなんです?」
「三つのお題を使ってお話をかくことよ。たとえば、『太陽』『白雪姫』『電気ケトル』って言葉がお題だとしたら、その言葉を作品の中に登場させるの」
「わ、わたし、やってみたいです!」
冬鳥さんは、見た目はすごくおとなしそうに見えるけれど、好奇心旺盛でとにかくやってみる精神の持ち主だと思う。鏡子と私に挟まれた冬鳥さんは原稿用紙に向かい合う。
「じゃあ、お題はさっき言った『太陽』『白雪姫』『電気ケトル』にしましょう。制限時間は……そうね、もうすぐ下校時間になっちゃうし、十五分にしましょう。よーい、すたーと」
鏡子がスマホのアプリのストップウォッチを十五分に設定して、開始ボタンをタップする。残り時間は音もなく近付き始めた。あまりプレッシャーをかけないように、カバンから英語のプリントを取り出した。私は宿題を片付けておこう。
人は誰かに見られている状況だと実力を発揮できないと聞いたことがあるし、リラックスして書いてほしいからね。
シャーペンを走らせる音が静かな部室に響く。時折横目で冬鳥さんを見ると、眉をひそめたり、口をとがらせたり、こうじゃないと消して書き直したりしながら空白を埋めている。
三題噺のお題は、出されたお題に繋がりがなければないほどシュールな作品に出来上がる。白雪姫と電気ケトルなんて、おとぎ話と現代のもの。時代があっていないから、白雪姫か電気ケトルのどちらかに時代を合わせるか、もっと次元のすすんだ話、もしくはもしもの世界の話になるのではないかと予想している。
スマホからピーピッピッピと音がして十五分経ったことを知らせる。
「ストップ。途中でもいいのよ。読ませてちょうだい」
うさぎの絵柄がプリントされたシャーペンを机において、原稿用紙を鏡子に差し出す。鏡子が作品を読んでいる間に冬鳥さんに話しかける。
「今回のお題で書いてみてどうだった?」
冬鳥さんは困ったように眉を下げて小さく笑った。
「思うようにかけなくて……想像はできるんですけど、それにあう言葉が見つからなかったです」
いきなり書かせるのはだめだったかなと反省しかけたその時。冬鳥さんは首を傾けてぱあっと素敵な笑みを咲かせた。
「でも、楽しかったです! 明日もしたいです!」
「そっか、それは良かったよ」
「もうすぐ下校のチャイムが鳴るわ。今日は帰りましょ」
校舎前で冬鳥さんと別れたあと、話題は部活の話になった。たなびく薄紅色の細い雲が空を流れ、穏やかな風を浴びながら坂を下る。まだ部活をしている生徒や帰る準備をしている生徒、私達のように帰っている途中の生徒もいるため、むやみに手は繋げない。つなぎたいという気持ちを押さえ、鏡子側にある手はネクタイにずっと触れていた。
「部員、あと一人集めないと。だれか入ってくれないかな」
「図書室に行って先生に聞いてみたり、りっちゃんや伊知ちゃんにだれか文芸部が気になってる子がいないか聞いたりしてみたんだけど、いなさそうだったわ」
「廃部を覚悟しておこっと……」
「あら、絶対そんなことはさせないわよ。陽菜ちゃんだけだったとしてもなんとしてでも存続させるわ!」
影が薄くなっていく。もうすぐ夜がやってくるを知らせる。空気がひんやりとして、さっきよりも空が暗くなってきた。
ネクタイを触っていた手を体の横に移動させて、どうにか鏡子に手に触れることはできないかと、不自然にならないように指先を伸ばす。
手をつなぎたいからつなぐんじゃない、指先が冷たいから、温めたいから……。
前を見据えたまま、顔に感情が出ないように口元に力を入れる。そんなことをしていると、横で吹き出す音が聞こえた。
「んふっ。詠ちゃん何してるの」
「なにって、べつに?」
鏡子の視線は私の手を刺している。
「手をつなぎたいならそういえばいいのに、詠ちゃんらしいわね」
「手が冷たかったから、寒さのせいにしようとしてただけだし……」
鏡子はクスッと笑って、細い指を私の指に絡めると、体温が手に伝わってくる。心がくすぐったくて、頬も熱を帯びた。




