64話 桜舞う下
桜が満開となったその日、入学式が行われた。体育館で新入生と顔合わせ。シワひとつない真新しい制服に身を包み、緊張に顔をこわばらせたり、キラキラとした目で臨む新入生を私達は過去の自分達と重ねていた。
一年生の時の記憶なんて、入学式と、保健室での出来事しかほとんど覚えてないけど。馴染んでない制服を着て、知らない人たちと列に並び、クラスには知らない人達で溢れ、緊張しまくって、終始胃がムカムカとしていた。春の陽気が眠気を誘い、長ったらしい校長先生の話や入学許可宣言、新入生挨拶を右から左へ聞き流し、パイプ椅子に座ってひたすら過ごす。
入学式が終わってからあらゆる部が勧誘をはじめる。私達も最低二人は集めなければならない。完全幽霊部員となった遠藤さんは、もう今年は退部してしまうだろう。野球部のマネージャーになる的なことを川内くんが口にしていたから。
部員の勧誘のため、チラシを作って配るわけでもなく、校門前で新入生を捕まえて誘うわけでもなく。私達は結局何も変わらない日々を過ごしていた。掲示板のところに一枚だけ貼っているものの、誰かの目に留まるとは思えない。
「ねえ、詠ちゃん」
「なあに、鏡子」
「お花見しにいきましょうよ」
鏡子は窓を開けて、満開の桜をかじりついて見ている。黒猫が尻尾を左右にゆったりとふるように、二本の三つ編みが揺れる。
「お花見はいいけど、部活はどうするの。もしかしたら、誰か来ないと思うけど、でももしかしたら、誰か入部したいとか見学したいって理由で来るかもしれないよ?」
「その時は一緒にお花見すればいいわ。こうやって、書き置きをして……」
鏡子がカバンの中から必要のないプリントと筆箱を取り出した。ボールペンで、何やら字と地図を書いて、自慢げに「できた!」と声を上げる。
「どれ、みせて」
プリントをもらい、内容を確認する。
『入部希望者、見学者へ。私達文芸部は、本日はお花見をしています。御用の方は地図に示した場所まで来てください。一緒にお花見をしましょう』
綺麗に書かれた文字の下にはかなりわかりにくい地図。お世辞にもうまいとは言い難い。この地図を見て、指定されたところに来いと言われても、行けるかどうか定かではない。私でも自信がないのに、新入生がちゃんとこれるかどうか、かなり可能性は低いだろう。
「鏡子、私が地図描いてもいい?」
「え、どうして? もう描いてあるじゃない」
「わかりにくいから」
はっきりとそう言うと、鏡子は唇を尖らせてしゅんとする。直球過ぎたか……?
「じゃあ、二枚地図を置いておきましょう!」
鏡子は基本的に切り替えが早い。
私は鏡子にいらないプリントをもらい、ペンを走らせる。絵を描くのがうまいってわけじゃないけど、鏡子よりはましだ。
書き置きを残して、部室を出ようとすると、背中に重みがかかり、桜の匂いがふわりと香った。胸がときめきに締め付けられる。
「詠ちゃん不足だから、充電」
語尾にハートでも付きそうな甘えた声で、私を抱きしめる。
「学校始まってからずっと一緒でしょ。クラスも同じだったし。部活も一緒だし、登下校も一緒じゃん」
「でも、いっぱいぎゅーってしたり手つなげてないもん」
実際そのとおりだった。登校時も私達は周りを気にして基本的には手を繋がない。繋いでいても、同じ学校の制服の子が見えれば手を離す。クラスも同じになったとはいえ、席は一番うしろと一番前。話す機会も休み時間ぐらいしかない。でも、一日のほとんどを同じ空間で過ごしている。クラスでの志賀鏡子は、落ち着きがあって、女子特有のスキンシップもしない、優等生という立ち位置。だから、私に触れにくいというのもあるのだろう。
「今人が来たらどうするの」
「来たら足音でわかるわ。だから大丈夫」
しばらくじっとしていると、鏡子の腕が離れた。すっきりとした爽快な顔つきで、お菓子が入ったトートバッグを持って、私の手を引っ張り、校舎の外へ連れ出す。
中庭まで行くと、桜の木々が花びらを地面に敷いて、ピンクの絨毯を作っていた。
あたたかな風がスカートを揺らす。
「あの桜の木の下はどう? 去年、お昼に雨宮さんとご飯食べたあの木」
ひときわ大きな桜の木を指さして、鏡子に問いかける。枝を空に伸ばして、伸びた小枝咲く桜が幻想的だ。ベンチのところに生徒が談笑していたり、他の桜の木の下で座って話している人もいるけど、そこまで気にならない。そして、私達が選んだ桜の木の下には誰もいない。
「詠ちゃんはやくー!」
遠くで声が聞こえ、そっちを見るとレジャーシートを敷いて、その上に佇む鏡子がいた。大きく手を振り、「こっちよー」と手招く。一体、いつの間に……。
私がシートに座ると、鏡子は早速と言わんばかりにトートバッグからお菓子を取り出した。購買部以外で購入したお菓子を食べることは禁止されている。見つかったら、取り上げになるだろうなぁ。
今日のお菓子は、ポテチやチョコとは違い、和菓子ばかりだった。地面に落ちないように、粉がついたようなものはない。羊羹やお饅頭、だんご、ういろうがでてきた。
「よ、用意周到だね……」
「ええもちろん! せっかくのお花見なんだもの。さあ、たべてたべて」
さすがに、用意し過ぎなのではないだろうか。今の鏡子の気持ちを私はあまり理解することができなかった。お花見をすること自体は賛成といえば賛成だけど。さすがに、和菓子まで用意してるなんて思わなかった。そんなことを思いながらも、やっぱり和菓子には負けてしまう。一口サイズのお饅頭に手を伸ばして、指で掴んで、そのまま口に運んだ。
部活とは名ばかりのことをしている今、文芸部とはなんなのか考えさせられる。優雅に舞う桜の花びらを見ながら、考えることではないのかもしれないけど。
「あ、あああ、あのっ……!」
声が聞こえ、顔をあげると、女子生徒が立っていた。
「なんでしょう?」
手をお手拭きでちゃちゃっと拭いて、スカートが風で捲れてしまわないように軽く押さえながら立ち上がる。女子生徒は不安げな表情で私を見つめる。耳にかけた髪を橙色のヘアピンで止めていて、真新しい制服を着ているように見える。
「ぶ、文芸部ってここですかっ……」
その言葉に私は鏡子と目を合わせる。きょとんとしていた鏡子の顔に花が咲いて明るくなり、口の中に入っていた和菓子を食べ終わると、勢いよく立ちがった。一歩二歩前に出ると、女性生徒の手を取った。女子生徒は突然のことに肩が跳ね、黒い瞳が潤んだ。
「うぁ……あ、あ……」
「ああ、ごめんなさい。……こほん、文芸部に入部希望かしら?」
凛と背筋を伸ばして、優しく微笑みかける。
女子生徒は涙目で「はいっ!」と返事をすると、スカートに手を突っ込み、折り畳まれた入部届けを鏡子に差し出した。鏡子は丁寧に受け取ると、トートバックの中にしまった。
「さあいらっしゃい。わざわざきてくれてありがとう。今日はお花見なの!」
「はい、置き手紙を見たので知ってます」
女子生徒は靴を脱いで、緊張感を漂わせながらレジャーシートの上に正座した。私達もつられて、もとにいた場所に座る。鏡子は小さく咳払いをすると自己紹介を始めた。
「わたしは、文芸部の部長、志賀鏡子。こっちの子はた――」
「鏡子、私は自分の名前ぐらい言えるよ。えっと、私は、橘詠。副部長……になるのかな、一応」
鏡子の言葉を遮り、セリフを奪う。女子生徒は、可愛らしい笑みを小さく浮かべて耳を傾けていた。
「あなた、名前は?」
女子生徒はとたんに顔をこわばらせ、背筋を伸ばす。膝の上で握られた拳がかすかに震えているようだった。私以上に人見知りなのかな、この子。頬を指先で摘んだらそのままバフッと音を立てて消えてしまいそう。そのくらいの可愛さのような、儚さがある。
女子生徒は口をわなわなさせながら一生懸命言葉を紡ぐ。
「わた、私、一年……何組だっけ。あ、えっと一年一組、冬鳥陽菜です! よ、よろしくおねがいします!」
頭をペコリと下げると、緊張は解けたようで、朗らかに笑った。鏡子は和菓子の入った箱を差し出して、冬鳥さんと目を合わせて微笑むと、
「陽菜ちゃんね。はい、どうぞ」
「ありがとうございます。私まだ緊張してるみたいで……」
小さな手が伸びて、三色団子を手にとった。
冬鳥さんは可愛らしい印象で、私とほぼ背丈は変わらないのに、より小さく見えた。ハムスター……という言葉が似合うそんな子。
あと一人、文芸部に入ってくれれば、文芸部は廃部にならずにすむ……。




