62話 少女たちの戯れ
晴天の中、バーベキューを楽しみ、そのあとはコテージでゆっくりとした時間を過ごした。夕食はみんなで手分けしてシチューやハンバーグを作った。
「二人は先にお風呂はいっちゃいなさい」
お母さんがソファに座ってテレビを見ながら、私たちに声をかける。食器を洗い終わった鏡子は私の元に駆け寄り、
「どっちが先に入る?」
「二人で入ろうよ、せっかくだし」
考えるより先に出た言葉。自分が何を言ったか自覚した時には、鏡子は顔を赤くして、俯いたまま小さく頷いた。必要なものを入れた洗面器と部屋着を抱いて脱衣所に入る。
沈黙。
お互いに背を向け、微動だにしない。修学旅行や温泉は人が大勢いて、みんな別々の行動をしているが、今は違う。鏡子と二人きりなのだから。鏡子の裸をみることに……。
タオルで前は隠すと思うけど……でも、タオルを外せばもう裸。
鏡子の裸。
胸がたいして大きくもないことはわかっている。わかっているけれど……。頭がパンクしそうになって、壁に頭を打ち付けたくなった。
ドアの向こうではテレビを見て笑うお母さん達の声がする。
しかし脱がなければ。
ぎこちなくジーンズのホックに手をかける。
後ろで、布が擦れる音が聞こえ、パサリと何かが落ちる音がした。
「よ、詠ちゃん?」
「どうしたの鏡子」
声は震えていないだろうかと不安になる。
「わたし先に入ってるわね」
「わかった」
鏡子も緊張しているのか、声が少しかたい。
黒く長い髪を穏やかな波のように揺らして、私の横をとおりすぎ、浴室に入っていった。一人になったことで緊張がほぐれ、順番に服を脱いでいく。パンツを脱ぎ終わり、タオルで前を隠して、準備完了。あとは入るだけだ。
扉に手をかけ、スライドさせるだけ。
女の子同士の裸じゃないか、何をそんなにドキドキする必要がある。それにタオルで隠しているのだから。そう、大丈夫。ゆっくりと深呼吸して、扉を開けた。白い湯気が体を包んで、足元は流れてきたお湯であたたかい。木のぬくもりを感じる浴室で、鏡子は浴槽のふちに顎を置いてじっと私を見ていた。視線が絡んでも、鏡子は微笑みもせず、かと言って口も開かない。
「なに、そんなじろじろみて」
私の問いかけにも反応しない。のぼせているのかと一瞬疑ったが、それはなさそうだった。目もしっかりと開いているから。鏡子の視線を感じつつ、床に膝をついて、レバーハンドルを回した。シャワーから出たお湯が太ももに当たる。鏡子は口を開かずずっと私を見ているだけ。刺さるような視線。そんな視線を浴びながら、頭や体を洗い終えた。
つま先を浴槽の中につけて温度を確認する。大丈夫、熱くない、ちょうどいいぐらいだ。鏡子はのぼせてきているのか頬が赤くなってきている。
「鏡子、のぼせたなら先上がってていいよ」
「大丈夫よ」
そう言うと鏡子は、浴槽の端に移動し、身を乗り出して、シャワーの方のレバーをひねった。冷水が床に当たり飛び散る。両手で冷水を掬うとそれを顔にバシャッとかけ、何度か繰り返した。そして、私の方を見て「ほら、もう平気!」と自信満々に言ってみせた。
「さあ、詠ちゃん、おいでー」
恥ずかしさをぐっと堪え、タオルを折りたたんで、浴槽の縁に置いた。つま先から湯に浸かっていき、鏡子と向かい合う形で湯船に浸かった。鏡子の長い髪は頭の上でひとつにまとめられ、細い首が顕になっている。お互いの爪先が擦れ合う。鏡子の体を直視することが出来ず、私はずっと、自分の膝を抱えた腕を見ていた。
「詠ちゃん、もっと近くにいらっしゃい。うしろからぎゅーってしてあげるわよー」
やさしく甘い声が浴室内に響く。
「いや……大丈夫」
もごもごと何言ってるかはっきりと聞き取れないぐらいの声で返事をした。湯船に浸かってから数分なのに、もう身体中が熱い。お湯の温度は丁度いいのに、普段はこんな早くのぼせそうになることないのに。
ちらっと鏡子を一瞥すると、頬をフグのようにぷくっとふくらませて、一つ提案をしてきた。
「じゃあ、横に並んで座らない?」
「横に並ぶぐらいなら……」
鏡子の頬から空気が抜けて、にへらと笑う。同じ方向を向いて、体を寄せる。あたたかい肌が触れ合う。お湯の静かな波が体の線ををぼかす。鏡子の手が伸びてきて、私の手を掴んだ。
ああ、このままお湯に溶けてしまいたい。
無言が続いて、鏡子は思い出したように声を漏らした。
「そういえば、花咲さんから詠ちゃんの分も卒業式のときの写真をもらったから、帰りにまたわたしの家によってくれると助かるわ」
「ん、わかった。覚えておくよ」
鏡子の指先が手の甲に触れる。鏡子の白くやわらかそうな太ももが視界の端に映る。鏡子を感じる。いつもと変わらぬ声色で答えたが、心の中はずっと軽いパニックを起こしていた。まだ、鏡子の裸になれない。直視ができない。
頭がボーッとしてきた。のぼせてきているのかもしれない。空いている手をお湯から出して色を確かめると、指先から肘辺りまでがゆでダコ状態だった。
「のぼせてきた、そろそろあがろう」
「ええ、そうね。わたしも。少し指がふやけちゃったわ」
ドライヤーを終えてリビングに戻ると、お母さんと紫さんは缶チューハイを片手にテレビを見ていた。
「お風呂あがったよ」
「はーい、お母さんたちはもう少しあとではいるよ」
お母さんたちにひと声かけてから、階段を登ろうとすると鏡子が私の肩を掴んだ。後ろを向くと、鏡子が体を私の方へ近づけて、小さくささやく。
「ねえねえ詠ちゃん、ちょっと外へお散歩に行かない?」
「うん、いいよ」
二缶目を開けていたお母さんに散歩に行くと告げ、厚手のカーディガンを羽織って外に出た。まだどこか冬を感じさせるひんやりとした空気がここにはあるようだった。ハーッと息を吐き出すと、白く濁ってそのまま空気に溶けた。
「こっちに行くと川があるみたいよ、行ってみましょうよ」
鏡子に言われるがまま、川の方を向いてあるき始めた、足の裏に小石のデコボコを感じる。左手は鏡子の手のぬくもり。他のコテージから明かりは漏れているが、外灯はないため、スマホのライトをつけて夜道を照らした。
コテージの前を過ぎて、森の小道のような道を進む。あたりは静かで、しばらくあるくと、川のせせらぎが聞こえてきた。視界が開け、目の前には夜空を映す川があった。
「見てー、詠ちゃん」
感嘆する鏡子の顔は上を向き、笑みがこぼれ、目をキラキラと輝かせていた。私も釣られて上をむく。空いっぱいに塗り広げられた濃紺。その上に無数の小さな星々。淡い色の星雲が滲む。三日月が空にぶらさがって、星々よりも明るく光っていた。
周りにはあかりもないから、何者にも邪魔をされない裸の夜空。街灯によって霞むことも無い夜空。こんなにもたくさんの星が空には詰まっているのか。自然の前で、私たち人間の存在はとてもちっぽけなものだと思えた。
声を出すのも忘れて、ただ夜空を見上げる。冷たい風が指先を冷やしても気にしなかった。
どのくらいの時間、星空に魅了されていたのだろうか。スマホで時間を確認すると、二十三時半を過ぎたところだった。
「あと三十分ぐらいしたら帰ろうか」
「まだあと一時間ぐらいいたいけど……わかったわ」
小石が敷き詰められた上に腰を下ろして、体を寄せ合い、手を繋いだままじっと前を見つめる。おしりに感じる凹凸も、少し経てばもう慣れてしまった。
私の肩に鏡子は頭を預けて、もう片方の腕を私の腕と絡める。頭を撫でてあげたい気持ちもあるが、鏡子と反対側の手ではかなり撫でにくい。
「今日、来れてよかったわね」
「そうだね、私こういうの初めてだし」
「アリスと何度かどこか遠くに出かけたりってのはあるけど、わたしは今回のが一番嬉しいわ」
「ん? なんで?」
鏡子が黒く澄んだ瞳でちらりと私を見て、嬉しそうに目を細めた。
「だって、詠ちゃんと来れたんだもの」
予想外の答えに、心臓が握りしめられる。月明かりに照らされた鏡子の頬が赤く染まった。
ああ、なんて、なんて可愛いんだ。
「鏡子……」
「どうしたの?」
可愛い天使がこちらを向く。私は、鏡子の手を強く握り、反対の手で鏡子の頬に優しく触れた。心臓がうるさい。鏡子の頬がみるみるうちに赤らんでゆく。甘い視線が絡み合う。
潤む瞳で私を見つめながらも、長いまつ毛とまぶたが視線を遮っていく。いつも花のような笑みを浮かべていた鏡子が、私にこんな表情を見せてくれている。鏡子は聖母マリアのような人ではなく一人の女性であり、人間なのだと感じた。
私たちのぼやけた影が先に重なり合う。あと数センチ顔を近づければ、唇に触れる。鼻先が触れ合い、あともう少し。
そんな時、近くで甲高い女性の笑い声と男性の話し声が聞こえた。私は咄嗟に顔を離してしまい、気まずさからそっぽを向く。
「そ、そろそろ帰ろ」
ぶっきらぼうに言って、鏡子の返事も聞かず、半ば強引に手を引いてその場をあとにした。コテージに帰るまで一言も交わさず、しかし手は繋いだままだった。
ドアを開ける直前、私は鏡子の手を離して、ぎゅっと抱きしめた。私の背中に回された手は、肩、首を通り過ぎ頭を撫で始める。鏡子の耳元で恥ずかしさを堪えて、小さく声を絞り出した。
「鏡子、大好き」
鏡子は、フッと息を漏らすように笑って、頭を撫でながら、
「わたしも大好きよ、詠ちゃん」
体を離すときは少し名残惜しく、まだしていたい気持ちはあったけど、それも堪えて、ドアを開けた。




