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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
3章 文学少女のしおり
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60話 鏡写しの君と桜の下

 卒業式を終え、数日が経った。賑やかだった校舎もどこか寂しく、三年生のロッカーは空だ。

 三年生の教室に生徒はもういない。机を引きずったあとやホコリが隅に転がっている床と、卒業式の日付の黒板。

 次は私たちが三年生となるのに、やっぱり実感がわかなかった。

 三年生になれば、部活の勧誘、それからすぐ、修学旅行、そのあとはテストがあって、進路のことも決めなければならない。比較的ゆっくりしているのは修学旅行か、夏休みが終わるまでだろう。


「三年が卒業して、次は君たち二年生が、高校の顔となる。進路のことで悩むこともあるだろう」


 この時期から私達は、先生たちに徐々にプレッシャーを掛けてくる。


「そして、今の時期は三年生ゼロ学期だからな」


 学年集会が開かれ、退屈な時間を過ごしていた。ゼロ学期という訳の分からない先生の話も右から左へ通り抜ける。進路のことを考えないといけないのはわかっているが、今はそんなことを考えたくはなかった。

 受験は団体戦だ、なんていうけれど、私はそうは思わない。個人戦だと思う。中学生の時も同じようなことを言われた。

 鏡子は大学とか行くのかな。アリス先輩はイギリスの大学に行っちゃったし。

 

 学年集会後、教室に戻ってから鏡子に今後のことについて聞いてみた。


「鏡子、進路って就職か進学かとか決めてたりする?」


 鏡子は三つ編みの先を触りながら、うーんと唸る。しばらくして、ようやく口を開いた。


「迷うけど、たぶん進学すると思うわ。詠ちゃんは?」

「私は……まだわからないや」


 進学するにしても、どこに進みたいとかも決めてないし、就職もできるかどうかわからないし。作家を続けるかやめるかも決めてないし。

 霧のかかった道を進んでいるような気分だった。

 まあ、まだ時間はある、ゆっくり考えよう。 


「鏡子、今日は部活あるよね?」

「ええ、そのつもりよ」


 放課後、部活に向かっているとき、廊下やグラウンド、中庭から聞こえてる声は小さかった。三年生の声が消えるだけで、活気は無くなったように思える。また、新入生が入ってきたらしばらくはかなり賑わうのだろうけど。

 部室から見える木々も衣を着始める。

 場所によっては満開といっても過言ではない。

 鏡子はソファ、私は椅子に座り、私は今後のことについて話し合おうと思っていた。


「鏡子、春から部活の活動どうするの? 新入生入れないと、存続が危ういよ。遠藤さんもほとんど来なくなってるし。せっかく作ったのに、二年も持たず廃部なんて、ねぇ……」


 私の話を聞いているのか聞いていないのか、鏡子は花咲さんからもらった和菓子を美味しそうに食べている。頬を両手で支えるように押さえて、美味しさに足をジタバタさせる。


「鏡子、きいてるの?」

「聞いてるわよ~、んふふ、おいしい。控えめな甘みって大好きなの」


 本当に部長なんだよね? 文芸部を作った時のあの気合は一体何だったのかしら。

 三つ編みを揺らしながら、和菓子をパクパク。美味しさに慣れることもなく、毎回同じリアクションをする。鏡子はとても幸せそうに見えた。

 頬を膨らませて子どもみたいに怒ることもあるけど、朗らかな笑みを浮かべて、本の話をたくさんして、お菓子もいっぱい食べて。

 そんな鏡子の隣で過ごしてきて、私は幸せだと思った。

 今日ぐらいは、ただお菓子を食べるだけも良いかもしれない。


「鏡子、私――」

「どうしたの?」


 出会えてよかったよと言おうとしたが、恥ずかしくて口ごもった。鏡子は不思議そうに首を傾げる。きょとんとした顔をしたあと、太ももの上を軽く叩いた。膝枕してあげるという意味だろう。

 頬の熱を感じながら、鏡子の膝の上に頭を乗せる。太もものやわらかさをスカート越しに感じた。目を閉じて、頬の熱が引くのを待つ。

 鏡子が私の髪をそっと撫でながら、心地の良い落ち着いた声で思い出話を始めた。


「私が転校してきた日、まず何を思ったか知ってる?」

「緊張するなー、とか?」

「緊張なんてしてないわ。今日、遠野夏夜と会えるんだって思ったわ。すごく、わくわくしたの。もちろん、この地域の環境も好きよ、空気が綺麗だし。

 それでね、私が外を見てたら、ドアが開いて……そっちを向いたら、小柄な女の子がいたの。それが詠ちゃんよね」


 そうか、鏡子は遠野夏夜――私がこの学校にいることは既に知っていたんだっけ。当時の私は、約一年後にこんなことになるだろうなんて思っていなかっただろう。想定できるはずもない。


「あの時はまだ名前は知らなかったから、名前を知った時は驚いたわ。転校して、初めて出会った子が、私の好きな遠野夏夜、詠ちゃんだったんだもの。

 最初、詠ちゃんは前髪も長くて、せっかくの可愛い顔が隠れちゃうのになーって思ってた。周りとの世界を遮るように長かった前髪は短くなって、わたしを視界にうつしてくれてるものね」


 清らかな水が流れているような澄んだ声に、心があたたかくなる。心がくすぐったくなる。


「それから、最初は人と話す時ぎこちなかったわよね。今はどうかしら? 人と話すのに慣れたんじゃなくって?」

「どうだろう、自覚はないかな」

「ふふふ、でも、以前より詠ちゃんの周りに人が増えたんじゃないかしら? アリスやりっちゃん、川内くんや、伊知ちゃんとか」

「鏡子がいるからだよ」


 あんまり褒められると恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。


「学校だけじゃなくて、休みの日で遊ぶようになって、もっと仲良くなったのねって嬉しかった」


 鏡子は、自分の嬉しかったこと、楽しかったこと、覚えている会話を話していく。私の抜け落ちていた記憶が鏡子の言葉によって補われる。

 私は鏡子の言葉を聞きながら、その思い出に浸っていた。


「私は詠ちゃんの成長を日々感じながら、隣で過ごせることが幸せだったわ。過去形はおかしいわね、これからも傍で話してたいわ」

「……そっか」


 言葉になおせない思い。言葉にできない感情。胸がくすぐったくて、あたたかくて。心臓の鼓動が指の先まで届く。鏡子の声に強く反応する。

 瞼の裏に焼き付いた鏡子の笑顔、私を呼ぶ声、ふくれっ面……鏡子との思い出。

 ずっと大事にしていたい思い出。

 いや、違う。思い出だけじゃない。


 もしかして、私は……。


 ああそうか。


 そっか。


 これが私の気持ちなんだ。


「詠ちゃん、そろそろ帰りましょう」


 ゆっくりと目を開けて、体を起こす。窓から西日の光が注がれて、部室をはちみつ色に満たしていた。宙を舞うホコリがキラキラと輝いて春はもう窓を叩いているような気がいた。


「そうだね、帰ろうか」


 部室に鍵をかけて、ポケットにしまう。


 校舎を出ると、山肌に夕日が触れて、茜色と藍色が空で混じり合う。ほんの少しだけ肌寒い風が首を撫でた。


「最近、寒さもやわらいできたわね。桜も咲いてきて」

「そうだね、春が近いもんね」


 次に言葉をつなげようと思っても、上手くつながらない。言葉が出てこなかった。鏡子のことを今までより強く意識してしまい、手も繋げない。指の先まで熱くてたまらない。

 そうしている間に家までの距離が近づく。

 鏡子をちらりと見ると、視線が絡み、朗らかな笑顔で「どうしたの?」と声をかけてきた。急いで視線をそらして、平然を装い「なんでもない」と返す。

 足幅も合わず、呼吸も不規則になってしまう。

 鏡子はわたしの気にする様子もなく、部活の時話していたことの続きを話し始めた。名前を呼ばれるたび、心臓がドクンと高鳴る。ズレていた歩幅はいつの間にか揃って、いや、鏡子が合わせてくれた。

 夜が近づく。

 今の時期は部活が休みになっているところもあり、人通りが少ないように思えた。


 分かれ道の桜の木の下までやってきて、鏡子が立ち止まる。桜は満開で、強い風が吹けば、花びらが風と踊った。

 ああ、このまままた明日って別れるんだな。

 少しの安堵と寂しさが湧いた。その感情をこらえ、あるき出そうとしたとき、鏡子が弱々しく「詠ちゃん、待って」と私を呼び止めた。

  

「んー?」


 やわらかな光が二人の影を伸ばす。鏡子の三つ編みが儚く揺れ、白い頬を紅に染める。桜色の唇がかすかに動くが、声は聞こえない。鏡子は一度、目を閉じて深く呼吸をすると、春の太陽のような優しい笑みを浮かべた。


「詠ちゃん、わたしの話を聞いてほしいの。

 わたしね、詠ちゃんが好きよ。作家として、人として、そして、女の子として。最初は詠ちゃんの書く物語に惚れていたの。でも、詠ちゃんと仲良くなって、楽しくて、幸せで。

 気づけば、わたしは詠ちゃんを好きになってた」


 鼓動が、大きく、早くなる。

 

「ねえ、詠ちゃん」


 澄んだ甘い瞳が私を映し、お互の視線が絡み合う。


「わたしの恋人になってほしい」


 頭が真っ白になった。

 え、いまなんて? 聞き返したくなるような言葉の羅列。

 私の好きな人が、私を好きだと言ってくれて、恋人になってほしい、って。鏡子の唇の動きが、頭の中で何度も再生される。体が沸騰したように熱くなって、手が震えた。

 鏡子に一歩近寄り、声を絞り出す。


「はい……。私も、鏡子のこと、好きだから……」


 恥ずかしさで死んでしまいそう。たまらず視線をそらして、スカートをきゅっと掴んだ。薄暗い空が頬の赤みを隠してくれる。


「詠ちゃんっ……」


 風に消えてしまいそうなほど掠れた声で鏡子が私の名前を呼ぶ。その瞬間、体当たりするように鏡子が抱きついてきた。背中に回した腕に力が入り、強く抱きしめる。スカートを掴んでいた手を離し、恐る恐る鏡子の背中に回した。細い肩が震え、耳元で息遣いが聞こえる。


「詠ちゃん、詠ちゃんっ、詠……ちゃん」


 何度も何度も私の名前を呼ぶ。思いを込めて、涙を含んだ声で。そんな鏡子が愛しい。鏡子の背中を優しく何度も撫でて、落ち着くまで待った。

 桜の木の影が私達を抱きしめ、藍色の空には無数の星が瞬いていた。



私が最初に想定していた最終回です。

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