54話 見つけた三つ編み
電車を乗り換え、バスに揺られ、また電車に乗り、ついたのは夕方だった。
駅名が書かれた標識はところどころ錆びている。海から吹く風は冬の空気と混ざり、貫くような冷たさの風に変わる。穏やかなオレンジ色の波が押し寄せる。海の向こうの空は薄い雲が漂い、反対側の空は夜と混じる。
視線を前に向けると、線路とは反対の方向に砂浜が伸びてその先には墓地と灯台が見えた。
「出るかな……」
スマホを取り出して、鏡子に電話をかけた。シンプルな呼び出し音を片耳で聞きながら、足を踏み出す。何コールか過ぎて、留守電に切り替わった時、電話を切った。
「もう……」
どうでもいいときはすぐに出るくせに、なんでこんなときは出ないの。
寒さは増して、体がカタカタと震えだす。
周りに人はいない、店もない。手袋とかカイロを持ってくるんだったと後悔した。足を早め、鏡子に会えることを信じて前に進む。
寒さに震える体を落ち着けるように両手で腕を撫でながら、あるき続けるとお寺の前に来た。かなり古いお寺なのだろう。今にも海風で崩れてしまいそうだ。恐る恐るなかに入ると、年老いた住職さんがちょうど通りかかった。
「おや、どうされました」
「あ、あのっ! 今日、私と同じぐらいの女の子が来ませんでしたか」
「長い三つ編みの……」
「きっとその子です! ありがとうございます」
住職さんの声を遮り、私はその場から立ち去った。お寺の傍にあった通路を通り、墓地まで走る。冷たい風が顔をひっかく。
鏡子、どうかそこにいて。
やっと鏡子に会えるかもしれない。
黒や灰色の墓石が立ち並ぶ墓地が視界に入る。誰かいないか、目を凝らして探す。激しく海風が吹く。ギュッと目をつぶり、風が止むのを待った。
風が落ち着き、目を開けようとした時、声が聞こえてきた。
「『私は、自分が何者なのか全くわからなかった。ずっと一人でいて、未来を見ても真っ暗だった。そんなときに出会ったのが、ハルだった。
私がハルに出会ったことで、私の見ていた世界は大きく変わった。
「ねえ、ハル」
私の呼びかけにハルは、太陽のように朗らかな笑みを浮かべる』」
澄んだ声が、聞こえる。いつも隣で聞いた声が静かな墓地に響いている。
鏡子の声だ!
声をたどっていくと、長く揺れる三つ編みが目に入った。あたたかそうな白いコートを着て、本を片手に墓石に話しかけていた。
いつも見ていた横顔、
何度も私の手を握った細い指、
黒い艶のある髪、
思いが溢れ、胸が締め付けられて、喉が震える。
私は、思いを乗せて、思いっきり叫んだ。
「鏡子!」
三つ編みを軽やかに揺らして、鏡子がこちらを見る。穏やかだった瞳は衝撃を浮かべ、信じられないというように目を大きくひらいた。
鏡子はちゃんと生きていた。
たった少ししか離れていなかったのに、何十年も会っていなかったような気がする。
鏡子、鏡子……心の中で何度も名前を読呼ぶ。
絡み合う視線はぎこちなく、視線を外せば、鏡子がいなくなるようで怖い。だから、私はずっと鏡子の瞳を見続けた。
鏡子に一歩また一歩と足を引きずるように近づくと、鏡子はゆっくりと手を伸ばし、私の頬に触れた。指先は私よりも冷たかった。
鏡子の顔は、衝撃から驚きに変わり、瞳が優しく、切なく潤み、口の端が微かに上がる。
「詠ちゃん。よかった、お化けじゃなくて」
それはこっちのセリフだと言いたい。
小さくため息を付き、視線を下にずらすと、本のタイトルが目に入った。
「鏡子、この本……」
「ええ、そうよ。詠ちゃんの小説ね。お母さんたちに読んでたの。こんな素敵な小説があるのよ、って」
はっきりと私の小説だと言った。
私は深呼吸をして、落ち着いた声で鏡子に訊く。
「ねえ、鏡子。『夕暮れの校舎』に挟まってた鏡子の手紙読んだよ。私が怒っていたのはそれが理由なんだよ。どうしてこんなことをしたのか、鏡子の気持ちがわからなくて、もやもやして、裏切られたと思った。
鏡子は、いつから私だと知っていたの?」
私の頬から手を離して、私の指先に触れるとそのまま握る。それから一瞬視線を泳がせて、小さく頷くと、ぽつぽつと話し始めた。
「詠ちゃんを知ったのはきっと、詠ちゃんが想像しているよりもはるか前よ。わたしが中学生の時よ。わたしの両親の職業柄、出版社の方に出入りすることがあって、いとこの和都さんも知っての通り編集者。詠ちゃん、大賞に応募したでしょ。落選しているものはずっと預かっておくんだけど、その、とてもいいづらいのだけど……」
「いいよ、大丈夫」
「最初は落選の方に入っていたの。それで、たまたま手にとったのが詠ちゃんの作品だったの。これを落とすなんて勿体無いなーっておもって、こっそりと落選の方から外したのよ。大賞受賞して、担当がたまたま和都さんになって、和都さんに色々話聞いたの。そしたら、たまたまアリスと同じ学校で、急いで転校したのよ」
いくらなんでも、たまたまが重なり過ぎなような気がする。鏡子は、幼い時私達が会っていたことを覚えてないんだ。私自身覚えていたわけじゃないけど……。知らないんだ……。
「詠ちゃん、最近機嫌悪そうだったのは、わたしのせいよね。ごめんなさい。いつかちゃんと話そうと思ってたんだけど、なかなか言い出せなかったの。本当にごめんなさい」
「いいよ、私もずっと黙ってたんだし……。ところで、今日、命日だったんだね」
名前の彫られた墓石に視線を向ける。鏡子は体の向きを墓石の方に変えて、切なく優しい声で一言、
「ええ」
私はそのしゃがみ、墓石に静かに手を合わせた。私が目を開けると、鏡子は優しく微笑み、
「きっとお母さんたちも喜んでいるわ。さあ、詠ちゃん、そろそろ帰りましょう。電車がなくなっちゃうもの」
最寄り駅についたのは、終電ギリギリだった。途中、鏡子の頭の重さを肩に感じながら、私もうつらうつらとして、手を重ねるようにして繋ぎ、電車に揺られていた。
電車のあたたかさに頬を赤くし、体がぬくぬくとしていたが、電車から降りてすぐに寒さに熱を奪われた。
「詠ちゃん、送っていくわ」
「ありがとう」
自然に、暖を求めて手を繋ぎ、車もめったに通らない道を進む。
家が見えて来た頃、家の前に車が止まっていることがわかった。テールライトを光らせた車だ。車の奥に二つの人影が揺れる。
私たちの話し声が聞こえたのか、その二つの影がさっきよりも近づき、街灯に照らされた時その正体がハッキリとした。
「お母さん!」
「和都さん!」
鏡子と私は手をバッと離し、半歩距離をとった。私たちは小さく叫び、駆け寄る。
スーツ姿の和都さんが私たちを見て、眉をつり上げる。それから困ったように頬を緩ませた。
「もう、心配したのよ。おかえりなさい、詠さん、鏡子」
「ごめんなさい、和都さん」
「すみません、鏡子を見つけた時に連絡を入れればよかったですね」
「帰ってきたんだからもう大丈夫よ」
お母さんはその光景をどんな気持ちで見ていたのかは分からない。けれど、たぶん、紫さんと同じ気持ちだっただろう。
しばらくそこで話してから紫さんは鏡子を連れて帰って行った。
また日常がやってくる。




