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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
3章 文学少女のしおり
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53話 踏み出した一歩

 家に帰ると、リビングでお母さんがうなだれていた。部屋の明かりもついておらず、部屋にこぼれ落ちる日差しがお母さんにもかかり、影を落とした部分がより一層暗く見えた。

 ひんやりとした廊下が、足の裏に伝わる冷たさが体を凍らせて、その場から動けずにいた。


「……お母さん?」


 廊下からリビングを覗き、私は恐る恐る声を掛ける。お母さんは頭を抱えていた手を離し、ゆっくりとこちらを見た。光のなかった瞳が大きく見開かれ、唇がひらいた。


「詠」


 かすれた声が耳に届く。

 お母さんの表情は一気に崩れ、大きくひらいて目は細くなり、目尻から大粒の雫がこぼれ落ちる。椅子から立ち上がり、私に体当りするように抱きついた。お母さんの体重と勢いに体が耐えられず、床に尻餅をつく。鈍い痛みがお尻に響く。

 嗚咽を漏らし、強く私を抱きしめる。


「どこいってたのよ、帰ってきたら……っ、ドアに鍵がかかってなくて、詠の部屋にいったらもぬけの殻だったし、近所を探してもいなかったし。心配したんだから」


 お母さん、ごめん。

 私は何も言えず、お母さんの背中に手を伸ばした。震える体を抱き返す。お母さんを抱きしめるのは幼い頃以来だろうか。幼い頃、お母さんに抱きついて目一杯腕を伸ばしても触れ合わなかった指先は、今じゃ簡単に触れ合ってしまう。

 お母さんは私の背中を弱々しく叩き、肩にいくつもの涙を落とした。


「詠までどこかに行ってしまったら、お母さん、お父さんに胸張って、『あなたの娘を立派に育て上げたわよ』って言えないじゃないの。詠は、お母さんとお父さんの宝物なのよ。なんども連絡入れてたのに返事もよこさず、本当に心配したのよ」

「……ごめん」

「お願いだから、お父さんのようなことはしないでね」

「うん」


 お母さんの体が離れる。涙で顔を濡らしたお母さんの顔は、私の心にトゲを刺した。


「お母さん、仕事で疲れてるからちょっと寝てくるね」


 お母さんはそのまま寝室に向かう。


「あ、お母さん、あのね――」


 お父さんの友達の司さんとその妻である沙夜子さんのこと何か知らない?

 声がでない。続きを言いたいのに声が出ない。

 鏡子は、凹んでいるところを人に見せていても、たとえアリス先輩に何があったのか聞かれても答えなかった。

 お母さんは疲れ切った顔で私を見ている。

 声を出そうにも、体が固まって、声帯が震えない。声が少しも出ないのだ。


「どうしたの」


 そしてやっと出た言葉は、


「ごめん、なんでもない」


 私のことで疲れさせているのに、更に疲れさせるわけにもいかない。

 遠ざかっていくお母さんの背中を、ただ見つめていた。

 ドアが静かに閉まり、静寂が流れる。

 こうしている場合じゃない。スマホを取り出して、返事がないか確かめるが何もきていない。早くしないと。

 お父さんの部屋になにかヒントはないのだろうか。手紙を見つけたことからすべてが始まったんだから。

 司さんたちのことがなにか一つでもわかれば、なにか、手がかりになるものを見つけることができれば。

 

 デスク周辺や引き出しの中を漁ってみたけれどなにもなかった。あるのは、家族の写真や資料として使っていた本、集めた本ばかり。

 パソコン……。パソコンになにか無いのだろうか。

 ぜんぶ当時のままといっていたから、きっとパソコンだってなにも触っていないだろう。

 リクライニングチェアに座り、パソコンを起動させる。すると、ロック画面が現れた。


「ロック?」


 キーボードの端に付箋がはられている。付箋には数字とアルファベットが混じった文字の羅列が書かれていた。

 これがパスワードなのだろうか。確かではないが、間違えないように慎重に、出来るだけ早く入力しエンターキーを押した。

 成功。

 デスクトップ画面には、いくつものフォルダやソフトが並んでいる。


「diary……。この中になにかありそう」


 ソフトをクリックすると、「パスワード入力」とでた。またパスワード……。

 さっきと同じパスワードを入力してみるが違っていた。ヒントも何も出ない。こんなの解けるのだろうか。

 時刻は午前九時過ぎ。あれから三時間ほど経っている。

 お父さんの生年月日や、両親の結婚記念日、私の誕生日、お母さんの誕生日、思いつく限りの数字やアルファベットを並べていくがどれも当てはまらない。

 他のフォルダも閲覧したり、隠しフォルダがないか確認するがそれもないようだ。

 

「どうしよ……」


 埃がキラキラと舞い、資料の上に落ちる。パソコン周りの資料本やプリントされた用紙も全部見た。壁いっぱいにある本棚に詰め込まれた本も届く範囲内で用紙が挟まってないかとか全部確かめた。もう一度引き出しを開けて、写真を取り出した。家族三人、家の前で撮った写真、お父さんとお母さんが結婚する前の写真、生まれてすぐの私の写真……たくさんある。一枚一枚見ていき、キーボードの上に置いた。

 窓の隙間から風が吹いてきて、淀んだ空気を入れ替える。その時、写真が空を舞い床に落ちた。


「ん?」


 一枚の写真の裏に数字四桁が書かれていた。

 写真を拾い上げ、なんとなく、ただなんとなくその数字をパスワードの欄に打ち込む。中指と薬指を揃え、エンターキーにのせた。指に力を入れて、ゆっくりとエンターキーを押す。

 パスワードが違いますという表示もなく、多くの日記が表示された。

 お父さんは一日も欠かさずに書いていたようだ。日付とタイトルがずらりと並んでいる。無駄な装飾もなくシンプルな感じの見た目はいかにもお父さんらしい。

 司さんたちが絡んでいそうな日記を探す。日記のタイトルをいくつも見ているうちにあることに気づいた。


「なに、この星マーク」


 時々星マークのついた日記が現れる。スクロールしていくと、星マークの間隔が空いている。一週間に一度だったものが、二週間に一度、三週間に一度……。

 私は適当に星マークの日記をひらいてみた。

 が、タイトル以外本文のところは真っ白で何も書かれていないように見えた。スクロールバーは小さく、下に動かしていくとそこにはただ白い空間が広がるだけ。

 あ、そういうことか。わかった。

 何も書かれていないんじゃない。

 そんなに読まれたくない無いようなのだろうか。でも、お父さんごめん。

 左クリックしたまま、横にずらす。あぶり出しのように文字が浮かび上がってきた。そこには司さんたちと過ごした日のことが書かれているようだ。


 

 今日は司くんと沙夜子さんに、雪菜を会わせました。

 雪菜は最初緊張していましたが、出会ってすぐ、二人の雰囲気に慣れたようで自然と笑みがこぼれていました。最後の方では、沙夜子さんとはなにやら楽しそうに女性同士話を弾ませていましたね。

 僕はとても安心しました。

 


 この日記じゃない。

 タイトルを見ながら、それっぽい内容を探していく。

 探し始めて三十分ほど経ち、ようやく見つけた。


 

 今日、司くんたちが死んだ。お墓は海がよく見える司くんたちがよく訪れていた海岸近くにあるそうだ。

 ハノネ霊園。君たちが眠っているところ。

 今度は雪菜とともにお墓参りに行くから、待っていてくれ。


 

 ハノネ霊園。

 私は、スマホでハノネ霊園の場所を検索した。最低でも三時間はかかる場所じゃないか! 

 それでも、行こう。鏡子に会うことができるのなら。

 リビングに「ちょっと出かけてくる、絶対帰ってくる」と書き残し、家を出た。

 

 電車に揺られること一時間。ようやく私の気持ちは少し落ち着いた。都会から離れた場所に向かう電車ということもあり、人はまばらで、空席が目立つ。ボックス席が余りに余っている。窓の外は段々と白く染まっていく。私はスマホを取り出して、アリス先輩に連絡を入れる。


「鏡子の場所わかりました。今向かっています」


 アリス先輩は、自由登校の期間に入っている。進路はどうなっているか知らないが、多分決まっているのだろう。だから私からの連絡には、比較的早く対応することができる。

 メッセージを送ってから三駅ほど過ぎた頃。返事が返ってきた。

 

『そう、良かったわね』


 興味がなさそうだが、アリス先輩らしいといえばアリス先輩らしい。

 多く立ち並んでいた建物は次第に減っていき、雪をかぶった山々が目立ち、遠くの方は濃紺の海が姿を見せ始めた。

 

 ――詠ちゃん。


 ――見て、この栞、可愛いでしょう。わたしが作ったのよ。詠ちゃんにもこれあげるわ。


 鏡子と交わした何気ない会話が蘇る。

 可憐な笑みと、優しい声、揺れる長い三つ編みが鮮明に思い出される。


 ――『伊豆の踊子』はね、川端康成が高校二年生のときに伊豆へ一人旅をした時の体験を元に書かれたものなのよ。

 

 ――『よだかの星』ってお話があるのだけど、わたしはとっても好き。悲しい話だから嫌いって人もいるけど、宮沢賢治の生死の考えがあるの。


 鏡子は自分の読んだ作品を、愛しそうに語っていた。本を抱きしめて、目を閉じて、桜色の唇をたくさん動かして話していた。

 


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