52話 足音も立てず消えた背中
――鏡子知らない!? 朝、いつもの時間に鏡子が降りてこなくて、部屋を見に行ったらいなくて。家中探したんだけどいなかったの!
鏡子は紫さんと知り合いだっただけでなく、一緒に住んでいたんだ……。
私の知らなかったことがまた一つ増えた。
紫さんが苦しそうに声を絞り出して、私に問いかけた。
「詠さんと鏡子となにかあったんでしょう? 鏡子凹んでたわよ、三つ編みがきれいに結べなくて私に頼み来るぐらい」
「知りません、何もありません」
「嘘よ、鏡子は詠さんが大好きで、いつもウキウキしてて、それなのにあんな……」
紫さんの声に勢いがなくなる。階段が一段ずつ降りるように一言ずつ話すたび声のトーンが落ちていく。
「ねえ、なにかあったんでしょう……? 喧嘩したなら私も仲直り手伝うわよ……」
しつこいな……。
私は「知りません」とはっきりと返事をした。自分でも驚くぐらい冷たい声だった。
鏡子となにかあったなんて人に言いたくない。
それに、鏡子だってどこか一人ででかけたくなることもあるだろうし、学校に行っているかも知れないじゃないか。
いちいち私に聞かないでくれ。
うんざりして通話を切ろう、そう思い、電源ボタンに指をおいた。
「鏡子の居場所なんて知りませんから、それでは」
「ま――」
紫さんがなにかいいかけていたのを無視して電源ボタンを押して通話を切った。
私は通話を切っても、真っ暗の画面をぼんやりと眺めていた。あんなに焦った紫さん、見たことがなかった。鏡子にもし何かあったら、と考えたらたしかに心配だ。でも、私は鏡子にとってただの友達なのだ。
わざわざ探しに行くまでもない。
しかし、まあ落ち着かない。
鏡子を放っておいてもいいのだろうかという気持ちも無いわけじゃない。ただの友達であっても、私にとって数少ない友達だ。それに私と約一年一緒に過ごしてきた。思い出もたくさんある。
画面に映る私の顔には迷いがくっきりと映っていた。
――早くしないと、失っちゃうわよ。
――詠にとって鏡子ちゃんの存在は自分が思ってるより大きいはずや。だから、失ってほしくない。
アリス先輩と宇佐見先生の声が頭の中で響く。
幾度も。
鏡子に裏切られた。でも、憎みきれない。嫌いになれない。
鏡子も私に隠していたことがあった。しかし、私も鏡子に隠していた。
私が作家であるということ。私が作家であるということを知っていたこと。
共通の秘密を抱えていた。
お互いがお互いに隠し事をし、友達関係を続けていた。隠し事がないように振る舞い、普通の友達同士。
仲のいい友達同士。同じ部活に所属して、同じクラスで、一緒にいる友達。
このままでいいのか?
このまま、鏡子と仲直りしなくてもいいのか?
もし、アリス先輩たちの言う通り、鏡子を失ってしまったら?
私の中に一生後悔が残る。友達をなくす。
微かに開いたカーテンの隙間から朝日のやわらかな光が差し込み、外から小学生の元気な声が聞こえ始めた頃、ようやく私は決断を下した。
鏡子を探そう。
私は紫さんに通話をかけた。一コール目、ニコール目、三コール目……。でない。紫さんの仕事、今日絶対あるとは限らない、休みかもしれない。
編集者の仕事は不規則で休みが決まってるわけじゃないからもしかしたら紫さんに話を聞き出すことができるかも知れない。
鏡子の家に行ってみよう。
私は布団を勢いよくはがして、急いで服を着替る。財布とスマホをポケットに突っ込み、家を飛び出した。
寒さと久々の眩しい空に一瞬怯えたが、足を前に踏み、鏡子の家へと駆け出した。
インターホンが悲しく鳴る。留守なのだろうか。紫さんはいないのかな……。
門をくぐり、数段の短い階段をのぼる。茶色のドアを何度かノックしても、反応はない。少し強くドアを叩き、
「紫さん、いないんですか! 紫さん!」
私の叫び声はドアに遮られ、家の中から誰も出てくることはなかった。
もう一度、もう一度だけ紫さんに聞いてみよう。
「でない……」
何度かけ直しても紫さんが通話に応答することはなかった。
誰か、鏡子の居場所を知っていそうなひとは……。
時間はとまることなくすぎる。焦りが募る、苛立ちに変わる。
私はアリス先輩に電話をかけながら、鏡子の家から立ち去った。どうか、お願いだから出てほしい。なにか情報を知っているなら教えてほしい。
『ヨミ、どうしたの。こんな朝から』
でた!
「すみません、おはようございます。アリス先輩に急ぎで尋ねたいことがあって……それでえっと……」
『おはよう、焦らず落ち着きなさいな。アタシは逃げないから』
「すみません……。実は『鏡子がいない、何か知らないか』と、知人から連絡があって……私も鏡子にどこにいるのか連絡をしたんですけど返事がなく。アリス先輩ならなにか知っているんじゃないかと思ったんです」
アリス先輩は、ふぅんと鼻から息を漏らして、鏡子がいなくなったというのに。焦りの色も見せずにいつものように気丈に答えた。
「今日、いなくなったのよね? だったら、鏡子のご両親のところじゃないかしら」
一瞬言葉を失った。
「で、でも、鏡子のご両親って……」
『あら、知っていたのね。ええ、そうよ。亡くなっているわ』
肌を凍らせそうなほど冷たく、低く唸る風が私の頬や手を叩く。
「それって自殺したって言うことじゃ……ないですよね?」
視界がくらくらする。
ずっと引きこもっていた人間が、寒空の中走ったせいなのか、鏡子が自殺した可能性があるいうことにショックを受けたのか。
もしくはその両方か。
『自殺したかどうかはアタシにもわからないわ』
「じゃあ、鏡子がどこに行ったかは知りませんか!」
『知らないわ。何があったかは知らないけど、キョーコがいなくなるなんてよほどのことよ。少しぐらいなら寝たら忘れるような子だけど、最近のキョーコは酷かったから』
アリス先輩の妙に落ち着いた声が、怖い。
皆、口を揃えて鏡子の様子が変だとか落ち込み具合がひどいと言う。
しかし、詳しい事象を知るものは誰もいない。秘密を守り続けているんだ。
『アタシ、前に言ったわよね。『早くしないと、失っちゃうわよ』って。ずっと一緒なんてこと絶対にありえるわけじゃないんだから』
かつてアリス先輩が愛していた人。ずっとアリス先輩の隣で執事としているはずだった彼が自殺をし、いなくなった。
だから、アリス先輩のその言葉には説得力と重みと、少しの苛立ちがあった。
「そう、ですよね……すみません」
通話越しに、大きなため息が聞こえ、それから声色が明るくなった。
『このまま通話切ってやろうかと思ったけど、キョーコとの約束を破ることはできないわね……』
「約束ですか」
『ほら、覚えてない? ヨミとアタシが初めて会った時、後輩ちゃんのことでいろいろあるからって、キョーコが『わたし以外に頼れる人がいたほうがいいかなって』って言っててさ、アタシが子守してあげるっていったじゃないの』
遠藤さんに構ってばっかで私に構う時間が減ってしまうだろうからとアリス先輩を紹介してくれたんだったっけ。
『約束っていうか引き受けたってだけなんだけど……。まあいいわ。
キョーコのことだからそのへんで自殺なんてしないわ。きっと、ご両親をとても尊敬し、愛していたのだもの。愛している人のそばで死を迎えたいじゃない?』
「はい」
『キョーコのご両親のお墓、詳しくは知らないんだけど、海がすぐ近くって言ってたわ。それ以外のことは教えてくれなかったわ』
「わかりました、ありがとうございます」
『いいのよ。もし、なにかあったら報告ちょうだいね』
通話を終え、海の近くのお墓を検索したがあまりにも沢山があり目星がつかなかった。
私のお母さんは何か知らないのだろうか。お父さんの友人、司さんたちのこと。沙夜子さんのこと。可能性はゼロじゃない。
急がなきゃ……。こうしてる間にも鏡子が何をしているのかわからないんだから。
私はスマホをポケットに押し込み、また家まで走った。




