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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
3章 文学少女のしおり
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49話 崩れ落ちる記憶

 どうして気づいてしまったのだろう。

 お昼のこともそうだし、今もそうだ。ゴールデンウィークに、鏡子から「間違ってもう一冊買ってしまったからあげるわ」ともらった単行本――私の書いた本である『夕暮れの校舎』から一枚の手紙が落ちてきた。手紙を拾い上げると、そこには鏡子の文字で長文が書かれていた。

 


 詠ちゃんへ。

 このメモにいつ気づくのかわたしにはわかりません。

 けれど、わたしは詠ちゃんに謝らなければならないことがあります。

 私は、詠ちゃんが『遠野夏夜とおのかや』という名の作家だということを知っていました。

 もちろん、『夕暮れの校舎』も読みました。

 もう書かないと和都わこに言ったことも知っています。

 今まで黙っていてごめんなさい。


 わたしは、詠ちゃんの書く物語が大好きです。

 もう一度でいい、もう一度だけでいいから書いてほしいのです。



 なんど気づかなければよかったと思ったか。

 そのメモを丸めてゴミ箱に捨てることもできるはずなのに、私にはメモを握りつぶすことすらできなかった。

 いったいいつこの手紙を挟んだのだろう。私がトイレに行った瞬間? お風呂に入っていた時間? いつにせよ、確実なのは、あのゴールデンウィーク以降に入れたということ。

 どうして黙っていたの?

 どうして知っているの? 

 和都って、紫さんのことだよね、紫さんが教えたの?

 いくつもの疑問が湧いて、行き場もなく溜まっていく。頭を様々な疑問で埋まる。体は焼かれるように熱くて、指の先だけが冷たくなり、小刻みに手が震える。

 ねえ鏡子、教えてよ。


 ――詠ちゃん、そろそろ次の授業が始まるわ、帰りましょう。


 澄ました顔で、落ち着いた優しい声で私を迎えに来た鏡子。

 

 ――おはよう、詠ちゃん。


 宇佐見先生の言葉に苦しめられ、悪夢を見た翌日、家を出ると塀にもたれかかっていた鏡子。天使のような純白の笑みを浮かべ、すべての苦痛を溶かすような甘い声だった。

 作家や作品のことを語る生き生きとした姿や、チョコのお菓子を見て目をキラキラと輝かせたり、クリスマスのあの夜、大人びた艶めかしい表情で私の手を握った鏡子。いろいろな表情を見せてくれた鏡子が瞼の裏に張り付く。それらが色を失い、白黒になり、闇に飲まれて消える。

 その場に立ち尽くしてどのくらい経ったのかはわからない。

 私は、明日からどんな顔で鏡子に会えばいいのかわからなかった。

 怒りよりも衝撃のほうが強い。私は気絶するようにベッドに入った。

 私が信じ切っていた鏡子はもういない。信じすぎていたのかもしれない。


 翌日、鏡子と一言も言葉をかわさずに登校した。私に会った途端、鏡子は何かを察したのか口を開くことはなかった。心配そうに眉を下げ、ちらちらと私の顔色をうかがっている鏡子は、まるで悪いことをした子どもがバレないように見えた。

 鏡子が黙っていた理由はわからない。聞く気すら起きなかった。鏡子のことだから、いずれ自分から話し出すだろうと淡い期待を抱いているのかもしれない。

 重い空気の中にいるのは苦痛だった。いつも鏡子は笑顔を浮かべてあれやこれやと様々な話題を話して過ごしていたから。今日だけは、鏡子が隣りにいても、鏡子が転校してくる前の一人で通学している時と変わらないぐらいだった。

 

 授業中も、鏡子は落ち着きがなかった。いつもは授業を受けながら、机の下で小説を読んでいたのに。今日は、頬杖をついたり、前髪を指でいじったり、授業を聞いているふりをして、私の方をしきりに見ていた。

 休み時間、私はトイレに逃げた。トイレを済ませて、遠回りして教室に戻ったりとできるだけ時間を稼いだ。教室に戻れば、鏡子がいるのはほぼ確実だろうから、一緒にいる時間を減らしたかった。

 しかし、昼休み。

 鏡子は、視線を泳がせ、スカートをきゅっと握り、勇気を持って話しかけてきた。


「あの、詠ちゃん……」


 私はさっきの授業のノートをまとめながら、無愛想に返事をする。


「なに」

「お昼、一緒にどうかなとおもって……」


 ハの字に眉を下げ、困惑の色を混ぜた瞳はとても不安げだ。


「体調悪いから、帰る」

 

 冷たい声で答えると、鏡子は一瞬目を大きく開き、まぶたを伏せてから首元に触れた。


「あー……そうなの。ええ、大丈夫よ。他の子と食べるから。ごめんね、お大事に」


 作られた笑顔は、朗らかさは少しもなくて、悲しみの籠もった笑みだった。

 胸がズキリと痛んだ。そんな悲しい顔をしないで。私も辛くなってしまう。下唇を噛み、帰る準備を始める。


「体調悪いのなら、準備手伝うわね。校門まで送っていくわ。あっ、宇佐見先生に言えば家まで送ってくれるかもしれないわよ。わたしも一緒に早退して――」

「別に大丈夫」


 鏡子の瞳から光が消えていく。伸ばしかけた手を引っ込めて、その手をもう片方の手で覆った。

 早くこの場からいなくなりたい。

 鏡子のつらそうな顔を今はもう見たくない。紙やすりで心を削られるようだ。

 私は逃げるように早退した。


 カバンを壁に投げ、制服も脱ぎ捨てて、下着姿で毛布にくるまる。カーテンも締め切って、エアコンもつけてない。ひんやりとした闇の中に放り出されたような気分。

 鏡子、傷ついただろうな……。

 あんな鏡子の表情初めてだった。

 もう少し、優しく接してあげられたら良かった。けど、今の私にはそんな余裕ない。心がいっぱいいっぱいでこれ以上なにか溜まれば、爆発してしまいそうだ。

 私の信じていた鏡子はどこにもいない。もういなくなってしまった。私に見せたあの苦しそうな表情ですら、嘘の顔なんじゃないかと思ってしまう。

 誰も、私の心に触れてこないで。

 枕の上に置いていたスマホが震えて、鈍い音が聞こえる。毛布から腕を伸ばしてスマホを掴む。毛布の中に引き戻して画面を見た。人工的な光が視界をくらませる。目を細めると画面に表示された文字が見えた。

 

 鏡子。


 この二文字だった。

 一瞬応答のボタンを押しかけ、拒否のボタンの方に指をずらして、画面に触れた。時刻は三時半をすぎていて、ちょうど学校が終わった辺りだった。学校が終わってすぐかけてきたのかな。

 時間をそれほど置かずして、鏡子からメッセージが送られてきた。


『詠ちゃん』


 私の名前だけ。

 次に文が送られてくるのかとしばらく待ってみたが、何も来なかった。

 私が反応をくれるとでも思ったのだろうか。鏡子には私の心が読めないように、私も鏡子の心が読めなかった。

 明日からどうしよう。


 

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