48話 彼の残した手紙
冬休みもあと数日で終わりを告げようとしている。
あの日、お父さんの部屋に訪れるようになってから私は度々そこに足を運ぶようになっていた。そこに行けば、お父さんに会える気がしたから。
年が明け、初めて入るお父さんの部屋は、廊下と同じぐらい冷えていて、窓からこぼれる甘やかな蜂蜜色の光が舞う埃をキラキラと輝かせていた。パソコンの周りには雪のように埃が積もっている。
さすがに、空気の入れ替えをしよう。
部屋のドアとパソコンの前にある窓を開けると、凍りそうなほど寒い風が吹き込んだ。埃が舞い踊り、パソコンの横に置かれていた資料がペラペラと音を立ててめくれる。それから何かが空を舞い、床に落ちた。
写真をまとめて一枚一枚見る。一枚目はお父さんと、男性と女性が一人ずつ仲良さげに写っている。あれ、この人達どこかで……。優しそうな細身の男性と、穏やかな笑みを浮かべ三つ編みをした女性。
二枚目は、女の子の幼児が二人、絵本を見ているところだった。二人ともくりっとした可愛らしく大きな瞳を輝かせ、絵本に見入っている。
一通の便箋と数枚の写真で、拾い上げて表裏を確認する。便箋の表は何も書かれておらず、裏面には美しくも力強い字で私の父の名前が書かれていた。
唾液をこくりと飲み込み、恐る恐る中身を取り出す。折り畳まれた無地の便箋をひらいた。
私は幸せ者です。しかし、人の死というものはいつになっても慣れることは無く、いつも辛いと感じます。
去年、司くんと沙夜子さんがまだ幼い鏡子ちゃんを残して旅立ってしまいました。鏡子ちゃんは司さんの従姉妹である和都さんに引き取られました。
鏡子ちゃんは沙夜子さんににて、穏やかで、黒い髪なんて沙夜子さんの髪そのものと言っていいほどです。黒い瞳を縁どるまつ毛は司くんに似ています。これから鏡子ちゃんも詠も成長していくでしょう。
鏡子ちゃんは、きっと、沙夜子さんのように三つ編みをすると思います。司くんと沙夜子さんの子どもです、芯をしっかりと持ち、困っている人を助け、いつも前を見据えている子になるんじゃないかと思います。
詠は、いったいどうなるのやら。私はプレッシャーに弱いのでそこが似たらとても申し訳ないです。私のように詠は作家になるのだろうか、たまに幼い詠を見ていると思うのです。
鏡子ちゃんも詠も、本が大好きな人間になると、私は嬉しいです。
司くんとは古い友人で、しかしその彼がいなくなった日々はどこか物足りなかったのです。同じ作家として切磋琢磨しあったあの頃がとても懐かしいです。
司くんが中学の時、彼は「僕は、将来作家になるんだ」と言っていました。「なりたい」ではなく、「なる」と言い切っていたことをよく覚えています。司くんと私は休み時間になると図書室に行って本を読んだり、小説を書いたりしましたね。語彙力を比べ合ったり、こういうアイデアがあるよ、こういう表現もあるよと教えあい、ときにお互いの小説を読みあいました。
高校に上がり、司くんに彼女ができました。それが、沙夜子さんでした。二人は幸せそうで、必然的に私と司くんが一緒にいる時間は減っていきました。私と司くんが一緒に足を運んでいた近くの図書館には司くんと沙夜子さんが行くようになりました。私は学校が終われば家に引きこもり、執筆に励み、かきあげた小説を大賞に応募していました。司くんは、恋愛と執筆を両立していたようで、ある日、司くんは子犬のように目を輝かせ、興奮した様子で私に駆け寄ってきました。
「どうしたの?」と話を聞くと、司くんの口から、信じられないような言葉が飛び出ました。
「僕の夢がかなった。僕は作家だ。大賞に受賞したんだ!」
私はその時、心が焼けたような痛みに襲われました。必死に笑顔を作り、上擦りそうになる声を抑えて「おめでとう!」と喜んでみせたのでした。
司くんに抱いた感情は喜びではなく、醜い嫉妬でした。
私は悔しくて、今まで以上に小説にのめり込みました。古今東西様々な小説をより好みせず読み漁り、蓄えた知識を自らの小説に活かそうとしました。しかし、うまく書けず、やがてスランプになりました。
心はどす黒いドロドロとしたものでいっぱいになり、書くことをやめようかと思ったこともありました。
そうしている間にも、司くんたちは順風満帆な生活を送っています。
高校を卒業し、司くんと私は別々の大学へ進んだが、交友関係は続いたままで、都合が合えば遊んでいました。私も、大学で今の妻、雪菜と出会い、それから間もなくて私も作家デビューを果たしました。やっと私は司くんと同じ位置に立てたのだと思いました。しかし、司くんに抱いたあの黒い感情がなくなることはありませんでした。
私達はお互い家庭を持ち、司くんたちが事故に遭うまでは幸せな時を過ごしていたと思います。司くんが旅立ってしまったことはとても悲しかったです、けれど、心の何処かで安堵してたのもまた事実でした。
私は、この感情を抱いたまま、
私も、今日、司くんたちのところに行こうと思います。
さようなら。
この手紙を読み終えた時、私の喉は砂漠のように乾き、干ばつ地域のようにひび割れ、チクチクとした痛みがあった。指先の感覚はすでになくなっている。さっきみた写真は、鏡子のお父さんとお母さん――志賀司さんと志賀沙夜子さんと三人で撮ったものであり、二枚目は、幼き頃の私と鏡子だったというのだ。
高二の時、桜が散り、緑へと移り変わろうとしていた時にやってきた三つ編みの転校生――志賀鏡子。あれが出会いだと思っていた。しかし、違った。私は、私の記憶をはっきりと覚えているよりも前に鏡子と出会い、絵本を一緒に見ていた。
血の気がサッと引き、視界が揺れる。
「詠、ごはんよー!」
階段の下からお母さんの声が聞こえて、肩が跳ねた。小さく咳払いをしてから返事をする。
「わかったー」
便箋を封筒に戻し、写真も封筒の中にしまった。窓を閉め、お父さんの部屋から出ると、自室の机の上に封筒を置いて、階段を降りた。




