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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
2章 文学少女はページをめくる
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43話 読書家のクリスマスイブ

 イブの前夜、お母さんは「鏡子ちゃんに泊まっていってもらいなよー」と私の脇腹をつついた。お母さんが鏡子との通話で、よほど鏡子を気に入ったのか、私が友だちを家に呼ぶことがかなり珍しかったのか。いきなりの提案にもかかわらず、それを鏡子に伝えると、鏡子は二つ返事で承諾してくれた。

 

 クリスマスイブの朝、今は天気は良いが、午後からは曇って、夜には雪が降るらしい。

 お母さんはいつもより早起きをして、リビングやトイレ、お風呂場の掃除を念入りにした。元々そんなに汚れてはないと思うのだが、お母さんはなにか思うことがあったのだろう。

 私も部屋の空気を何度も入れ替えたり、消臭効果のあるスプレーをたくさんかけたりした。緊張していたのかも知れない。

 

 お昼前、約束の時間通りにインターホンが鳴った。一瞬にしてリビングに緊張感は走る。

 お母さんの目の合図で、「あなたが出なさい」と言われて、玄関のドアを押し開けた。

 冷たい風が部屋に舞い込む中、一人の天使が視界に入った。


「おはよう、詠ちゃん」

「おはよう」


 冬の寒さも溶かしてしまいそうなあたたかく優しい笑みの鏡子が門の前に立っていた。いつもよりゆるく結ばれた三つ編みに、薄いグレーのゆったりとしたセーターに、膝よりほんの少し長い黒のフレアスカートで、黒のショートブーツ。ゆったりしたセーターに、黒が入ることで、ウエストの細さが強調されて、スレンダーな体型を見せている。手には、小さめのキャリーバッグと、紙袋を持っていた。

 はっきり言って可愛い。

 鏡子の私服は何度かみたことあるが、その中でも一番可愛い。

 門を開けて、鏡子を中に入れる。玄関でお母さんは待っていたようで、お母さんは既に頬が綻んでいる。


「お邪魔します」

「いらっしゃい」

 

 鏡子は頭を下げて、頭を起こすと、にっこりと笑った。

 

「志賀鏡子と申します、今日はお招きいただきありがとうございます。これ、私の家の近所に出来たお店のスイーツです」


 鏡子は紙袋をお母さんに差し出した。

 お母さんは、紙袋を受け取ると、「まあ」と声を上げた。目を輝かせて、嬉しそうに言う。


「とってもおいしいって噂になってるお店じゃないの、ありがとう。嬉しいわ」


 二人のやり取りを私は、固唾をのんで見守っていた。お母さんがなにか余計なことを言わないかと心配だ。焦る気持ちを抑え、二人の会話を黙って聞いていた。

 お母さんはようやく、鏡子をリビングに通して、椅子に座らせた。お母さんの頬が緩みっぱなしで、どれだけ上機嫌か、他人から見てもよく分かる。ホットココアをお母さんは作ってくれて、私と鏡子の前に置いた。いつも、ホットココアなんて自分で作れというのに……。

 鏡子を緊張させないように、お母さんは私の前に座った。

 

「鏡子ちゃん、詠とお友達になってくれてありがとうね」

「こちらこそ。詠ちゃんにはお世話になっているので、感謝しているんですよ」

「あら本当? 詠がなにか鏡子ちゃんに迷惑かけてないか心配だわ」


 私は、お母さんが鏡子に変なこと言わないか心配だわ。

 ホットココアを飲みながら二人の声に耳を傾けていた。口の中は甘くあたたかいが、いつ誰がどんなことで口を滑らせるかとヒヤヒヤしていてリラックスもままならない。

 二人は和気あいあいと褒め合い、学校生活の様子を話したりしているし、お世辞とかじゃないことはわかっている。私を褒める言葉も鏡子から主にこぼれていて、嬉しいやら恥ずかしいやら。

 会話が落ち着いた頃、ココアを飲み干した頃を狙って、私は鏡子を自分の部屋に押し込んだ。

 鏡子は、嬉しそうに頬をゆるめて「詠ちゃんそんなにわたしとお話したかったの?」といらずらっぽく言う。

 反論する気にもなれず、私はため息を吐いてベッドに座った。

 鏡子は本棚の前に立って、どんな本があるのかと吟味している。

 本当に本が好きだな……。私よりも、遥かに。

 

 ――鏡子先輩、文学少女って感じですね!


 ――本が大好きな子の事を、文学少女っていうんだよ。


 伊知さんやお父さんの言葉が思い出される。

 文学少女。本が大好きな人のこと。

 

「文学少女……」


 私がぼそっと呟いた瞬間、鏡子が振り向き、長い三つ編みが大きく弧を描いた。


「なにか言った?」

「文学少女って言ったんだよ」


 

 鏡子は、唇で「文学少女」となぞって、心にその言葉を染み込ませると嬉しそうに頬を赤らめて、静かに微笑んだ。


「詠ちゃん、本を借りてもいいかしら」

「いいよ」

「ありがとう」


 本棚の方を向き直して、かかとを上げると、上から二段目の棚、左から三番目の本を抜き出した。本を片手に私の隣に座る。黒いスカートから覗く白い膝に目がいって、慌てて本に視線を移す。

 芥川龍之介の『杜子春』。


「芥川龍之介は以前少し名前を出したわね。誰もが知る小説家ね、教科書で彼の作品を読んだこともあるでしょう。芥川龍之介は現在の東京都中央区で牛乳製造販売業を営む新原家に生まれるわ。彼が十一歳の時、母がなくなって、翌年養子に入るの。そこの名字が芥川だったのよ」


 部屋はエアコンも入れておらず、肌寒いのに、鏡子のうんちくが始まると、その寒さを忘れてしまっていた。

 

「彼は中学の頃から秀才と言われていて、東京帝国大学文科大学英文科に進学するわ。無事卒業し、一九一七年五月には初の短編集『羅生門』を発刊するの。そして、同じ年十一月に第二の短編集『煙草と悪魔』を発刊しているわ。彼の作品の多くは短編よ。

 そして彼は三十五歳という若さで大量の睡眠薬を飲んで自殺してしまう。自殺の動機は、『僕の将来に対する唯ぼんやりした不安』って言葉は有名よね」


 鏡子の声があたたかく、時折、肩や腕が触れ合って、その度に心臓が跳ねる。跳ねる度に、体温が上げる気がした。

 今度は本を持って、小説の説明を始める。

 

「『杜子春』は、中国の小説を元にして芥川龍之介が創作した物語よ。結末の部分が大きく変わっているの。この本は読んだことある?」


 本棚に置いてあるだけで、実はまだ読んだことがない。

 首を振ると、鏡子は『杜子春』のあらすじを簡単に説明してくれた。

 鏡子の説明が終わると、ドアをコンコンとノックする音がして、お母さんが顔をのぞかせた。お盆の上に、マグカップが2つと、ビスケットがのっていた。


「これ、どうぞー。本当はもっと早く届けようと思ったんだけど、鏡子ちゃんの声がかすかに聞こえてきて、つい耳を傾けちゃったわ」

「お恥ずかしいです……」


 鏡子は頬を染めて、照れくさそうに笑った。

 テーブルの上に、マグカップとビスケットを置くと「ではごゆっくり」と穏やかな笑みを浮かべて出ていった。

 それから私達は自由な時間を過ごした。鏡子はひたすら本を読み、私は冬休みの課題を進めたり、ネットサーフィンをしたり……。


 夕方より少し前、再びお母さんは私の部屋を訪ねた。


「どうしたの」

「一緒に買物に行かない?」


 鏡子をちらりと見ると、鏡子は目を輝かせて「ぜひ!」と答えたのだった。

 鏡子は友達だけれど、家族が増えたような気がしてちょっぴり嬉しかった。

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