39話 クリスマス、空いてる?
日に日に寒さは厳しくなっていく。
テレビのニュースによると、今年は例年よりも冷え込むらしい。私は冬を越せるのだろうか。どこかで凍死をするのではないだろうかと不安になった。
徐々に町も学校もクリスマスムードに包まれる。休み時間も「クリスマスプレゼントどうする?」とか「クリスマス彼氏とデートなんだー」、もしくは「クリスマスなんてなくなっちまえ!」と嘆く声も、期待の声とともに聞こえた。
昇降口の近くに、モミの木が植木鉢に入って置かれ、てっぺんは星を被り、LED電球を全体にまとっている。日が暮れる頃から下校時刻までの間静かに光る。
鏡子の意見により、文芸部の部室にもクリスマスを感じさせるものが置かれた。
ホワイトボードの溝に乗せている一冊の本。それからクリスマスツリーのイラストがホワイトボードに描かれ、クリスマスまでのカウントダウンもあった。
『クリスマスの思い出』という本。作者はトルーマン・カポーティというらしい。
珍しくソファに座って本を読んでいた鏡子に話しかける。
「トルーマン・カポーティってどんな人なの?」
鏡子はソファから立ち上がると、『クリスマスの思い出』を手に取り、私に渡した。私の前に立ち、自慢げに説明を始めた。歩く度に、固く結ばれた三つ編みが揺れる。小さく揺れる三つ編みは心の喜びを表しているようだった。
私から、それってどんな人? と聞いたことがなく、いつも鏡子からべらべら話していた。
「一九二四年、アメリカでトルーマン・カポーティは生まれ、十九歳という若さでオー・ヘンリー賞を受賞したの。彼が最初に書いた『ミリアム』という作品だったのよ。恐るべき子どもと評されたわ。
彼はね、映画の撮影で来日した際に三島由紀夫とも会ったことがあるのよー、羨ましいわ」
うっとりとした表情で、深く甘いため息を吐く。
机に手をついて身を乗り出すと、再び話し始めた。
鏡子の頭の中はどうなっているのだろうか。膨大な記憶の蓄積、そこからスッと引っ張り出される必要な記憶。小説の本文も暗記していて、作家のことにも詳しい。
本を愛するがゆえの記憶の多さなのだろうか。
文学少女である鏡子だから、これだけの知識があるのだろうか。
鏡子は一体これまで何冊の本を読んできたというのだ。
自分勝手なところもあるけど、この知識量には驚かされる。
私の考えも知らず、鏡子は楽しそうに語る。
「作家は繊細な人がおおくて、彼もそのうちの一人よ。でも、だからこそ、彼の文章は一節一節が美しく、細部まで鮮明に想像できるような文章なの。
詠ちゃんから、作者はどんな人? って話を振ってくれて嬉しいわ」
「き、気になっただけ……」
鏡子は私の顔を覗き込むとクスリと笑った。からかわれそうな気がして、私は話題を変えた。
「鏡子、クリスマスっていつもどうやって過ごしてる?」
「そうねークリスマスは、お……お母さんとケーキ食べて、プレゼントで本をもらって、その本を読んでるわね。アリスがいるときは、アリスのおうちでクリスマスパーティしてたわ」
「アリス先輩のクリスマスパーティ、豪華そうだね」
鏡子らしいといえば鏡子らしい過ごし方だ。
ふうとため息を吐いて、部室を見回す。最初は部屋の隅に積まれていた多く本も、気がつけば腰の高さほどの本棚が追加されたことによりかなり積まれていた本の数が減った。それでも入り切らない本は本棚の上に並べられていた。
アリス先輩の粋な計らいで、部室にはエアコンがつけられ、部室も快適空間へと変貌を遂げた。
室内との温度差で窓はくもり、水滴が流れる。
私は、お尻を引いて座り直し、小さく咳払いをした。
今年は、鏡子と過ごしてみたいかな……なんて。言えたらいいんだけど。肩に掛けたブランケットの端を指の腹つまむ。やわらかな感触が心を落ち着かせるのだ。
「あのさ……鏡子、クリスマスって予定あったりする? 別に、クリスマスじゃなくても良いんだけど、その……クリスマス近くであいてる日、ある?」
鏡子の手元と、顔をチラチラ交互に見る。
私ってこんな恥ずかしがり屋だったっけ。鏡子の予定を聞くことにここまで緊張する必要はあるっけ。
ブランケットを掴んだ指先に力が入る。
鏡子は本を閉じて机の上に置くと、長いまつげを少し伏せて、全てを見透かすような笑みを浮かべた。
「クリスマス、わたしと過ごしたいのねえ、ふふ。いいわよ、私も詠ちゃんと過ごしたいなって思ってたのよ」
ほんのりと紅潮した頬を溶かす清らかな笑みが、私の心をあたためる。顔を見た後、私の視線は下に落ちた。
ソファの上でも体育座りをして、スカートの隙間から見えそうで見えない太ももの奥。こすり合わせる膝にスカートが揺れて、胸がくすぐったくなった。白い太ももや膝がむき出しだ。透き通るような肌と白さ故に血管までもが見えてしまいそう。華奢な体だが、太ももは他の部位よりも脂肪がついてるらしく、やわらかそうだと以前から思っていた。筋肉があまりついていないほっそりとしたふくらはぎを包む紺色の靴下。開いたり閉じたりしている足の指は、開くと靴下の生地が伸びて水かきのように広がる。
爪が伸びているのか、親指のところが少し尖っている。
鏡子の体を、たまに、無意識のうちに、まじまじを見つめるようになってしまった。
「詠ちゃん、ぼーっとして顔が赤いわ、エアコン切る?」
「……あーごめん。ちょっと。うん、なんでもない」
言葉を濁すのも雑になった。
おもむろに席を立ち上がり、窓を開けて、顔を出した。冷たい空気が火照った顔を冷やしてくれた。暖かな空気が外に逃げて、室温が下がる。
窓を閉めると、鏡子は肩をすくめて、椅子に掛けていたブランケットを掴み、自分の体にのせた。
「詠ちゃんのいい匂い」
鼻をブランケットに押し当て匂いを嗅ぐ。私は恥ずかしさに首の後ろをさすって、ソファに腰掛けた。鏡子の方を向き、話を戻す。
「えっと、クリスマス一緒に過ごしてくれるの?」
「もちろんよ、楽しみにしてるわ」
鏡子は、それからしばらく私のブランケットを嗅ぎ続けた。それから急に鏡子は、ハッとして、ソファの横においていた鞄を開けた。鏡子が何かを手に握り、鞄を閉じる。
鏡子が「これ、どうぞ」と手を開いた。桜の花びらがついたヘアピン。
私が前髪を止めるきっかけになったヘアピンだ。
鏡子の顔とヘアピンを交互に見て、ヘアピンを手にとった。
「くれるの?」
「ええ、以前使ってた時、似合ってたから。クリスマスプレゼントとは別よ?」
「ありがとう」
つけていた黒いピンを外して、鏡子にもらったものを付け替える。
鏡子の瞳がキラキラ輝いて、頬がうっすらと赤く色づき、「よく似合っているわ」と微笑んだ。私の髪に手を伸ばし、白く細い指でそっと触れる。
「詠ちゃんの髪は本当に黒いから、桜色が映えて、よく似合ってるの」
だめだ、鏡子を直視できない。
薄く開かれた唇とか、可憐な笑顔とか……。とてもまぶしい。
「か、髪が黒いのは、鏡子もだよ……」
声の大きさが、ばらばらになってしまう。動揺してしまってる。
ドキドキしてる……。きっと、驚いただけ。きっと、そう。




