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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
2章 文学少女はページをめくる
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34話 文学少女は口を結ぶ

 重い。熱い。

 アリス先輩の飲んでいたお酒を鏡子が誤って飲んでしまい、鏡子はそれからすぐ、顔を真っ赤にして私の膝の上に倒れ込んでしまった。

 パーティはお開き。残っているのは、未開封のチョコレートのお菓子と、グラスの注がれたお水だけ。

 開けた窓から入ってくる涼しい風と月明かりが、暗い部屋に優しい明かりを灯していた。


「詠ちゃ~ん、あたまふあふあするわあ」

「大丈夫?」

「だーじょうぶ」


 鏡子は外を指さした。指を外に向けてから数秒後、視線も外に向けた。私の体で外は見えないだろうけど、体なんて気にせず外を意識しているかもしれない。


「詠ちゃん、蠍は星となって真っ赤に燃えているのよ。風がどうっと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はカサカサ、木はゴトンゴトンと鳴るの」


 突然何を言い出すのか。

 こんな時でも、宮沢賢治の作品の文を持ってくるなんて思いもしなかった。


「蠍は『銀河鉄道の夜』だけど、風がーとかは『注文の多い料理店』でしょ。ごっちゃごちゃになってるよ。

 酔った頭なら、とある言葉を言ってもなんの作品かわからなそうだね」

「そんなことないわ」

「ギーギーフーギーギーフー、これは?」

「「それから彗星が、ギーギーフーギーギーフーって云ってきたねえ」、『銀河鉄道の夜』よ」


 力の入らない頬を緩めて、にんまりと誇らしく笑う。

 外に伸びていた腕は、ベッドの上に落ちた。


「「もっと早く死ぬべきだったのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした」はどう?」

「夏目漱石の『こゝろ』。『吾輩は猫である』がデビュー作品で、『草枕』、『坊っちゃん』も有名ね。『明暗』が彼にとって最後の作品になったわね」


 酔っていても、好きなことに関しての知識は忘れていないらしい。別の作品が一緒に登場してしまっても、内容に間違いはない。私の知らないことだったとしても、鏡子のことを疑おうと思わなかった。


「夏目漱石の「漱石」は、正岡子規から譲り受けたものよ。夏目漱石と正岡子規は親しく、正岡子規に彼は大きく影響を受けたの」

 

 酔っ払っても、小説や作家のことを話すのだから、死んでもなお口が動いてずっと喋っていそうだ。

 そのうちテレビで「死んでも喋り続けている人!」と取り上げられたりするのだろうか……。

 口が止まるときは、語り終える時なんだろうなあ。


 そんなことをふっと考え、鏡子に視線を落とした。

 火照った体に汗がじんわりと滲んで、濡れた唇が妙に艶っぽい。死に顔も綺麗な気がした。

 潤んだ瞳は私の顔を見つめた。額にくっついた前髪を鬱陶しそうに払うと、赤みを帯びた額が丸出しになった。

 「暑い」と解いたバスローブからは無い谷間や小さなおへそ、それから少しばかり水色のパンツが見えている。制服の上からでもわかるけれど、華奢な体つきをしていると再確認した。一緒にお風呂に入ったが、あまり人の体をジロジロみるのもどうかと思い、鏡子から視線を外していた。

 鏡子は私の視線に気付いているのだろうか。

 最近私はおかしいのかも知れない。鏡子と友達としてではなく、一人の女性として見ている時がある。

 そんな事いけないのに。

 私は小さく首を振って、鏡子に話しかけた。 


「お水飲む?」


 グラスをつかもうとしたが、鏡子の手が伸びてきて、阻止された。指先が熱い。触れられた手首が熱を持つ。鏡子は私の手首を掴んでそのままゆっくりと下におろして、バスローブの下に刷り込ませた。

 胸の膨らみを感じる。体温の高さを感じる。それ以上に、鼓動の強さを感じる。

 どくん、どくん、と強く。全身に響いていくようにしっかりと。

 鏡子の鼓動。

 酔っていない私も、鏡子と同じくらい脈打つ心臓。

 私の瞳を見つめたまま、鏡子はにへらと笑った。


「わたし、こんなにもドキドキしてるわ。どうしてかしらあ」


 私は鏡子から視線をずらして、ぼそっと「お酒のせいだよ」と答えた。

 鏡子の心音を手のひらで感じている。

 アリス先輩が飲んでいたお酒は「スクリュー・ドライバー」と言って、オレンジジュースとウォッカを混ぜたカクテルで、ウォッカは味がしないため飲みやすいがアルコール度数はそこそこ高い。無味であるためアルコール度数を変えやすい。その飲みやすさとアルコール度数の高さで女性を酔わせやすいことから「レディキラー」という異名もあるほどだ。

 アリス先輩はこの部屋を去る直前「キョーコはまだまだおこちゃまね。この子を外で飲ませたら危ないわ」と言い残していった。

 鏡子はうっとりと目を細めて、愛情のこもったあたたかな声で私の名前を呼ぶ。

 詠ちゃん、と。

 唇にかたどられた「よ」と「み」の言葉が私の耳に届く。その言葉は水面に雫を落としたように波紋を残して、私の鼓動となった。

 頬が熱い。お酒に酔っていないのに頭がくらくらする。

 鏡子の体の熱が私に移ってきてるんだ、きっとそう。


「おさけ? ううん、ちがうわ……」


 息を多く含んだ甘ったるい声。

 長いまつげが瞳に陰を落として、それからまたゆっくりと私の目を見つめた。眉をハの字に寄せて、なにかいいたげに口を動かそうとしている。

 顔を近づけると鏡子から微かに柑橘系とアルコールの匂いがした。

 息が途切れる音しか捕まえられず、声が聞き取れない。

 心臓はさっきより早く脈打ってるようだ。

 

「え、なに? なんて言ってるの」


 必死に口を動かしているが、声が聞こえてこない。

 だめだ、聞き取れない。

 と思ったら鏡子は私に背を向けるように姿勢を変えてしまった。いつもより、鏡子の背中が小さく見える。胸元にあった手は離れ、しかし、鏡子は私の手を掴んだままでいた。

 さてどうしようか。

 片手は鏡子に奪われてるし……。


「ほら、水飲んで」


 鏡子はぷるぷる首を振る。

 しばらくそのままでいた。枕元においていたスマホを見て、二時を回っていたことを知った。このまま寝ないでいたら明日の朝起きれなくなってしまう。


「もう寝ようか」


 私が優しく問いかけると、鏡子は重そうに頭を起こして、名残惜しそうに手を離し、ベッドの中に潜り込んだ。枕に頭を置いたのを確認して、私も鏡子の隣に体を倒した。

 今日の精神的な疲れがベッドに吸い取られる。

 穏やかな寝顔している鏡子が目の前にいる。

 さっき、鏡子はなにを言おうとしたのか、私にはわからない。寝ている鏡子に話しかけても返事は返ってこないだろう。

 月明かりに優しく照らされた鏡子の頬は透き通るようだ。


 ……手とか、繋いでみようかな。さっき、鏡子はなかなか私の手を離そうとしなかったし。

 恐る恐る鏡子の方に手を伸ばして、そっと指先に触れた。

 爪同士があたって、ほっそりとした指の間に私の指が滑る。肌と肌が触れ合う。鏡子の手の甲に指を乗せた。手のひらを近づけて、くっつける。

 閉じられていた鏡子の瞼がかすかに開き、私を見つめると、指にキュッと力を入れて握った。お酒のせいか、鏡子の頬はまだ赤い。唇の端を上げると、また目を閉じて眠りに落ちていった。

 おやすみ、鏡子。

 鏡子の姿は見えなくなり、暗闇に包まれた。


 幼少期を思い出すような心地よさで目を覚ました。頬に触れる薄い毛布が気持ちよくて、口元が緩む。薄く開けた目をまた閉じて、頭に感じる気持ちよさと頬に触れるぬくもりは、私をまた夢へと誘った。


 幼い私が、誰かに抱っこされているようだ。


「詠、お父さん知り合いの子に、文学少女がいるんだ」

「ぶんがくしょうじょ?」

「本が大好きな子の事を、文学少女っていうんだよ」


 ああ、あれはお父さんなんだ。

 男性にしてはほっそりとしてどこか女性らしさを感じる。

 お父さんは私を抱っこしたまま、部屋に入った。本に囲まれた部屋。床にも沢山の本が積まれている。本棚から一冊の本を取り出すと、私を膝に乗せて、小説を開いた。


「その子はね、本が大好きで、こうやっていっつも本を読んでいるんだ」

「よみもね、ぶんがくしょうじょになりたい!」

「詠なら、なれるよ」


 無邪気に笑う私と、穏やかな笑みを浮かべるお父さんが目に映った。

 そのあと、お父さんは私を膝に乗せたまま、小説の読み聞かせをしてくれた。でも、途中でお母さんの声が聞こえて中断した。


 目を覚ますと、優しい笑みを浮かべて私の頭を撫でている鏡子が目に入った。


「おはよう、詠ちゃん。口角があがっていたわ。いい夢でも見てたのかしら」


 体を起こして、目をこすりながら「そうだね、いい夢だった」と答えた。


 

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