30話 姫の悩み
「相談に乗ってくれないかしら」
自分の目と耳を疑った。
もしかしたら今目の前にいるのは、人間ではなく、狸なのではないかと。
あの自信のある瞳と、自由と誇りを持っているようなお嬢様が、わざわざ文芸部を訪れるなんて。しかも、その理由が遊びに来たとかではなく、相談だなんて。
しかし、ソファに体を預けて、足を組んで、相談に乗って欲しいという態度には見えない。
「アリスが相談だなんて、珍しいじゃないの。なにか悪いものでも食べた?」
「アタシだって悩みぐらいあるわよ、その胸、アタシが潰してあげましょうか?」
鏡子の胸をまじまじと見ながら、ニヤリと笑った。鏡子は嫌そうに顔をしかめた。
「で、相談ってなによ」
「実はね……」
さっきの表情から一変、真剣な眼差しになる。碧色が濃さをまして瞳に色を付ける。そこに余裕の笑みもなく、優雅なお嬢様は一人の女性になっていた。ふっくらした唇を開いて、重い溜息を吐いた。
「愛している人からメールが届いたの。でも、その人はもうこの世にはいないの。どうしてかしらね」
「未練たらたらなんじゃないんですか?」
「いいえ、あの人とは付き合ってなかったし、ただの執事だったわよ。アタシが一方的に愛していただけ」
「あ……そうなんですか、すみません。勝手なこと言って」
「いいのよ、気にしないで」
アリス先輩はスマホを取り出して、指で操作した後、スマホを机の上に置いた。スマホからアリス先輩に視線を移すと、アリス先輩はこくりと頷いた。
見ても良いということなのだろう。
鏡子がずいずいと寄ってきて、スマホを覗き込む。
私は鏡子の頭が邪魔で見れなかった。
内容を読み終わった鏡子は、顔を上げると唇を尖らせて、三つ編みの先をいじり始めた。
スマホの画面を見ると、こう書かれていた。
件名『アリスお嬢様』
いかがお過ごしでしょうか。わたくしは、もうアリスお嬢様の執事ではいられなくなってしまいました。
しかしながら、天国から見守っております。アリスお嬢様、わたくしは度々こうしてメールを送ろうと思います。お暇であれば返事してくださると嬉しいです。
亡くなった人からメールが来るというのは、聞いたことあるけれど。実際のメールってこんなに穏やかな内容なのね。てっきり、幽霊からのメールって呪ってやるとか、未練たらたらの文面かと思っていたから、ちょっと驚いた。
アリス先輩にスマホを返すと、受け取ったスマホを平然と谷間に押し込んだ。
髪をいじっていた鏡子の手が止まり、鏡子の視線がアリス先輩の胸に注がれる。
「あら、スマホをポケットじゃなくて谷間に挟んだのがそんなに珍しかった?」
「わ……あ……わたしにだって、できるもん! アリスだけができるだけじゃないわ!」
「できたら見せに来てちょうだい。アタシが寿命で死ぬまでにね」
そう言ってアリス先輩は軽々と腰を上げ、いつもの笑みを振りまくと部室を出ていった。鏡子はスマホを取り出して、胸にスマホをはさもうとしたが、滑り落ちてスカートの上に落ちた。
「アリスが卒業するまでにスマホは挟めるようになるわよ……もう、なんで落ちるのよぉ」
「ぺたんこ……」
つい口から出た言葉。鏡子はその言葉を聞き逃さなかったらしく、独り言のように「詠ちゃんのほうが胸ないわよ」と呟いた。
何もいい返せない。
自分の胸と鏡子の胸を見比べると、やはり鏡子の方が大きいようだ。
鏡子は、胸を抱き寄せて、谷間を作りスマホをはさもうとするが、滑り落ちてしまうようだ。
スマホを谷間に挟むようになるかはどうでもいいとして、アリス先輩の愛した人からのメールというのが気になる。生きているのならともかく、亡くなっている。
今どき幽霊もメールで気持ちを伝える時代なのだろうか。
スカートにスマホが十回ほど落ちた時、鏡子が陽炎のように大きく揺れた。
「今日は、スマホの調子がよくないのね、だから挟まらないのね……」
鏡子は力なく言葉を漏らした。
胸の大きさが足りないのだと思う。胸の大きさが足りないのは一目瞭然なはずなのに、なぜスマホのせいにできるのか私にはわからない。
スマホをポケットにしまうと、立ち上がり、「今日はもう帰りましょう、スマホの調子がよくないわ」と言って私を廊下に連れ出した。




